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生活者のための日本語教育と日本語支援のあり方について ②: 教員養成という課題と「カリキュラムの標準化」という課題

 先に発信した「日本語教育の制度化の光と影」と並行して、もう一つ、発信したかったより重要なテーマがこのテーマです。前者(教員養成)については特に説明は必要ないと思います。後者(「カリキュラムの標準化」)は、「標準的なカリキュラム」(2010年5月)や、「日本語教育の参照枠」(2020年11月)とそれに続く予定となっている「生活Can do」、「就労Can do」、「留学Can do」などを包括して「カリキュラムの標準化」と呼んでいます。
 最初に結論的なことを言ってしまいます。

(1) 「カリキュラムの標準化」こそが最重要事項である。
(2) 「カリキュラムの標準化」が適切になされないと、仮に優れた教員養成課程の教育を通して重要な資質と基礎的な知識と能力を身につけた将来の教師が養成できたとしても、そうした将来の教師の教育活動や教授活動を「不適切に策定された標準カリキュラム」が縛ることになる。
(3) 現在の「カリキュラムの標準化」の目線が目的主義的に偏狭になっている。そこには、他者と交わって、日本語を用いて話をして、人生を分かち合うという視点がまったくない

1.目的主義に陥っている「カリキュラムの標準化」
 『生活者としての外国人に対する日本語教育の標準的なカリキュラムについて』(2010年5月)では、「はじめに」に続いて、「標準的なカリキュラム案の開発過程」の冒頭で以下のように述べています。

1 「生活者としての外国人」に対する日本語教育の目的・目標
 「生活者としての外国人」とは,だれもが持っている「生活」という側面に着目して,我が国において日常的な生活を営むすべての外国人を指すものである。
 日本語が主たるコミュニケーション手段となっている我が国において,「生活者としての外国人」には,生活場面と密着したコミュニケーション活動を可能とする能力を獲得することが求められる。そこで,日本語教育小委員会においては「生活者としての外国人」に対する日本語教育の目的と目標を以下のように整理した。

『標準的なカリキュラムについて』p.2

 ここで言われている「生活」や「日常的な生活」には、他の人と交わっておしゃべりをして交流するということは含まれていません。そして、実際の標準的なカリキュラム案(同pp.11-13)にも、友人と話すときの各種の話題をめぐる日本語能力というような内容は示されていません。
 また、『日本語教育の参照枠 ─ 一次報告』(2020年11月)では、「はじめに」の冒頭で以下のように述べています。

…全ての日本語教育関係者が参照することにより,生活,就労,留学といった外国人の活動状況に応じた日本語教育の基準や目標を定めることが容易になるよう,学習,教授,評価に係る日本語教育の包括的な枠組みを示すことを提言するものです。

『参照枠』p.3

 このような「活動状況に応じた日本語(教育)」でも、同級生や同僚と交わっていろいろな話題でおしゃべりをして交流するということは注目されていません。また、「5.CEFR活動Can do一覧」(同pp.21-45)でも、話したり、聞いて理解したり、会話したりする話題やテーマを整理して提示するということはされていません。
 とにかく、『標準的なカリキュラム』でも、『参照枠』でも、何を話すのか(そして、聞いて理解したり、相互行為したりするのか)、何について語るのか書くのか(そして、理解したり、交換したりするのか)の「何」の部分が示されず、きちんと注目されていないのです。これらは、必要な用を足すこと、あるいは目的を達成することにおいてしか日本語学習者を捉えていないということです。

2.偏狭な目的主義的な人間観=学習者観
 以下の参考資料で示しているように(第2章の3-3、終章の1-2の各々の太字部分)、2006年の『総合的対策』以降、文化庁では、当時日本語教育関係者の間で盛んに叫ばれていた「多文化共生」の視点を捨てて、日本語だけを扱うようになりました。そして、その日本語は、実用的な生活のための日本語(そして、その先には実用的な就業日本語、実用的な留学日本語が続く)に焦点化されてしまいました。そこには、他者と交わって、日本語を用いて話をして、人生を分かち合うという視点がまったくありません。何とも偏狭で、非人間的な人間観=学習者間になっています。「行政的な事情」(←「多文化共生施策は総務省がする! 文化庁は日本語教育!」という役割分担)により「多文化共生」の旗印を下ろすのは当面しかたがないとして、何も実用的な日本語だけに行ってしまう必要はないでしょう。人と交わって人生を分かち合う日本語(の教育)を回復するべきです。
 現在の偏狭な「目線」のままで「カリキュラムの標準化」が進むと、自らの人格の声を日本語で発することをさせない非人間的な日本語教育が各方面で拡がってしまいます。そして、そんなカリキュラムが「標準」になってしまうと、優れた教員養成課程の教育を通して重要な資質と基礎的な知識と能力を身につけた将来の教師も、学習者の声の獲得を支援する教育などを実践することができず、ただ非人間的な日本語教育に従事させられることになります。日本語教育の巨大な危機です。


参考資料: 『ボランティアによる日本語支援 ─ つながりながらのつながる日本語のすすめ』(未刊)より

*この参考資料では、多文化共生のことに注意が向けられていますが、その点よりもむしろ、文化庁の方向が生活日本語にシフトしたという点に注目して見てください。
第2章 地域日本語活動をめぐる「三律背反」と新たな方向 
 二律背反という言葉があります。「同一の前提から導き出された2つの判断が矛盾して、両立しないこと」という意味です。地域日本語活動とは何で、そこでどのようなことが行われるべきか、あるいはどのようなことが起こるべきかをめぐる議論を見ていると、二律背反ではなく「三律背反」が起こっている気がします。在住の外国出身者を少しでも支えたい、みんなが互いを尊重し自分らしく生きられる社会を作りたいとみんな願っているのですが、では地域日本語活動として具体的に何をするのかという段になると、いろいろな案が出てくるのです。そして、それぞれの提案は「Aか、Bか、Cか」という単なる選択肢となり、3つの要素を融合する包括的な提案を見出せなくなっています。
 本章では、まず典型的な3つの提案を説明します。オーソドックスな日本語教育(1-1)、日本語教育ではなく主に交流の場としての地域日本語活動(1-2)、多文化共生を推進する場(2)という3つの提案です。そして、最後の4で、地域日本語活動が具有すべき諸要件を満たす新たな方向としてつながりながらのつながる日本語を提案します。
*1から3-2までは省略。
3-3 標準的なカリキュラム案の適合性 
 地域日本語教育推進事業(1994年から2006年)の時期は、2で紹介した日本語教育の専門家等の大合唱に呼応するように、文化庁も地域における多文化共生の推進を地域日本語活動の重要な柱として掲げていました。そして、オーソドックスな日本語教育の内容と方法を採用するのはボランティアと外国出身参加者の間に「教える人と教えられる人」という不均衡な関係を生み出すので適当ではないというメッセージが文化庁からもしばしば発信されました。しかし、『「生活者としての外国人」に関する総合的対応』(2006年)を受けて文化庁の事業が2007年度に「生活者としての外国人」のための日本語教育事業に衣替えされてから、風向きが変わりました。あんなに多文化共生という理念を大切にしていた文化庁が、手のひらを返すように生活日本語の支援に行ってしまったのです。「生活者としての外国人」のための日本語教育事業の紹介にも、『標準的なカリキュラム案について』の中にも、「多文化共生」という言葉は一度も出てきません。
 そうした政策転換をめぐる議論は終章でするとして、ここでは、地域日本語活動の内容として標準的なカリキュラム案がふさわしいかどうかを検討したいと思います。論点を明らかにするために、箇条書きにします。

1.標準的なカリキュラム案の内容は日本語初習者には適合しない。
 地域の日本語教室には、1週間前に日本語に来たばかりで日本語をほとんど何も知らない人や、例えば6か月前に日本に来たがこの間日本語を勉強していないし積極的に覚えようともしなかったので日本語は断片的にしか知らないという人も多数訪ねてきます。いわゆる日本語初習者です。こうした初習者には標準的なカリキュラム案の内容はあまりに高度すぎて適合しません。先に紹介したウェブ教材を活用してさまざまな生活場面を見せて、そこでの物事の流れと流れを理解するキーワードやその場面に対処する要領とそのためのキーフレーズを教えてあげることくらいはできないことはありませんが、それは日本語習得の支援というよりもむしろ生活活動の理解と対処方法の支援となるでしょう。
2.生活上の行為を遂行する日本語を身につける必要や動機は必ずしも高くない。
 地域の日本語教室を訪ねてくる人は多かれ少なかれ自分なりの生活を確立して安定して暮らしている人が多いです。今まだホテル暮らしであしたアパートを借りるために不動産屋に行かなければならないという人は少ないです。また、特定の持病があって変化するその病状を説明する必要がいつ生じるかわからないのでそれに備えたいという場合があるかもしれませんが、一般的に何らかの病気が発生してそのような場合にクリニックに行ってその症状や状態を説明するために備えておきたいという人は少ないと思います。カゼやちょっとした胃や腸の不調は薬で済ませるでしょう。また、その場合は薬屋やドラッグストアに行って店員に状況を説明して適当な薬をすすめてもらってもいいのですが、むしろ日本語教室で会うボランティアに適当な風邪薬と胃薬などを教えてもらっておく、あるいは薬の名前をメモして(もらって)それを持参してドラッグストアに行って購入し家庭に備えておくというほう現実的です。また、災害の備えとしては、災害時に自力で日本語で情報を収集して状況に対処するよりは、自分のことを知っていて助けてくれる人がいたり、助けを求めることができる人がいたりすることのほうが重要です。
 そんなふうに事情を想像すると、標準的なカリキュラム案の生活上の行為の日本語を身につける必要や動機はあまり高くないと推測されます。もちろん、一定の日本語力をすでに身につけている人でいろいろなことが自力でできるようになりたいという人の場合は、標準的なカリキュラム案の内容はある程度適合しているでしょう。
3.外国出身参加者は生活日本語の習得よりも、日本の人と話すことや、交流することや、それを通した日本語力の向上や、一般的な日本語の上達を期待している。
 これは第1章の1-4で話した通りです。
4.日本語ボランティアは「日本語を教える」ために日本語教室の活動に参加しているわけではない。
 日本語ボランティアの多くは、普通の市民です。日本語を教える専門家ではないし、日本語を教えるための知識や技能を身につけているわけでもありません。親切で素朴に、3のような人がいるなら、日本語でお相手をして少しでも日本語を伸ばしてもらえればという感覚の人が多いです。そんなボランティアに、オーソドックスに日本語を教えることや生活日本語を教えることを期待あるいは要請するのは筋違いだと思います。また、そうした期待や要請は文化庁が当初掲げていた多文化共生を推進するという理念に反しますし、そんなことをすると文化庁が地域日本語教育推進事業の時期に忌避していた「教える人と教えられる人」という不均衡な関係をボランティアと外国出身参加者の間に生んでしまいます。地域日本語活動に関わる関係者は、地域で暮らす外国出身者と交流をしながらかれらの日本語の課題の改善に少しでも役立てればというボランティアのやさしい気持ちや、その先にぼんやりと思い描いている「外国出身の人も気持ちよう暮らせるこの町」という未来志向のイメージを一層育むべきであって、それを阻害するような方向を示すのは適当ではないと思います。

 このように一定の日本語力と生活日本語を学びたいという動機がある場合を除いて、標準的なカリキュラム案は地域日本語の活動内容として必ずしも適合していないと見られます。
 地域日本語の活動として従来の日本語教育の内容と方法を採用すれば、標準的なカリキュラム案は取り入れられないことになり、多文化共生の方向をそれに重ねることもむずかしくなります。一方、標準的なカリキュラム案を採用すると、日本人と話す機会を持ちたい。そして、そうすることで日本人の知人や友人を作るとともに、日本語を上達させたいという外国出身者の期待は応えられず、日本人参加者の日本語でお相手をして少しでも日本語を伸ばしてもらえればという市民的なボランタリーな感覚も活かされないことになります。そして、多文化共生の理念はどこかに行ってしまいます。その一方で、多文化共生の方向ばかり強調すると、日本語支援の面が十分に対応できなくなってしまいます。このような状況が、地域日本語活動をめぐる「三律背反」です。
*第2章の4、第3章、第4章は省略。

終章 外国出身者の日本語の課題とボランティアによる日本語支援
*終章の1-1は省略。
1-2 多文化共生と日本語の分離と標準的なカリキュラム案
 第2章の3で、日本語教育研究者を含む外国出身者受入れ関係者の間では2005年は「多文化共生元年」と呼ばれていると言いました。地域における日本語の支援や外国出身者との共生への社会の関心が一気に高まったわけです。そして、その年度の終わりには総務省が「地域における多文化共生推進プラン」を発表し、2006年の末には外国人労働者問題関係省庁会議で「『生活者としての外国人』に関する総合的対応策」が取りまとめられ、経済財政諮問会議で承認されたことも第2章の3で述べました。こうした動きの結果、外国出身者の日本語の課題と多文化共生の課題がようやく本格的に行政の施策のテーブルに載ったわけです。しかし、その時に思いもよらないことが起こりました。
 第2章の2で述べたように、文化庁では、それまで地域日本語活動と地域における多文化共生を一体のものと捉えて各種の事業を進めてきました。しかし、それらの課題が本格的に行政の施策のテーブルに載った瞬間に、両者は切り離されてしまいました。日本語の支援は文化庁で、多文化共生は総務省、というふうに分離されてしまったのです。それまで日本語と多文化共生を有機的に結びつけて推進する方向で事業を進めてきた文化庁の関係者や関係の日本語教育の専門家にとっては、これは思いもよらない結末でした。つまり、このように分離されてしまったことで文化庁やその関係者は「多文化共生」と言えなくなったのです。関係の人たちは「魂を奪われた」ような気持ちになったことでしょう。しかし、地域日本語活動の火を消すわけにはいきません。第2章の3で論じた標準的なカリキュラム案(2010年5月公表)はそのような日本語と多文化共生の分離の後に、つまり「文化庁は多文化共生などと理念を言っていないで、外国出身者の日本語の課題に取り組むことに専念しなさい」と多文化共生の理念を取り上げられた後に、それまで大切にしてきた多文化共生には一切触れないで、あえて必要な日本語の習得とその指導にのみ注目して策定されたものなのです。
 日本語と多文化共生の分離は行政的には現在も続います。そして、こうした成立事情の標準的なカリキュラム案も現在の文化庁の地域日本語教育事業の柱となっていて、文化庁の担当者はフォーマルな場面では決して多文化共生を口にしません。しかし、文化庁の担当者や関係の日本語教育の専門家には地域の日本語活動と地域における多文化共生を結びつけて推進しようという思いが今でも心の底にはあるはずです。

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