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教育における「計略」(20221004)
Twitterの足し算(若干補充)
原稿を書いていると、「計略」という用語を使っていることに気がついた。計略=自分にとって好都合に事を運ぼうとするためのはかりごと。学びは学習者の身体で経験され身体に刻印されるもの/こと。教師が直截に引き起こすことはできないし、学習者自身も学びを行うことはできない。思わずハマってしまっている中で自ずと起こること。
教育の企画にしても、教材/リソースにしても、各種の授業活動にしても、授業でのそのときどきの指導にしても、すべては教師による「計略」「はかりごと」である。そのようにして、所期の学びが生じるという保証はない。ただ、ぼくとしては「計略」がうまく行きそうとの理屈は立てたい。
うまく行きそうとの理屈、つまり「自分の意見や行動を合理化するための筋道が立っているように見える理由づけ」の助けをしてくれるのは、第二言語習得研究やシャドーイング研究の成果か、あるいは言語哲学を基盤とした論究か。科学的研究(の成果)は実は、理屈や理由づけが苦手です。結局、言語哲学が必要。
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