教師に必要なunlearning(学びほぐし)(20211003)

 日本語教育が優れた実践を創造できない重要要因となっているのは、疑問を挟まれることなく「オーソドックス」に行われている授業と、「神秘主義」と言ってもいいようなオーソドックスのドグマです。『新次元』で筆者(わたし!)が語っていることは、実は「新たに何かを学ぶ」ということではなく、「フツーに考えるとこんなふうになるんじゃない!」ということです。それは、新たに学ぶ(learning)ことではなく、「(日本語教師、旧来の日本語教育界の)「常識」について、改めて問いかけて、これまで信じてきたことを再検討して「正常な」!?考え方に立ちもどるという学びほぐし(unlearning)です。ですから、『新次元』で言っていることは、ちょっと「学術的な」フリをしていますが、実際には「よく考えると、こういうことなんじゃない!」と言っているだけです! しかし!! この「だけです」が大いに「くせ者」です。実は、「オーソドックス」というヤツは、ものすごく巨大で、どっしりしていて、しっかりと根を張っています。深く魔法をかけられているようなものです。ですから、ソイツから逃れるのは簡単なことではありません。「魔法」から逃れる方法は、「魔法」で「フツー」になっていることを一々疑うことです。そして、(魔法外の世界の!)常識で考えること、しっかりとした理路で考えること、理屈を突き詰めること、などです。「魔法」の大敵は、常識的な判断です。そして、『新次元』で言っていることは、その常識的な判断「だけ」なんですけどね。そこが、unlearningのむずかしいところです! 

 Unlearningとは、「魔法」解き!?、悪魔払い!?

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