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若手プレーヤーが経営学を学ぶ意味。

先日。某所で入社2-3年目の若手の方々に「マネジメント研修」。
ここで起こる問題が、マネジャーの技能や考え方を、入社直後に学ぶことに、どのような意味があるのか?という問題。

私はこの点にごく明確な答えをもっておりまして、それを共有したいと思います。

若手プレーヤーこそ経営学を学ぶべき意味。それは、将来のマネジャーを育てるためというより、本人が今の仕事を自分の【働く】にするためです。

というのもですね…

この研修では、「会社の経営方針を確認してみましょうー」っていうワークをやったんですけど、全然、若手の方々、わかってないわけです。目の前におりてきている仕事の目標は分かるし、全社としてのざっくりした方針めいたものは分かっていても、会社がこれからどういうことを手掛けて、どんな方向に成長しようとしているのか、何を当面の課題としているのか、そんなことは殆どわかっていないんです。

でもね、だからといって皆さんも、ダメな会社だな、ダメな若手だな、なんて思わないですよね。だって自分達だってそんなこと若いうちに分かっていなかったじゃないですか。

なんなら、今だって分からないよ(笑)という方も多いはずです。

私だって、大学に所属していた時、お偉いさんの立てている方針なんて知ろうともしなかったり、伝わり聴く大学の経営方針も、ぜーんぜん分からないや、という感じでした笑。

いやホント、皆さんもそんなもんじゃないですかね。仕事をしていくうえで、会社の方針なんてさしたる意味がない場合のほうが一般的。若く、職位も低くなれば、いっそうその傾向は強まります。会社の方針を理解しろなんて、無茶な話です。

でもそれって、【働かされている】身にとってみれば、不幸な状況なんじゃないかと思うんです。

今やっていることの意味も正しく理解できず、とにかくも上から幾層もを経由して降りてきた目標だけに向かって働くというのは、なんとも「いいように自分の人生の3分の1の時間を会社に使われている」状況じゃないかと思うんです。

最悪、お給与のためだけに働いているような構造になる。

それより幾分マシだとしても、目の前の顧客や、職場の仲間がいるから働いている、というくらい。

そこに自分がいる意味、自分の活動が、社会に対していかなるインパクトをもつのか、それが全く見えていない状況に陥っているわけです。

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だからこその、経営学の学習、マネジメント教育なのです。

会社が、いま、どういう文脈のなかにあるのか。その文脈のなかで、いま、何を為そうとしているのか。
その大きな目標が、各部門にどうブレイクダウンされて降りてきているのか。
そして究極的には、自分自身の仕事が、数百人数千人からなる会社の大きな運動の中で、どのような役割を果たしているのか。

社長としての目線、部長としての目線、課長としての目線の一端でも理解できたとき、自分の目の前にある仕事の意味が、これまでよりも明瞭な輪郭をもって理解できるようになる。

それは、「仕事が効率的になる」「仕事がうまくなる」なんていう表層的な効果じゃない。

「いま、自分がここにいる意味が分かる」という、もっと深遠な部分で、誰よりも、あなた自身にとって意義の大きい効果となる。

そのときようやく、【働かされている】ではなく【働く】になるのだと思います。

かような意味でこそ。若い人に、マネジメントを学んでもらいたいと願いますし、そうした研修を受け持てることを、とても幸せな仕事だと思っているのです。


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