キリマンジャロを描いた話(2)

image view: Kilimanjaro National Park_ Tanzania, United Republic of_ キリマンジャロ国立公園_ タンザニア連合共和国 2013年9月の日記より

●2013年9月8日

キリマンジャロ1日目朝、これからしばらくお風呂に入れないので、入念にシャワーを浴びる。

朝食をゆっくりと取り、岡本さんは蚊を過剰に気にしながら、長袖でうろついていた。しかし周りの人々は普通に半袖で行動していた。

岡本さんおすすめの腕時計型の電池式VAPEを装備して蚊対策はばっちりだった。だけど結局最後まで蚊らしい蚊をみないで旅は終わるのだが。マラリア対策をしっかりするにこしたことはない。

「アサンテ」はサンキュー。どこの国にいっても、この「こんにちは」と「ありがとう」の2種類さえ覚えておけばあまり困ることはない。寝ぼけながら朝食をゆっくりと取っていたので、30分遅れでロビーに集合。迎えに来てくれたのは日本語がぺらぺらの運転手さん。「ジャンボ!」にたいして、「オハヨウゴザイマス」で返された。

初めてのタンザニアではテレビで見たような光景がそのまま広がっていた。大きな荷物を頭に乗せてあるく人。三輪バイクで音楽をガンガンにかけてノリノリの人。とにかく荷物をたくさん積んだ車。アフリカらしい風景が流れていく。1時間ほどで、当初の滞在予定のモシタウンへ。そこからさらに1時間ほどで、キリマンジャロの麓に到着。運転手は10ドルのチップを要求してきたが、松田はさりげなく5ドルを渡した。

車を降りたとたん、タンザニアの商人数人がものを売りにきた。岡本さんと松田は腕に「KILIMANJARO」と書かれた腕輪をいつの間にか付けられていて、5ドル請求された。

松田は仕切りに「いらん!!!」と叫んだ。

岡本さんが10ドルで二人分買ってくれた。

さらに商人は2本で20ドルの、使い込まれたストックのレンタル要求する。

「いらねー…」と思いながらも、岡本さんが「持って行ったほうがいいって」とオカン的な立ち位置で購入してくれた。買っても3ドルくらいに見える古びたストックだ。岡本さんは寝袋も持っていなかったので、一式レンタルをした。

今回ガイドしてくれる人は「アストン」というおじさんだ。小柄でよく笑う山男だった。

今日の分のダイアモックス(高山病薬)を飲んで登山に備えることにした。ダイアモックスもマラロンも岡本さんが東京で買って来てくれた。ダイアモックスは一錠200円程度、マラロン(マラリア予防薬)は一錠900円くらい。すべて岡本さんが持ってきてくれた。松田はそういうところは無頓着だ。遠慮なく半分分けてもらう。


入山の前に名簿に名前を書いてチェックイン。

11:00AMに出発地点であるマラングゲートを出発した。

この日は3時間ほどで2700mくらいまで登るコースらしかった。アストンはゆっくりゆっくりと歩く。やはり登山はゆっくり歩くのがコツだという。本当にゆっくりと歩く。これが後半に効果が出てくる。

序盤はとても元気なので、アストンに色々なことを質問した。自分はどういうことをしていて、この登山にはこんな思いで参加しているということを伝えた。

岡本さんの心配の元であるマラリアとツエツエバエ件について、

「どちらもこのキリマンジャロ登山においては大丈夫」とのことだった。

山にこれらの虫はいないようだ。ほっとして元気に登山をすることができる。

ツエツエバエというのは、岡本さんがどこかのWEBサイトで見たらしく、刺されると眠くなり、そのまま死んでしまうというめちゃくちゃ怖いハエだという。アストンは一匹にさされたくらいじゃなんてことはない、と言っていた。それにしてもそんなハエがこの世に存在するなんて、まだまだ世界は広い。

英語があまりしゃべれない岡本さんは、

「この旅は英語のプラクティスになる」

といって、頑張って英語に慣れようとアストンへの質問をしきりに考えながら歩いていた。

出発地点は森が広がっている。キリマンジャロ登山では、高度が広範囲に渡るため、森、デザート、岩場など様々な地形を楽しむことができる。

ぺちゃくちゃしゃべりながら1時間30分ほど歩いたところで、うれしいランチタイムだ。

ランチは小さなバナナ、オレンジ、簡単なサンドイッチ、チョコ、パイナップルジュース、ピーナッツ等だった。お腹がすいていたのでほとんどを平らげた。

登山をサポートしてくれるのは、アストンを含めて計7人。サブガイド、コック、ウエイター、そして3人のポーター(荷物運び)だ。重たい荷物はポーターさんが運んでくれる。彼らは先回りして、山を登る。事前に山小屋に着いておいて、食事や小屋の準備をしてくれるのだ。一日目、3時間登山は容易かった。キリマンジャロはポーターさんたちが荷物を運んでくれる大名登山である。

3人はまた1時間30分ほど歩き、14時30分頃に一日目の宿泊場に辿り着いた。マンダラハットという宿泊場である。三角のかわいらしい小屋が所狭しと並んでいる。ハットにつくと、ダイニングでホットウォーター、ティー、コーヒーやミロを頂く。松田は迷わず栄養の王様ミロを選択した。何年振りかのミロの味にハッとした。

松田は「実はキリマンジャロ登頂は簡単なのでは」と思い始めていた。

「ミロ、おいしいやん」

岡本さんはコーラが飲みたくて仕方がなさそうである。

ダイニングでお茶を飲み終わってホッとしているとサブリーダーのフバルが「クレーターを見に行こう」といって、2人を連れ出した。そういえばアフリカってクレーターが多いんだっけ。同じくタンザニアのンゴロンゴロという世界遺産スポットも、ものすごく大きなクレーター地帯であることを思い出した。

僕たちはフバルと一緒にクレーターを見に少し山を登る。途中で白黒の毛色の猿と遭遇した。マンダラハットから10分ほど登ったところにそのクレータはある。直径50Mほどだろうか。MAUNDI CRATERという名前の隕石衝突後だ。僕は第六感といった類いのものは持ち合わせているようなないようなだけれど、その場所からはなにかしら宇宙のパワーを感じた。夕暮れ、人気のなさが後押しして、なんともいえない異世界のような雰囲気があった。

次第に日が落ちるとともに、気温もぐんぐん落ちて来た。岡本さんの腕時計には温度計がついていて、気温は10度だった。昼間はタンクトップで動き回っていたが、さすがに夜はゴアテックスの防水上着の出番だった。それでも少し肌寒く感じる。

晩ご飯は魚のフライと野菜、ポタージュスープだった。

「うま〜!」

クレーター見学で身体が冷えてきていたので、とてもとても美味しかった。その日の晩ご飯のほとんどを完食した。小屋の中にはベッドが4つある。その上に持って来た寝袋を敷いて眠る。岡本さんは寝袋をレンタルしたので、しきりに匂いをチェックしてはなんともいえない顔をしていた。でも分厚くて温かそうな寝袋だった。松田は日本で手に入れた Mont-bellの軽くて高性能な寝袋でこの日初めて眠る。薄手な感じだったので、少し心配だったけど、とても温かく過ごすことができた。


この日山は雲で隠れていたので、マンダラハットの様子をスケッチした。

前日の睡眠不足もあいまって、僕たちは早めに就寝した。