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双極性障害と向き合う作曲家

私は重度の双極性障害1型患者だ。
病気を診断されて以来10年以上の闘病生活を送ってきているが、その中で得た気付きやノウハウ、知識を残しておくことにする。
ただし、私は精神病の専門医ではないので、noteに私が残す内容はあくまでそういったケースがある程度に留めてもらいたい。

本記事では前情報として双極性障害の症状や私の実際に発症している症例、現在の状況などを記載した。私自身の説明書とも言える記事になっていると思う。

双極性障害について

まずはじめに双極性障害について簡単に説明が必要だと思うので下記にまとめておく。

双極性障害は、感情の極端な波動を特徴とする精神疾患です。
統合失調症と共に、二大精神疾患の一つとされています。
患者は一方で躁状態(極度に活動的で興奮状態)になり、他方では鬱状態(悲観的で活動性が低下)になることがあります。
この病態は、日常生活、職業生活、学業、そして人間関係において大きな困難を引き起こすことがあります。

原因は完全には解明されていませんが、遺伝、脳内の化学物質の不均衡、ホルモンの異常、環境的要因などが関与すると考えられています。症状の特性や程度により、双極性障害は1型と2型に分けられます。

双極性障害1型は、躁状態と鬱状態が明確に現れ、躁状態が最低でも1週間、鬱状態が2週間以上続くサイクルを繰り返します。(個人差があります)
長いと半年以上にも及ぶ躁状態や鬱状態が続くことがあります。

躁状態の間、患者は通常の行動範囲を超えて極度に活発で、無謀な行動をとることがあります。
また、思考や感情が自分でも抑えられない程に異常な動きをするため、他人や自分自身を深く傷つける危険性があります。
専門医のケアや周囲の理解が日常生活を送るうえで非常に重要な要素となります。
しかし、双極性障害の理解者を得ることは非常に難しく、仮に理解者を得たとしても病気の症状によって失ってしまうリスクが高いため、生涯を通して安定した人生を送ることは非常に難しいです。

一方、双極性障害2型は、主に鬱状態を経験するが、一時的に躁状態(この場合は「軽躁状態」)になることもあるタイプです。2型の場合、躁状態は1型ほど深刻ではないため、患者は日常生活を続けることが可能であることが多いです。

どちらのタイプであっても、双極性障害は生涯にわたる管理と治療を必要とします。治療は主に薬物療法と心理療法を組み合わせて行われます。

GPT4より

ADHDについて

私はADHDの症状も強く発症しており、双極性障害と合わさることによってその症状が特別なものに変化していることがあるので、こちらも簡単にまとめておく。
しかし、私が苦しみを感じているのはあくまで双極性障害であってADHDの症状に対して直接的な苦悩はさほどない。

"注意欠如・多動症(ADHD)は、注意力の欠如、過活動、衝動性といった特徴を持つ神経発達症です。この状態は、学業、職業、そして人間関係に困難をもたらすことがあります。
ADHDの患者は、日々のタスクを終えるのが困難であったり、組織化された活動を維持するのが難しかったりします。また、安静に座っていることが困難であり、人々や物事に対して過度に反応したり、適切なタイミングで行動したりすることが難しいこともあります。
原因には遺伝、脳内の化学物質の不均衡、そして環境的要因が関与していると考えられています。治療法としては、行動療法や薬物療法が一般的です。これらの治療法は、ADHDの症状を管理し、日常生活の質を向上させることを目指しています。

GPT4より

実際の私の症状

私の症状についてだが、まさに上記の説明の通り日常生活に大きく支障が出るレベルで双極性1型とADHDが強く発症している。
時に人や自分を傷つけて人間関係を壊すことも多い。
私の場合はADHDが併発していることもあり、特に衝動性が強い傾向があるように思う。

双極性障害とADHDが併発することは珍しいことではないらしいが、より強く症状が発症するため特に注意が必要だと感じている。

躁状態と鬱状態の具体的な症状

実際に躁状態になると脳が乗っ取られているような感覚で、後から何故私はあんなことをしてしまったのかと何度後悔したか数えきれない。
そして、その後悔から鬱転(鬱状態になること)することがほとんどで、こうなってしまうと起き上がることも困難になる。

鬱状態では呼吸は血の味になり、過去のトラウマや有りもしない幻想に取り憑かれて度を越したネガティブな思想になってしまう。
身体的にも極度の倦怠感や震え、痺れ、過呼吸などが頻発する。

躁状態も鬱状態も自分では予測不可能なタイミングでやってくるし、制御はほとんどできない。
朝まで躁状態でハイな状態だったのに夕刻にはその真逆になっていることも多い。
実際に変動が激しくなると鬱や躁に対する苦しみと同じくらい自分の感情の起伏に疲弊することがある。

例えばショックな出来事が起きて落ち込んだり、とても良いことが起こって喜んだりと、人は感情が大きく動く時にエネルギーが大量に消費されると思うが、それが波のように何度も押し寄せてくると思ってもらえれば、この疲弊がどれほどのものか想像できると思う。

真に恐ろしいと感じること

躁鬱どちらの状態にあっても思想や感情が異常に働いている状態なわけだが、真に恐ろしいのは、常に自分の現在の状態は『今の自分は体調は悪いが正常な思考ではある』と錯覚してしまう点だ。

思想が異常に働くという点についての説明が難しいが、自分が普段考えていることが非常に増幅されて脳内に満たされてしまうようなイメージだ。
躁状態だと人の些細な欠点や不満などが勝手に増幅されていき、それを最も悪い手段で相手に乱暴に伝えて傷つけてしまう。

鬱状態だとありもしない妄想や疑惑に囚われて誰も信用できなくなる。
ありもしない妄想や疑惑があたかも現実のように感じでしまい、更にそこからまた失言をしてしまう。

躁状態で周りや自分を傷つける時も鬱状態で異様なほどにネガティブ思考に陥ってる時も基本的には『今は苦しいが思考は正常のはずだ』と錯覚しているのだ。
だから近年、私の中では常に『今の思想は本当に森田交一のものだろうか?』と今が本来の自分自身であるのかという点においてイマイチ自信を持てないことが多い。
しかし、ほとんどの期間で病状が発症している私にとってもはや本来の自分など存在しないのかもしれない。

双極性のサイクルと『呪い』

躁期、鬱期にはサイクルがあり、どちらも半年以上発現することもある。
つまり躁状態が半年続き鬱状態が半年続くと1年近くもの期間、意識が朦朧としたまま自身の異常な行動と病状に苦しむ期間が続くことになる。
また、躁期、鬱期という大きな心の波の中にはそれぞれ小さな躁と鬱が存在していて(混合状態)、躁期だけど鬱状態であったり、逆に鬱期だけど躁状態といった状態も存在し、自分自身の現在の状況を正しく認識するのは困難を極める。

私はこの躁と鬱が無限に繰り返されるサイクルを最近『呪い』と呼んでいる。
病気については時間をかけて調べ学んだし、あらゆる対策や治療もやったつもりだったが、やはり完治は不可能だった。

完治どころか病状は年々形を変えながら悪化しているようにも感じる。

何度考えてもこの『呪い』のサイクルを断ち切るには命を絶つしかないなどと、物騒な考えが浮かんだことも多い。

しかし、最近私はこの『呪い』ともう一度向き合い、GPT4をフル活用し、あらゆる方面から自分の言動や思想を分析し改善できないかを試行錯誤してみることにした。

現在の症状と周囲との情報共有について

2023年5月現在での私の状況についてだが、やや鬱傾向軽躁状態の中に軽い鬱が発現する混合状態あると思う。(追記)

しかし昨年から続いた大きな半年間の躁状態と、その後の半年間の鬱状態(合計1年間)が3月末頃に終わり、以前の私からすれば比較的安定している状態ではあることは確かなことだ。

最近では自分の中ではもしかして完治したのではないか……というくらい健康な精神状態の時期もある。
健康な精神状態の時は喋る速度が低下、声が低音化するので(こちらが本来の私ではあるのだが)…………周囲からは「今日はやたら落ち着いているね」だったり「今日はテンションが低い?」などと言われることもある。

これこそが躁でも鬱でもない本来の健康な状態なのだ。
私は1年の時を経てついに健康な状態を取り戻したと喜んだ。

しかし、絶望的なことにそれは双極性障害におけるサイクルのひとつの『通常の気分を経験する期間』という擬似的な健康(症状)だったのだ。

現時点で私が認識しているフェーズは6つ

  1. 躁期(通常の躁。マニア状態とも呼ばれる)

  2. 鬱期(通常の鬱)

  3. 躁期の中での鬱(混合状態)

  4. 鬱期の中での躁(混合状態)

  5. 通常の気分を経験する期間(健常者と同じ状態)

  6. 無気力状態(鬱ではないが、何にも興味を持てずあらゆる行動が不能になる)

これらの6種のフェーズのうち躁と鬱にそれぞれ強度が異なる波が押し寄せてくる。
これらのフェーズは段階的に変動するとも限らず、強い躁から強い鬱へ突然鬱転することもしばしばある。

混合状態では躁と鬱が同時に存在しながらも、どちらか片方が極度に強まることもしばしばある。
混合状態では鬱のネガティブな感情と躁の活発すぎる行動力が作用し、時に危険な行動をとることがあるので注意が必要だ。

鬱はいずれ躁を呼び起こし、逆に躁はその後必ず鬱転する。
この2つの狂気は密接に関係していて、表裏一体の呪いだ。

何度も法則性を見つける為に自分の症状を注意深く観測して研究したが、完璧な法則性を見つけることは今だに難しく、自分の明日の体調ですら完全な予測はほぼ不可能だと感じている。現段階では。
現段階では、というのはこれから私は自分について研究を深め法則性と対処法を発見し、より充実した人生を送るための改善をしようと考えているからだ。

躁鬱の強度区分

自分の状態を周囲に的確に共有できるように躁と鬱の強度によって状態を3区分している。これはあくまで私にとっての強度の基準であり、双極性障害はとても複雑な症状や要素を持った障害なので、誰にでも当てはまるわけではないという点について注意してほしい。

躁1:機嫌が良く活発になる。何事にも積極的に取り組める。思考速度が向上するので口調が早くなる。やたらたくさん喋る。うろうろする。(これはADHDとの併発による症状かもしれない)。とにかく上機嫌。私にとっては最高の状態。周りからは多少うざったいと思われていると思う。よく人に用事もなく電話をかけてしまう。例えるならテーマパークの入園ゲートに到着した時のようなワクワク感が日常で常に沸いてくるイメージだ。
双極性障害2型の患者の躁状態はここに該当する。

躁2:衝動性が強まり周りが予測・理解不可能な行動に出る。イライラすることが多く、突発的にキレることがある。落ち着かない。口調が強く、些細なことにも不満に感じて怒り出す。この後に躁1に戻ることもあるので、さっきまで激怒していたのに急に機嫌がよくなるなんて現象も多く、周りにどれだけ不快な思いをさせているかについては想像に容易い。自分自身でも大声で怒鳴る程の激怒の後で爽やかな上機嫌状態に変化するのは不思議な感覚だ。そして後日この不自然な感情の変化で周りに迷惑をかけたことを認識して鬱転することが多い。

躁3:非常に危険な状態で人や自分や物を傷つけるリスクが高い。暴力的で超衝動的。意識や記憶がほとんどなく、我に帰ると大惨事になっていたり身に覚えのない場所で目が覚めたりする。自傷リスクが高い。我に帰ると必ず鬱3へ鬱転する。

躁鬱0:健常な状態。喋る速度もゆっくりになり声も低音になり、冷静で理論的な判断ができる。記憶力もほぼ正常に戻る。

鬱1:健常者の強く落ち込んでいる精神状態。例えるなら健常な方が仕事で大失敗をして周りに迷惑をかけた後と同程度の気分の落ち込み具合。ネガティブな思考が増え、何でも悪い方向へ考えてしまう。軽い倦怠感がある。お酒を飲むことによって一時的に気分が改善されるが、その後より強い鬱を引き出すので注意が必要。孤独感を感じる。孤独感から人に助けを求めることが多い。

鬱2:起き上がれないほどの倦怠感。手足が痺れ、過呼吸になることもある。顔が明らかに変化し別人のようになる。息から血の臭いのようなものを感じ、意識も半分朦朧となる。脳内は常に自分のおかした過ちや失敗、トラウマなどのネガティブな感情に支配される。無意識に涙が出る。とても強い孤独感を感じる。人と話していると症状が少し緩和されることがある。

鬱3:意識と記憶がほとんど薄れ、寝たきりの状態から動けない。顔は更に変化して異常者だと一目でわかる顔つきになる。正常な判断力は失われ、脳内は常にネガティブな思想や妄想に取り憑かれる。妄想と現実の区別がつかなくなる。過呼吸になり、常に手足に痺れや震えが発症する。自傷リスクが高い。

無気力状態:私の場合、稀にしか発症しないが躁でも鬱でもない狭間に無気力状態が発症する。この状態になってしまったら物を見ることも食べることも聞くこともあらゆる行動に興味がもてなくなってしまい、非常に退屈な時間を苦しむことになる。例えば漫画を読んで気を紛らわそうとしても、何も読む興味がわかないので、漫画のタイトル一覧だけを数時間眺めて、何を読むかを決められないことも多い。発症の条件などについてはよくわかっていないが、確かにこのフェーズが存在するので記載した。

共通項として躁状態では睡眠時間が3時間以内のショートスリーパー状態になる。
鬱状態では12時間寝ても眠い時があるくらいのロングスリーパー状態となる。

また、躁状態では食欲や性欲が強くなり、鬱状態では減衰する。
この為、現在の自分がどのフェーズにいるのかを認識する為に、私はまず最初に自分の三大欲求を観測することが多い。

双極性障害とADHDのメリット

この2つの障害について、私が前向きに考えられるメリットも存在する。
双極性障害の人々はしばしばクリエイティビティが高いとされていて、頭の回転が早く、また感情の起伏が激しい為、斬新なアイデアが思いついたり、芸術作品を作ることに向いている。

また、感情の起伏の激しさから人の心に共感する能力が高く、これが作品に反映されることで感情に訴えかける芸術が生み出されることもある。
躁状態では無限にも思える程の行動活力があるので、通常では考えられないくらいの活動量・作業量をこなすことができる。

最近の事例で挙げれば、私が主催したイベントの準備の為に朝6時から25時までの作業をほぼ集中力を途切れさせず、1日も休まずに約2ヶ月続けたことだ。

クリエイティビティや斬新な発想、高いエネルギーレベルの発現はADHDのメリットとも重複していて、両方疾患している私としては状況によっては2段階のバフがかかっている状態ともいえる。

これらのメリットについてはあくまで個人差があるということだが、幸いなことに私には全て強く発現しており、現在に至るまでの私の創作活動を支えてきたと思う。

現に今日も軽い躁状態のために得られたパワーが約1時間でこの記事の全文を私に書き上げさせた。

ただし、メリットだけに目を向けて良いわけではなく、やはり適切な知識や治療、理解者を得た上での要素にすぎない。この障害が悪化して作品すら書けない状況になってしまえば、これらのメリットは何一つ役に立たないからだ。

医師に初めて診断された際に、あなたは音楽家だし、そこまで悲観されない方が前向きに治療に向き合えるとアドバイスされたことを覚えている。

音楽家にとっての双極性障害

実は躁状態は軽度のものであればとても気分が良いものだ。
思想がポジティブになり、創作や仕事に対してもとてもモチベーションが湧くのだ。
無限に感じる程の行動エネルギーが沸くが、暴走するほどでも無い絶妙なバランスの状態だ。
私が生涯で5000曲以上も作曲できているのもこの躁状態のエネルギーが深く関与している。
双極性障害という病気は音楽家にとってはメリットも大きいのだ。

Q.双極性障害は作曲に有利か?

A.双極性障害は、創造的な分野である音楽や芸術分野での成功に関連することが知られています。多くの双極性障害の人々は、非常に才能がある音楽家や作曲家、芸術家、作家などとして知られています。これは、双極性障害の人々が、感情や情熱、創造力に富む人々である可能性があるからです。
躁病期には、創造力が高まり、アイデアやエネルギーが豊富になるため、作曲や音楽制作などのクリエイティブな活動に取り組むことができる可能性があります。また、躁病期には、リスクを冒してまで、大胆で斬新なアプローチをとることができることがあります。
一方、うつ病期には、創造力が低下し、エネルギー不足に陥るため、クリエイティブな活動が難しくなることがあります。しかし、うつ病期には、感情や情熱が豊かになるため、深い感情を表現する音楽や歌詞を作り出すことができる可能性があります。
双極性障害は、治療が必要な深刻な病気であり、音楽や作曲の才能を持つ人々も、その病気から逃れることができないことがあります。治療を受けることで、双極性障害による健康被害を最小限に抑え、クリエイティブな活動に集中することができるようになることが重要です。

GPT4より

改善に向けて

双極性障害は生涯完治しない病気と言われている。
人によっては気分の問題のように感じられるかもしれないが、実際に脳やホルモンなどに多くの異常や損傷が現れていると言われていて、身体的な障害とも言えると私は思う。
だから私は自分自身の呪われた行動や症状について、改善は不可能なものであると悲観的になっていた。

薬物療法について

双極性障害には薬物療法が有効だと言われている。
実際に私は専門医と相談の元に様々な薬物療法を試みた。
症状は改善されることもあるが、次第に薬に耐性ができてしまい、薬を強めたり種類を変えるアプローチが必要になった。
しかし、どんな薬物療法も双極性障害の症状を完全に抑えつけるためのアプローチなので、私の感情の起伏や創作意欲、エネルギーは全て失われ、作曲が出来なくなってしまったのだ。

感情と気力と作品を引き換えに平和を手に入れたが、感情が無くなっているので特に喜びは無かった。

音楽が作れなくなったことに危機感を感じた私はすぐに断薬した。
音楽の仕事が出来ないので家賃の高い東京のタワーマンションを解約して以前住んだことがある福岡へ引っ越した。
何故いきなり東京から福岡なのかは私自身もハッキリとは分からない。

薬の反動によって半年近い地獄のような期間があったが、私はこれを乗り越え、その苦悩からの解放の曲として『シャイニングスター』という作品を書いた。

なお、薬物療法について私の取った行動はあくまで個人的な意見と行動で、実際の双極性障害の治療には専門医による相談のもと考えてほしい。

私は自分の音楽で作曲専門の株式会社を立ち上げ、その会社の作曲家である私が長期間倒れると倒産の危機だった。断薬は私にとってプロ作曲家としての苦渋の決断だった。

AIによる分析

私は現在の軽度の躁鬱のサイクルという比較的健康な状態であることを活用し、病気についてより理解を深め病状と人格の改善を試みることにした。
そしてGPT4を使い、自分のあらゆる思想や行動パターンを分析させていくうちに、いくつかの点に気がついた。

今回の記事はあくまで双極性障害の説明や前知識を主体として書いているので詳しい内容については省くが、GPTを使い自分の言動と思想、価値観、成功談や失敗談、病気について、今日の気分から好きなこと嫌いなことまで、多角的に自分の良い点と悪い点、その因果や病気との関係性、そして双極性障害の治癒について分析研究した。

その結果、私は自分の普段の行動や思想、些細な癖までもが自分の症状を増幅させている行動・思考パターンに繋がっていることが多いことに気がついた。
つまり本来受け入れていた双極性障害としての症状のうちの何割かは私自身による些細な行動や考え方によって増幅されていたものだったのだ。

これらはとても単純でシンプルなものだった。

例えるなら万年肩こりの患者が自分を研究するうちに、単純に姿勢が悪い点に気がついたというイメージだろうか。
周りから見れば一目瞭然なことかもしれないが当事者は気づかないことなんてよくある例だ。

私は自分自身を更に多く分析し、解明し、諦めていた病状の改善を図ることにした。

現段階で完全な改善には至っていないが、備忘録としてその経過の記録として自分のためにも、このnoteをはじめることにした。

noteで書く内容について、私の体調に対する心配や気遣いなどは不要だ。
これは心配されたくて書いてる文章でもなければ誰かのリアクションがほしいものでもない。私自身のため、同じ病気で苦しんでいる人のためのひとつの記録にすぎない。
それに私は職業柄、常に元気な姿を皆に見せなければならないから。

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