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距離と移動について

コロナになってからの仕事


今日は少しライフスタイルについて考えてみたことを綴ってみようと思います。
僕は2020年3月、コロナ化に伴い働き方は生き方を抜本的に変えよう!と決意しました。それまで7時〜25時でフルタイム働き、土日返上(というかそこが最も仕事をしていた日)で友人達の結婚式を何十件と断り、20代を「仕事」にかけてきた。集中してきたといえば聞こえはいいが、仕事に逃げていた面も多々ある。プライベートを置き去りに、家族との時間もほとんど取らず、家族旅行も深夜合流、朝には家族分の宿泊費を全額払って早朝に仕事に戻る。など今思えば全く意味のない時間を一生懸命「やりくり」していたように思います。

そこからもう一度人生に主権を取り戻すべく、自分を縛る存在や人間関係を見直し、僕は東京と田舎を行き来する2拠点生活(正確には山梨と長野と東京なので3拠点)を始めました。

移動という自由を得て

コロナ禍もあり高速道路はとても空いてて、車を飛ばせばあっという間に都会のコンクリートジャングルを抜け出し、緑が生い茂り生命活動が感じられる八ヶ岳付近や、大好きな登山のメッカである北アルプスあたりに時間を見つけては足を運んだ。
拠点も作り上げて、(一つはプライベートキャンプ場ともう一つはスエーデン調のログハウス的な広大な家)気が合う仲間達と本当に夢のような時間を過ごしました。

山口周さんの本で
「人生のクリエイティビティは移動距離に比例する」
という言葉がとても印象に残り、2020年はとにかく動く、移動するということには全てのリソースにリミッターを設けずに動くことにした。
東京〜長野はもちろん、北海道〜九州までほぼ制限なく動き回り、車は3年間で25万キロという恐ろしい移動距離を経験。笑

2台のジープと1代のランクル60を乗り潰し、言葉通り飽きるまで
「自分を別の環境に身を置く」
ことを試してみました。

その結果

その結果を振り返ると
・今まで接していた人とは全く違う人種とのご縁が急増
・大切にしたいことの変化
・自分のライフスタイル(消費)の見直し
・自分の新しい感性の発見

など文字通りお金では買えない貴重な財産を手に入れていることに気がつきました。語り尽くせないほどの贅沢な時間だったな〜と心から感じています。

特に自分のパラダイムの変化は著しく、今までは東京の中のビジネスパーソンとしてみんなが似たような尺度で評価される世界の中でいました。なのでまずは①収入が高いほうが勝ち②いい家に住んでいる方が勝ち③いい服を着ていていい時計、いい車、を持っている方が勝ち(コーチの財布を持っている経営者とエルメスの財布を使っている経営者で一瞬にして勝負が決まる。。。)④モデルのような彼女がいる男性は勝ちなどなど。。。

猿でもわかるぐらいわかりやすい評価尺度がそこにはあり、その尺度で競うわけなので、みんな似たような姿、考え方、着る物、乗る車、ライフスタイルになっていく訳だ。

ご多分に自分ももれなくその評価基準に則り、その生活をしてみた。
アットリーニの手縫のスーツに身を包み、既製靴最高峰のジョンロブの靴を履き、腕にはパテックフィリップを付けて、マイバッハに乗り込む。

今振り返ると笑えないぐらい酷い「盲目的な世界の住人」だったなと落胆を通り越してゾッとする。

別世界での評価尺度

ところが、人生に「移動」というものを取り入れてみると、とんでもない変化が始まった!!
田舎に行くと道が細く、農業用道路は舗装がされていないので、5500センチを超えるベンツなど本当の用無し迷惑。4区のジープがヒーローになる世界。また度重なる水害や震災などの支援にも足を運ばせてもらったが、緊急物資を運べる積載空間があり、悪路走破性が高いランクル60などは神がかった存在。どっちの車もマイバッハ1台買うお金で10台近く買える笑

洋服も自然界に行けばネイビーブルーのシルクのスーツなど何の役にも立たず、980円のワークマンのデニムが圧倒的頂点に君臨する!暴風で耐熱で焚き火の火の粉がとんでも全くの無傷、そして防臭で頑丈で長持ち!

あげればキリがないほどのパワーバランスの違いを一つ一つ経験していくことで凝り固まった「盲目的な世界」を分解していき、本来あるべき人間としての大切なことを感じたりする経験が何よりも貴重でした。
一つ20万以上する靴を一足我慢するだけで、災害現場では心から感謝され、何十人もの人が幸せに過ごせる食糧を渡すことができる。

消費と創造


その地域、場所にはその地域独特の世界観が存在する。その世界観の中で良しとされるものは決して東京のビジネスの社会でのそれとは全然違うんだということを目の当たりにました。そして東京では全てが値札で買えると錯覚している。が、それは幻想で田舎や地方で生産された物品が流通の中で東京に持ち込まれ、そこにはクリエイトする力が何一つ備わっていない(水も空気も食べ物も)人種の「都会人」が唯一自分を正当化するために手に入れた「お金」という幻想を、かわいそうだからそれで交換してあげているのが

「地方での創造→東京での消費」

という構造なんだな〜とふと高速道路で長野から東京に向かう時に感じたんです。なんと虚しい世界の中で一生懸命幻想と競争していたんだろうと。

その時初めて「人生の価値は何を得たか、ではなく何を残したのかだ」というネイティブインディアンかどっかの部族の言葉が稲妻のように降りてきました。そう、僕らは「どれくらい消費できる力があるか」が収入であり、所得であり、その消費力を高めるために一生懸命に生きている。

でも地方と自然界の中で見た人間は「どれくらい生産できるのか?どれくらい創造できるのか?」に真摯に向き合う人たちだった。

そのベクトルは初めは小さな違いしか見えないが、噴水のように上に行けば行くほど真逆に分かれて全く違うところに着する水のように人生のゴールを決める。

これからのテーマ


ある神社の神官から
「今世の成功とは自分の晩年に子孫の幸せと繁栄を見ること」
という言葉をいただいたことがあります。
きっと消費力を競うと競争になり、消費したものを自慢し、勝負の世界に入る。負けたら悔しさが残り、勝てば敵から念が飛ぶ。そんな拡大・競争の世界から、自分が何かを生み出しその価値を分かち合い、横ろびを創造する人生にシフトすることで、繁栄ある人生が始まるのかな?とふと思うようになりました。
なのでこれから「喜びを創造する」ことが一番の人生のテーマとして少しでも徳を積めるように精進していきたいと思います。

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