【サークル解散】自分ですべてやるのがリーダーじゃないよという教訓
今回の記事は Panasonic × note の「あの失敗があったから」について
実は自分、所属していた大学のサークルを解散させてしまう原因の一端を担ってしまったと思っています。
今となっては大学院に進み、当時のメンバーも大学からは卒業したので実質解散してしまいました。
どんなサークル
ものづくりをテーマに活動するサークルで、小学生向けの工作教室の開催とCanSatと呼ばれる小型のロボットのようなものを製作し、大会への出場という活動をメインに行っていました。
どちらの活動も楽しくて、当時は精力的に活動していました。
経緯①1年目
そのサークル自体、自分が入った当初はサークルでもなく、ただの学生団体でした。大学の非公式のサークルみたいな感じです。それでも先輩方は10人以上はいて、3年程度は活動しているしっかりした団体でした。
自分も大学1年生の時は、先ほど説明した工作教室や小型のロボット製作に打ち込み、それなりに知識を蓄え、先輩や同級生とも仲良くやっていました。
大学のサークルあるあるかもしれないですが、メンバー間での意識の高さ低さの差がかなりあった気がします。自分はなんでもやりますやってみます。先輩方教えてください~。のようなスタンスだったので、なんでもやらせてもらって楽しくやっていました。そうではないメンバーもいたかもしれません。
経緯②2年目、代表になる
その後学年が上がり、正式なサークルになっていこう、というタイミングでそのサークルの代表になりました。
学年が上がっても、自分のスタンスは変わらず、なんでもやってみる/みたいという感じでした。先輩方との打ち合わせ、大学へのサークル認定書類の処理や、活動費を支援してくれる団体へのプレゼンや書類の提出、などなど。
自分のサークル程度の人数だと、日ごろのサークル活動もやる気ある人だけでディスカッションを進めてロボット作ったり打ち合わせを進めたりという感じでした。
個人的には充実していて楽しかったのですが、まわりから見たらしらけますよね。ただ、その実態をあまり知らない先輩方からしたら、お、代表は頑張っているな~と見えたかもしれません。
また、その時は野球部と兼部していたり家庭教師のアルバイトをしていたりでサークル活動に参加できない日もありました。知識は一丁前にもっているがサークル活動に来ない代表、みたいになっていたと思います、申し訳ない、、、
これらはほかのメンバーからしたらたまったもんではないですよね。しかもこの年のロボットの大会は団体設立してから初の書類審査で落選。何もかもうまくいかなかったです。
経緯③その後
その後はメンバーがみんなモチベーションあがらずかもうすでに空中分解していたかいつの間にか解散、という感じでした。それでも一応先輩方の協力もあり2年くらいは続いていたのかな。当時のメンバーとはそれ以来疎遠になってしまった~。
実は自分だけは先輩のご厚意でその後も先輩方とロボットを作ったりしていました。本当に先輩方はいい人たちでした。。自分だけ先輩方と仲良くて、という構図もよくなかったかな、と思うこともあります。ただ先輩方は悪いわけではないので、、
結局何がダメだった?
自分のリーダーとしての力不足だったと思っています。(なんでも自分で抱え込んでしまった)
サークルとしては先輩も後輩も各学年4~6人程度はいましたがたぶん本気でやる気な人、普通くらいの人、あんまりやる気がない人、それぞれいたと思います。
サークルだから、そんな感じになるのは当たり前で、それぞれ全員にメンバーの一員としての意識をもってもらうように仕事をお願いしたり、コミュニケーションとったりすればよかったのかな~と思っています。(ここで間違ったこと言っていたら全然教訓になっていないので教えてください!!!!!)
この教訓をいかして研究室活動ではみんなに仕事を割り振るようにしています。まあ研究室は選んで入ってきているのでみんなやる気があるのでちょっと環境が違うな~とも思いましたが、こんな悲しい出来事を起こさないように今後気を付けたいです。
アフリカのことわざでこんなものがあります。
早く行きたければ、ひとりで行け。
遠くまで行きたければ、みんなで行け。
「If you want to go fast, go alone. If you want to go far, go together. 」
まさに、でした。
きっとこの先も団体活動をしていくことになるので、周りの人と協力して頑張りたいです。
記事を読んでくださりありがとうございました!自己紹介記事はこちらになります。もしよろしければ合わせてご覧ください。
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