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できるよ。大丈夫。

どうも、やっちです。

振り返り×習慣化の軸がすっかり定着して、あまりその手の本も読まなくなりました。独自の方法が進んでいるようです。

2018年から手帳について深め、昨年はデジタルと紙の考察がテーマでノートをたくさん使いました。今や「使いたい時に使いたいもの使う」という決してポジショントークできないポジションに。笑
(仕事にするとか関係ないとこうなりますね)

そして、振り返りを深めた5年のあとは、
振り返ったあとにどうしていくか?について。

少しでも軽く、早く、柔軟に、変革を起こして前進するサポートがしたくて、自身の観察を経てようやく方法が確立されつつあります。

願いが叶いそうな、効率的で生産性の高い方法が目の前にあったとして、なぜ人はそれを手に取らないのか?

そこを観察してみると、人は願いが叶いそうなものが現れると必死に抵抗することがわかっています。変わらないことが安全だからです。
でも自分の思いとしては変わりたいわけです。
矛盾してますよね。

変わらないメリットを守ろうと、たくさんの言葉が浮かんできます。
お金が、時間が、人が、環境が、etc…

自分はやりたいのに〇〇が自分を邪魔するのだと、自分がもうひとりの自分を説得し続けています。

覚悟が必要だと言う人がいます。
確かにおっしゃるとおりです。
最終的に一歩踏み出すのは誰でもない自分自身しかいないのだから。

でもね、やっぱりいるわけですよ。
あと一歩、どうしても踏み出せない人が。

あと一歩進めたら、その先には自分が想像だにしない素晴らしい世界が待っているのに、元に戻ってしまう。

なんかこれ、残念ですよね。
「あと一歩」に来るまでに、その人がどれだけの努力をしてきたことか。どれだけ苦しんできたことか。どれだけ人との喜びを分かち合ってきたことか。結果が出ることで救われることがある。これまでやってきたことは間違ってなかったんだと、自信にすることができる。

報われた人はいい。
報われない人は、何を糧にすればいいのだろう。

自信がついたなら、自分が他とは違う特別で美しい存在で、きっと何かを成し遂げるはずと信じたあの頃のように、うまくいく気しかなくなる。

自分を止めているものはなんだろうか?
本当に、まわりの何かが自分を抑えてる?

自分自身が止めているなんてこと、誰かから聞いた。本で読んだ。知っている。
でもどうしようもない。

そんな人のサポートができないだろうか。
武器を授けるわけでなく、
ただ話を聞くだけでなく、
引き出すわけでなく。

川に大きな岩が転がり流れをせき止めてしまったのなら、流れの滞りをそっとずらすような。

そんなことを考えながらのゆる体操。
今の自分なら、描いたサポートを現実にすることができる。そこにどうしても到達できなくて歯痒さしかなかったあの頃の自分を救うように。イメージがどんどん湧いてくる。

さぁやるぞと踏み出した2017年から、ボコボコにやられて立ち尽くしたここ数年、自分がやりたかったことに立ち戻り、もう一度挑戦してみることにした。どうやら孤独にちがいない。でも自分を支えてくれる人の顔を浮かべてみると、なんだかどうでもよくなる。

あの頃描いた夢を、今の自分で実現させてみようじゃないか。やれる気しかしない。どんな方法でもいい。自分なりにやってみたらいい。

自分に変革をもたらしてくれた人たちが、自分の成長した姿を見て誇れるように。
そして、自分もまたそんな人たちの一員になりたい。心から命を輝かせたいと思った。
そして、それができると知っている。


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