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私が読み聞かせをする理由-罪滅ぼしだよ!人生は!-

 

 今週は次女のクラス、来週は息子のクラスで読み聞かせのボランティア。何を読もうか、どんなクイズを出そうか、スキを見つけてはニヤニヤと本屋さんや図書館を徘徊して回る時間は、幸せそのものだ。今年10歳の息子が保育園に行き始めた1歳8ヶ月から絵本ボランティアの活動に参加しているので、かれこれ足掛け9年間、もう趣味と呼ばせてもらっても怒られないだろう。
 待機児童のためつなぎ保育園にお世話になったことや、意図せぬ転勤続きの10年間で、3人を義務教育に送り込むまでにまさか、通算11園にお世話になるとは思わなんだ。常に「転校生ママ」だった私だが、声をかけられた絵本ボランティアの誘いにはすぐに乗ってきたので、そんなに寂しい思いや困ったことはない。
 「なんでこいあみは読み聞かせやってるの?」と聞いてくれたのは、先日もお話に登場してくれた、mayuちゃんだ。なんでだろう、ちょっと考えてみた。ひとつには、この私の転園遍歴から、絵本ボランティアをしているママたちの毛穴からは慈愛と友愛の精神が溢れていて、優しいことを知っていたからだと思う。実際に、絵本を通じたお友達とは、離れてからも仲良くしてもらっている。心を癒やす絵本の持つパワーが人を優しくしてくれるのか、もともと優しいおかあさんが絵本を読んでいるのか、引っ越しと手続きと新生活に疲れた私を新天地でいつも癒やしてくれたのは、絵本を読む時間だったように振り返る。
 まだある。絵本ボランティアをしていると、参観日ではない通常のありのままに近い子どもたちの姿を見ることができる。朝であれば、朝の新鮮な感じ、帰りであればお疲れ感。授業参観では感じられない空気を知ることができる。子どもたちから名前が出たお友達や好きな子をちらっと探りを入れるという、なかなか悪趣味な楽しみ方をさせていただいている。絵本を一緒になって聞いてくれる先生か、それともデスクに向かって忙しいアピールしてくる先生か、廊下で思いっきり窓の外見て休憩するタイプの先生か、本当に教室の先生というのは、面白いのだ。自分の子どものクラスも楽しいが、いないクラスはいないで楽しい。気楽にスベれる。子どもたちは、大人が思っているよりずっと優しい。笑ってくれる。絵本を通したら、自然と15分一緒に小旅行できるのは不思議なことだ。

 まだ、あった。おそらく私が読み聞かせする本当の理由は、これだ。話は小学4年生まで遡るけど、まゆちゃんまだ付き合ってくれますか。私の母は保育士で、小学校の図書クラブかなにかに所属し、絵本ボランティアのようなことをしてくれていた。母は、子どもたちの心をつかもうと、保育士仕込みの仕掛けつきエプロンや、人形がついた手袋を持参し、その狙い通り、大いに盛り上げて、アンコールが沸き立ったこともあった。私はそれが嬉しかった。小学3年生のある日、までは。なまいき盛りの3年生とあって、絵本の時間が終わって、母が先に帰った後も、クラスのやんちゃな男子たちは悪乗りして静まらず、私のことをからかってきた。母が歌った歌をもう一度歌え、とか、しつこく絡んできた。そのなかでもひときわしつこかったのは、家が不運にも近かったえーくんだった。えーくんは仮名と言いたいところだが、これが本名由来のあだななので仕方ない。えーくんが、ランドセルをひっぱったり、叩いたりするもんだから、私は道端で転んだ。私は泣いた。痛くて泣いたんじゃない。恥ずかしくて、おかあさんが来なきゃよかった、と思って、泣いた。エンエンとではなく、さめざめ泣いたので、えーくんはいつの間にかいなくなっていた。これでようやく歩ける。私はただいまも言わず、部屋にあがった。
 翌年、当時は2年間クラス持ち上がり、都合よく、えーくんだけ転校したりすることはなく、そして私ももれなく1年分悪知恵をつけて、4年生になった。春、「図書クラブボランティアご協力の依頼」「はい」と「いいえ」で答えて半分切って、提出するプリントを、私は、いいえにマルをして名前を大人っぽい感じで書いて出した。
 母は、きっとボランティア仲間たちから「あれ、こないの?」的なことを絶対聞かれたと思うが、私を咎めたりすることはしなかった。2つ下の弟のほうに、参加していたのかもしれないし、していないかもしれない。そこは聞いたことがない。多分今更聞いても忘れっぽい母のことだ、忘れていると思う。高学年になったら、子どもが恥ずかしがるからと辞めるお母さんも多いから、うちの母もそうやって納得したのかもしれないし、違うかもしれない。ただ、自分が母になり、やっぱり勝手にプリントを出したのは良くなかったなぁ、と回顧し、いたたまれない気持ちになって、罪滅ぼしではないけれど、母が嫁に行っても捨てずに取っておいてくれた絵本を、大切に読みつなぐことくらいは、私に今からできることかなぁ、と思って、始めた気がする。息子もあのときの私の年令になった。親の目を盗んだり、話せないことも2つ3つ出てきた頃だろう。そのうちもう俺のクラスには来るなという日も近いかもしれない。
 その日が来るまでは、喜んでいかせてもらおう。そして、そのときは、あの時母が私を咎めなかったように、おしゃべりな私の口をつむぎたい。


と今のところは、思っております!
 ちなみに、すっかりこのエピソードでは悪者となってしまったえーくん、ヤンチャ坊主も中学高校とガリ勉になり、今は立派なお医者様になって世の中の役に立っているので、私のことをからかったり、転ばせたお咎めは、御免としてやることにします。
 ここまでたどり着いたかた、おめでとうございます。ありがとうございます。絵本の読み聞かせは科学的にもいいことばかりなので、今度は役に立つことも書きます🦥

 
 


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