京都・六角堂の枝垂桜
ご訪問ありがとうございます。
所用で京都に参りましたら,シダレザクラ(御幸桜)がほぼ満開でした。
場所は六角堂です。
新型コロナの影響か,あるいは平日だからか,人出はまばらでした。
1 六角堂とは
六角堂(頂法寺)は,寺伝によれば飛鳥時代,考古学的には10世紀ごろの創建とされています。六角堂は頂法寺の本堂でありかつ塔頭(たっちゅう)で,池坊が執行(しぎょう)として代々管理に当たってきました。この池坊の第12世専慶(15世紀ごろ)が立花の上手として知られ,やがて「いけばな」,「華道」として体系化されていきます。池坊は今でも華道の家元として脈々と伝統を受け継いでおり,六角堂には家元道場や池坊会館が建てられ,いけばな普及の拠点となっています。
2 御幸桜とは
境内のシダレザクラにつけられた「御幸桜(みゆきざくら)」は,悲劇の天皇として知られる花山法皇(968~1008年)が,996年に六角堂に御幸され,これをきっかけに西国三十三か所観音巡礼が再興されたことを受け,花山院前内大臣(かざんいんのさきのないだいじん)が,
世をいのる 春の初めの 法(のり)なれば 君か御幸の あとはありけり
と詠んだことを縁起とするものだそうです。この花山院前内大臣が誰を指すのかは調べてもわかりませんでしたが,花山院家は11世紀に建てられた家ですので,花山法皇の時代からすれば後世のことなのでしょう。
3 桜の品種
桜は古来日本人に愛されてきた花ですが,いま私たちが桜といって真っ先に思いつくソメイヨシノは,江戸時代後期にエドヒガン系とオオシマザクラ系の交配により生み出された園芸品種で,中世以前には存在しない桜です。
御幸桜の品種をWebで調べると「富士シダレ」だと指摘するページは見つかりましたが,富士シダレがどの系統の桜かはわかりませんでした。名前からすると,エドヒガン系とマメザクラ系の交配種なのでしょうか?
農学系の論文を見ると,古代に鑑賞された桜の品種は,ヤマザクラ,エドヒガン,カスミザクラが多かったと推定されているようです。
もっとも,史料には「花」とのみ出ることが多く,よくても「櫻」止まりなので,品種までも詳細に特定することはできません。
さらに厄介なのは,奈良時代ごろまでは,「花」といえば「梅」を指し,平安時代(おそらくは9世紀中葉ごろ)以降,これが「桜」に変わったとされていることです。
和歌などを見ても,花名が特定されていない場合,花の種類は,その他の記載や季節,時代などから推定しないとわからないということなのです。
4 桜を詠んだ和歌
日本で初めて桜を詠んだ歌とされているのは,允恭天皇(5世紀ごろ)の紀伝を記した『允恭記』(日本書紀)に記載される
花細(ぐは)し 桜の愛で こと愛でば 早くは愛でず 我が愛づる子ら
で,允恭天皇が,衣通郎姫(そとおりのいらつめ)に贈った歌とされています。
この歌には「桜」が明記されています。
他方,奈良時代の歌で,小野老(おののおゆ)(8世紀)が詠んだ
あをによし 奈良の都は 咲く花の にほうがごとく 今盛りなり
は,比較的有名な歌ですが,この「花」は,時代からすると「梅」ではないかと思われます。しかし,この花は「藤」だとする見解もどうやらあるようです。当時の小野氏の置かれた立場や,藤原一族の伸長を考えると,あり得ない解釈ではなさそうです。
時代は下って,紀友則(9世紀中ごろ~907年)が詠んだ
久方の ひかりのどけき 春の日に しづ心なく 花のちるらむ
は,百人一首にも撰出された有名歌ですが,この「花」はおそらく桜でしょう。
さらに時代は下って,平安時代末期から鎌倉時代初め,西行(1118~1190年)の詠んだ
願わくば 花の下にて 春死なむ その如月の 望月の頃
これは確実に桜ですし,その後生み出されたソメイヨシノが私たちに与えている桜の凶暴なまでの盛花と,あっという間に散りゆく儚さをまさに体現するかのような歌です。個人的には,桜を詠んだ歌の中ではもっとも秀歌ではないかと思っています。
なお,西行の時代は旧暦(太陰暦)ですので,満月(=望月)は毎月15日ということになります。したがって,如月の望月のころとは,旧暦2月15日を指します。そして,西行は,文治6年2月16日に亡くなっていますので,まさに,「如月の望月のころ」に亡くなっています。
5 終わりに
今年は落ち着いて桜を鑑賞することが難しい世情です。
桜が咲き,春の訪れが本格化するとともに,疫病が退散することを上古の人のように祈願するばかりです。
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