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【短編小説】砂像(作:小林亀朗)

 何も聞こえない。寄せては引く波の音以外は。風も吹かないし、鳥も鳴かないし、あなたも私も喋らない。ただただ二人で遥かの水平線を眺めるだけ。
 たまに船が見えたような気がして目を凝らしても、それは気のせいだったりする。たまにあなたが喋ったような気がして耳をすましてみても、それは気のせいだったりする。
 規則的な波の寄せ返りは眠気を誘う。私は砂浜に少しばかり生えている雑草の上に腰を降ろし、裸足の足を見つめる。あなたは足首を波に洗わせながらまだ水平線を見ていた。二人の間の距離はちょうど良い距離で、寂し過ぎもせず、うざった過ぎもしない。
「何か見えるの?」
 と訊いても首を横に振るくせに視線を沖から離さない。
 どの位の時間が過ぎただろう。空は相変わらず曇ってはいたけれど、少しずつ日が落ちつつあるのは分かった。
「帰ろうか」
 そう私が言ってあなたの方へと歩を進めると、あなたは首を横に振る。私は構わず近づく。あと少しという所であなたは手を差し出した。苦笑いしながら私も手を伸ばす。

 触れた時、あなたの指先は崩れた。私は最初何が起こったのか分からずに必死にあなたの手を掴もうとした。でもあなたの手も、腕も、肩も呆気なく崩れ落ちた。
 あなたの半身は無くなった。もう片方の手をあなたは私の方へ差し出す。私はたまらず後退りする。でもバランスを崩してしまって転んでしまい、冷たい海水に尻餅をつく。ズボンの生地から侵入した海水が、私の下着や素肌を濡らすのを私は感じていた。
 あなたは私を起こそうと手を差し伸べる。その手が、腕が、肩が崩れていく。体重を支え切れずに、あなたは細くなった身体についた重そうな頭を私の方へ倒して来た。
 逃げることなどできなかった。あなたの顔が私の顔に触れた瞬間に、あなたの胴体が私の胴体に触れた瞬間に、あなたの脚が私の脚に触れた瞬間に、全ては終わった。
 私はバラバラになったあなたの身体を見つめていた。砂浜に転がったあなたの欠片は無数にあって、とても拾えそうになかった。私は海水に下半身を浸しながら、浜辺に一体化しようとしている砂の欠片たちを見つめていた。
その時、一陣の風が吹いた。ヒュルルと音をたてて私の前を吹き抜けていった。風は運んでいった。あなたの欠片たちを。風が吹き終わった時そこには誰もいなかった。私も最初からそこにいなかった。

 気付くと私は浜辺にいた。スニーカーを汚さぬようにコンクリート敷きの陸から曇天の海を見ている。
 何も聞こえない。寄せては引く波の音以外は。

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