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知識&経験ゼロでアメリカ4部クラブを立ち上げた時の話

皆さん、こんにちは。アメリカのプロサッカーチームでチーム運営統括をしたり、ハワイでスポーツアカデミーを運営したり、プロスポーツチームの動画撮影・分析をしたりと、アメリカのスポーツビジネス界に身を置いている大澄紅希です。

去年の秋のこと。アメリカの大学を卒業したという日本人の方から突然連絡があった。「アメリカでサッカークラブを立ち上げたいので、是非お話しを伺いたいです。」私も遂に人から頼られる立場になれたんだなと嬉しくなったのを覚えている。

今年で32歳を迎える私だが、25歳の時に初めてサッカークラブを立ち上げた。それもアメリカで。それも知識と経験を一切持たずして。大学の専攻?総合政策という謎の学部である。何を学んだかは覚えていない。というか勉強という勉強はこれまで特にしてこなかった。無論、”スポーツビジネス”などという大層なものを学んだ記憶は一切ない。就活も負け組の人間だ。そんな私が、大学を卒業してからわずか2年後に、アメリカでサッカークラブを立ち上げた。それもただのサッカークラブではない。加盟金500万円の支払い義務が発生する、いわゆるフランチャイジーとしてのサッカークラブだ。先に言っておくが、自慢をしたい訳ではない。そんな薄っぺらい記事にする気はサラサラない。このnoteで伝えたいことはただ一つ。

やりたいことがある人は今すぐにでも行動に移すべし

この一言に尽きる。アメリカでスポーツ関連の仕事に携わっていると、ありがたいことに色んな方から連絡を頂く。前述の件も含め、多くの場合「アメリカで本場のスポーツビジネスを学びたい」や「アメリカでスポーツ関連のお仕事に就きたい」といった連絡ばかりだ。そして皆とても真面目なため、ある程度スポーツビジネスの知識を頭に入れた上で連絡をくれる。とても勉強熱心な方達だなと毎回感心させられる。ただ一つ言わせていただきたい。その教科書やネットの記事で学んだ知識が役立つようになるのは、せいぜい5年後だろう。だからそんな事を学んでいる暇があったら、早く何か始めた方がいい。実際に経験しながら学んだ方が何十倍も身に付く。というかインプットだけでは学べることに限りがある。何事も実践して初めて学べるものだ。だからなんでもいいから早く行動に起こした方がいい。

こんなことを言うと必ずと言っていいほどこう返される。「でも私には知識がないので。。。」知識?そんなもの必要ない。行き当たりばったりで十分だ。というかなんとかなる。というかなんとかするようになる。何度もいうが私の場合、知識&経験ゼロの状態で500万円もの加盟金を支払ってフランチャイズを購入しアメリカ4部サッカークラブを立ち上げた。特別なことは何一つしていない。その気になれば誰でもできる。だからもう一度言わせていただく。

やりたいことがある人は今すぐにでも行動に移すべし

では知識&経験ゼロの私が実際どのようにしてクラブを立ち上げたのか。少しずつ振り返っていこう。

まずは徹底的に市場をリサーチ

今でこそ、アメリカサッカーリーグの構造や仕組みはある程度日本語でも情報が出回るようになったが、私が渡米した2014年当時は全くと言っていいほど出ていなかった。なのでまずはリサーチに明け暮れた。アメリカにはどんなリーグがあって、それらのリーグにはどんな歴史があり、今後どのように発展していくことが予想されるのか。プロリーグはもちろんのこと、自分達が参入するであろうアマチュアリーグに関しても徹底的にリサーチした。最初はとにかく大変だった。なんせ英語は学生時代に9ヶ月ほど海外留学で学んだ程度だったため、まずは語学の壁に苦しんだ。その上、アメリカのリーグはとにかく複雑でややこしい。1部から3部までは全てが独立リーグで組織が異なる上に、新たな2部リーグが誕生しようとしてた。日本語に訳したとて理解し難い内容だった。時間はかかったが、徐々にアメリカサッカーの構造を理解することができた。リサーチしては日本語でレポートを作成し、自分の知識にしていった。

そしてリサーチにリサーチを重ねた結果、参入するリーグの候補を2つに絞った。1つはUSL PDL(現USL League Two)。もう1つはNPSL。どちらもアマチュアリーグであり、アメリカ4部に位置していた。大きな違いとしては、USL PDLが現役の大学生を中心としたリーグであることに対し、NPSLは社会人が中心のリーグとなっていた。さらには、USL PDLの方がNPSLに比べて5倍以上、参入に伴う費用が高かった。そして最も重要な事実として、USL PDLは運営母体となるUSLが3部プロリーグも運営しており、組織としての規模もポテンシャルも、NPSLを遥かに上回っていた。このリサーチ内容を当時の会社の代表に報告した結果、リーグの将来性やアメリカサッカー界での立ち位置も踏まえ、前者のUSL PDLに参入(厳密にはフランチャイズに申込み)することを決めた。

USLとの交渉と初のビジネスプラン作成

参入するリーグが決まったため、続いてリーグとの交渉に移った。相手はアメリカサッカー界を牛耳るUSL。緊張しないはずがなかった。リーグのウェブサイトからフランチャイズのアプリケーションページを見つけ、そこに記載してあった番号に恐る恐る電話した。担当者と思われる人間が対応してくれたが、自分のリスニング能力が低すぎて、全く聞き取ることができなかった。なので次はEメールにて連絡を入れた。するとリーグから、「まずはビジネスプランを作成してくれ」との返信があった。

ビジネスプラン。。。???

読んで字の如く、ビジネスのプランを知りたがっているのは理解できたが、具体的に何をどの程度どのようにして必要としているのかなど、さっぱり分からなかった。当時の私はビジネスプランすら知らないほどだったのだ。ただそこは流石のUSL。ビジネスプランに必要な情報を丁寧にまとめ、私に送付してくれた。そしてそこには、「これらの情報を全て集めると最低でも50ページ以上の資料になるはずです。」といった、「最低でも50ページ以上の資料を作成しなさいね。」という含みを持たせた一文が記載されてあった。なんとも絶望的な一文に見えた。ビジネスプランのビの字も知らない上に、まともに資料も作ったことがなかった私が、最低でも50ページ以上のビジネスプランを作成しなければならないという。「サッカークラブを立ち上げるのってこんなに大変なことなの?」後悔こそしていなかったが、前途多難とはまさにこのことかと、先が思いやられたのを覚えている。

ただそんな事を言っていても仕方がない。USL PDLへの参入にビジネスプランの作成は必須であった。ならばやるしかない。とにかく必要な情報をかき集め、資料にまとめていった。特に厳しく見られたのが資金力の部分だった。当時のUSL PDLのフランチャイズの契約期間は3年間。そのためリーグからは、3年間分のクラブ運営費を流動資産で持ち合わせていることを証明せよとの要求もあった。クラブの運営費は試算で年間700万円弱ほど。そこにフランチャイズ費の500万円と、セキュリティデポジットの150万円を足した金額を流動資産で証明する必要があった。リーグはとにかくこの部分に関して厳しかった。USLにはとにかく頭のキレるビジネスマンが集まっていた。USLが2022年時点でここまで成長したのも、内情を知っている人間からすると当然の結果といえる。それほど優秀な人材が集まっているのがUSL。MLSが身の危険を感じて新たにMLS Next Proという3部リーグを作ったのもそういうことだ。アメリカはMLSとUSLの2強なのである。

時間はかかったが、なんとかビジネスプランを完成させた。50ページという壁も乗り越えた。内容もそれなりに充実させることができた。ただ最後は、「もうどうにでもなれ」という思いと共に、USLにビジネスプランを送付した。メールを送ってどれほどの月日が経っただろうか。忘れかけてた頃にUSLから、「Approved」という連絡を頂いた。とにかく嬉しかった。ただそれと同時に、重圧に押し潰されそうにもなった。クラブ名はどうする?ロゴは?スタッフ、選手、スタジアム、練習場、遠征、ユニフォーム、ウェブサイト、スポンサー、ゲームデーオペレーション、資金調達、、、。やらなければいけないことが多すぎた。

「サッカークラブを立ち上げるのってこんなに、、、」

仮に大澄紅希にある程度の知識があったとして、その場合どうなっていたかを考えてみる。クラブの立ち上げには3000万円の流動資産が必要で、50ページ以上の立派なビジネスプランを作成する必要があり、優秀なビジネスマンで構成されるUSLと英語で対等に商談することが求められ、クラブ運営の部分を全て一人で担うことになる。そして何より、この新規事業案を社内でプレゼンし、会社からの了承を得る必要がある。会社も慈善団体ではない。利益を生むことが求められ、そうでなくても、利益以上の価値やリターンを生み出す必要があった。(実際のところ、このプロジェクトを立ち上げ、初期費用の支払いを全て終えたのち、会社から一時的にお金がなくなった時期があった。その際社内では、「サッカーのプロジェクトが無かったらこんなことにはならなかったのでしょうか?」という辛辣な意見も頂いた。)仮に大澄紅希がもう少し優秀で、これらのこと全てをプロジェクト立ち上げ前に理解していたとしよう。そしたらどうなっていただろうか?言うまでもなく、こんな身の丈に合わないプロジェクトをやりたいと思うはずがない。それこそ、「まずは知識をつけてから。。。」という決まり文句を言いたくもなるだろう。ただ実際のところ、無知が故にその一歩を踏み出すことができた。そして一度航海に出た以上、嵐が来ようが、サンダーストームが来ようが、前に進むしかない。知識や経験がないなどとは言ってられないのだ。

最終的に2016年から2019年までの4年間、チーム運営をさせていただいた。実際のところかなり大変だった。身の丈に合わないことをしたので当然ではある。ただこちらのプロジェクトを通して色々と学ばせていただいたし、成長もさせていただいた。正直、会社の期待に応えることができたかどうかはわからない。4年間で黒字が出たのは1年のみだった。それでも私を最後まで自由にして下さった会社に対しては感謝しかない。足を向けて寝れない存在だ。

やりたいことがある人は今すぐにでも行動に移すべし

皆さんも一度は耳にしたことがあるこの言葉。

「やらない後悔より、やる後悔」

この言葉に続きがあるのをご存知だろうか?正しくは、

「やらない後悔より、やる後悔。しかしやって後悔することなど何一つない。

知識や経験がないことを理由にその一歩を踏み出せない方はとても多い。

「失敗したらどうしよう」
「成功する自信がない」

大丈夫。やって後悔することなど何一つとしてないのだから。得ることしかない。20代は特に。こんな私でも知識&経験ゼロでサッカークラブを立ち上げることができた。何も無かった私にでさえ。だから皆さんも絶対に大丈夫。その一歩を踏み出すことさえできれば。だから最後にもう一度言わせていただきたい。

やりたいことがある人は今すぐにでも行動に移すべし

本日もご覧いただきありがとうございました。

大澄紅希

記事をご覧いただきありがとうございます!皆様のサポートが大きな励みとなっています。共により豊かな人生を歩んでいきましょう!