遊歩道と恋のかけらとチョコレート|水色、ときどき、青[連作短篇]
どうしようもなく、ハンバーグが食べたくなった。あの店の、鉄板に乗ったアツアツのチーズハンバーグが。仕事中にそう思い立ってからというもの、私の今日の晩ごはんはハンバーグ一択だった。他のメニューが入る隙間もない。サラダとスープとライスのセットを付けて、食後はコーヒーをいただこう。夜も遅いし、デザートは我慢かな。
そうと決まれば、今のうちにサンプルとテスターを補充して、閉店後はさっと帰れるようにしておかなくちゃ。私は暇な時間を見つけてはいつもより意識してテキパキと動き、ディスプレイされた商品見本やテスター類をピカピカに拭きあげた。ショッピングモールの一角にある某国内化粧品ブランドの販売員、いわゆるビューティーアドバイザー(美容部員とも呼ばれる)が私の仕事だった。
21時過ぎに退館して、十分程歩いたところにお目当てのファミレスはあった。専門学校時代の私のバイト先でもある。店が近づいてくる。外から見える限りでは、店内はそんなに混んでなさそうだ。やっとハンバーグにありつけると思うと、素直な私の胃袋は元気よくぐぅと音を立てた。
「いらっしゃいませ。何名さまでしょうか」
「あ、一人です」
「かしこまりました。こちらのお席へどうぞ」
高校生だろうか。バイトの男の子が席へと案内してくれた。彼のサラサラと揺れる黒髪を見て、くせっ毛の私は少し羨ましくなってしまう。しかも、顔立ちも整っていて、お肌もきれいときたものだ。
「ご注文がお決まりになりましたら、お知らせください」
「もう決まってるので、今お願いできますか?」
「かしこまりました。うかがいます」
私は早速チーズハンバーグのセットと食後のコーヒーを注文した。久しぶりに来てみたけれど、店内の雰囲気はあの頃のままだった。懐かしさが込み上げてくる。
席からは少しだけパントリーの風景が見える。ちらっと覗くと、見知った顔が居た気がして、思わず身を乗り出して凝視してしまった。
(時任くん……?)
いや、人違いかもしれない。私が働いていたのは二年前だ。似ている違う誰かの可能性の方が高い。
「お客様?」
「あ……」
お冷とおしぼりを持ってきてくれたバイトの男の子に、思いっきり見られてしまった。不審者と思われたかもしれない。
「すみません、実は前にここで働いていたことがあって、知ってる人に似てたものですから……」
私は正直に話し、ぺこりと頭を下げた。
「そうだったんですね」
「でも、結構前だから人違いかも」
「よろしければ、店長をお呼びしましょうか?」
「今も宝井店長ですか?」
「はい、そうです」
「来てもらうのも悪いですし、忙しいでしょうからいいですよ」
「そうですか。もし何かあればいつでも声をかけてください」
「ありがとうございます」
丁寧な対応に好感を持った私は、バイトの男の子の名札をちらっと見た。水沢くん。なるほど。バイト仲間の女子からモテてそう。なんて、勝手に想像してしまう。
私がバイトをしていた時は、みんなそれなりに仲が良かったけど、女の子は時任くん狙いの人が多かった気がする。私と時任くんは帰る方向が同じだったこともあって、上がり時間が重なった時はよく一緒に帰っていた。それで一部の子から付き合ってると勘違いされて、ちょっとややこしいことになったりもした。恋が絡むと友情は時に脆くなる。そんなことを学んだっけ。
サラダとスープがやってきた。そうそう、ここの和風テイストのドレッシングが私は好きだった。バイトが休みの時に、学校の友人と食べに来ていたことを思い出す。ひと口食べるごとに当時のことが鮮やかさをもって蘇ってきて、私は懐かしさに浸った。
「お待たせいたしました」
お目当てのチーズハンバーグがやって来た。ライスも一緒だ。運んできてくれたのは水沢くんでお礼を伝えると、あの、と声をかけられた。
「伝言があります。光さんから」
「光さん……って、時任くん?」
「失礼しました、そうです。時任です」
「まだ働いていたんですね……!」
気分が昂まってつい声が大きくなってしまった。だって、あれから何年も経つし、時任くんはもう辞めてしまったと思っていたから。
「もうすぐ上がりだから、少し話せたらと言ってました。無理だったらいいそうです」
「えっ、無理じゃないです、全然無理じゃない。待ってますと伝えてください」
「かしこまりました。伝えます」
「あ……、なんだか伝言係みたいになってしまってますね。すみません」
「いえ」
水沢くんがパントリーの方へ歩いていく。その後ろ姿を見送りながら、私は心を弾ませていた。時任くんとはバイトを辞めてから疎遠になってしまっていた。今、どんな風になっているんだろう。そわそわと落ち着かない気持ちでチーズハンバーグを食べる。そして、ハッと気づく。このチーズハンバーグ、焼いてくれたの多分、時任くんだ。そんな気がする。違うかもしれないけど、あの頃キッチンで鉄板に向かってハンバーグを繰り返し焼いていた姿を思い出して、そういうことにしておこうと思った。チーズハンバーグの味がますますおいしく、特別に感じられた。
食事を終えてコーヒーを飲んでいると、時任くんがやって来た。私服姿の時任くんだ。
「ここ、いい?」
「どうぞ。久しぶりだね」
「ほんと、久しぶり」
時任くんはあの頃より髪が少しだけ長く、顔立ちも大人びて見えた。私たちはふっと微笑みあって、近況報告をし合った。
「まだバイトしてたんだね。会えて嬉しい。さっき伝言してくれた子にもお礼を言わなくちゃ」
「ああ、水沢。今度飲み物奢る約束したからそっちは大丈夫」
「そうなんだ。ありがとね」
コーヒーを飲み終わり、話が弾んでしばらく経っていた。元バイトと現役バイトとはいえ、あんまり長居するのもどうかと感じ始めた頃、時任くんが口を開いた。
「そろそろ出ようか。送ってく」
「いいの?」
「帰り、同じ方向だろ」
「なんかあの頃みたい」
「せっかくなんで、あの頃の話でもしながら帰りますか」
席を立ち上がった時任くんの後に続く。お会計をしていると、宝井店長が挨拶にやって来てくれた。綺麗な黒髪を一つに束ねて、凛とした空気を纏っている宝井店長は、あの頃と変わっていないように見えた。
「立石、またいつでもおいで」
「はい! ありがとうございます!」
レジを担当してくれた女の子の視線が私と時任くんと店長に行ったり来たりしていたので、そりゃ気になるよねと心の中で共感するなどした。帰り際、もう一度振り返って店長に頭を下げた。小さく手を振ってくれたのが嬉しかった。
店を出て少し歩くと、遊歩道の入り口が見えてきた。この遊歩道は、夜は人気が少ない。それにとても静かだから、一人で帰る時はわざと大通りを通って遠回りして帰っていた。だけど、今日は時任くんと一緒だから問題ない。
「ここ通るの、久しぶり」
「俺は週5で通ってるよ」
「バイト続いてるね〜」
「今では一番の古株だよ。まぁ、実際、居心地もいいしね」
「それはいいことだよ」
「仕事の方はどう?」
「頑張ってるよ。好きなことだしね。先輩のご指導にも慣れてきたし」
「ご指導」
「ふふっ」
昔、私と時任くんにホールの作業を教えてくれた人がいた。その人はフリーターで、私たちより数か月先に入った人だった。世の中にはいろんな人がいるけれど、その人は私に厳しく、時任くんには激甘だった。カッコよくて感じのいい男の子を贔屓するのは同じ女だから何百歩か譲って理解出来たとして、機嫌が悪いと掃除の細かいチェックが入り、配膳する所作にまで事細かに指示が入った。でも、他の子にはそれをしないのだ。私は私がいかに無能なのかを嘆きたくなったが、ある時店長がその人に言った。
『ご指導はいいけど、どうも一人に偏ってるみたいだから、他のみんなにも同じように接してくれるかな』
それから私に対するその人からの指導はなくなり、店長には気づくのが遅くなってごめんと詫びられた。私は無能だったわけではなく、気に入らないからいびられていたのだった。当時はそれなりにショックを受けたけど、今ではこうして茶化せるくらいになったのだから、流れた年月を感じずにはいられない。
「立石は好きなこと仕事にしてて尊敬する」
「え、急に何」
時任くんに不意に褒められて、声が裏返りそうになった。
「さっきもほら、仕事の話してる時にいい顔してたし。充実してんだろうなって思ってさ」
「毎日へとへとだけどね。時任くんは、好きなこととか仕事にしたいこととかないの?」
「探し中。就活、そろそろ本格的にしないとだけど、とりあえず良さげなとこ当たっとくかって感じで動いてるだけだし」
「そっか。じゃあ今たくさん情報収集して考えてって感じなんだね」
「そー。でも自分の中の大切にしたい軸とかがわかんないわけ」
「そういう時って頭も心も使うし、未来のこと考え過ぎてちょっと疲れたりするよね。答えが決まってないから」
私はバッグの中を漁り、お菓子の小袋を取り出した。
「疲れた時はチョコだよ。GABA配合はストレスにも効くらしいから」
はい、と渡すと、時任くんは笑いながらチョコを受け取った。
「これ食べて就活頑張るわ」
「うん、応援してる」
私も希望業界が決まっていたとはいえ、就活をしてきた身だ。専門学生と大学生の就活だと違うかもしれないけれど、時任くんを応援したい気持ちは本物だった。
「立石、あのさ」
「何?」
「また、会える?」
時任くんの声のトーンが変わった気がした。顔を見ると、その表情に真剣さが見受けられて、少しだけドキリとした。ただの勘違いや思い上がりかもしれない。でも、時任くんと一緒にいる時の私は、ここ最近の中でも好きな私だった。久しぶりに素の自分でいられた気がする。
「うん、また会おう」
さわさわと木の葉のそよぐ音がする。夜空に浮かぶ星たちの光が鮮明に映る。そして、時任くんの笑顔が、街灯の薄明かりの下、目に焼きついた。
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<あとがき>
ここまでお読みくださりありがとうございます。
今回は仕事をイキイキと頑張っている立石さんと、将来のことを真面目に考え出した光さん(時任くん)の話でした。
青春の1ページに書かれたことを辿るような感覚で読んでもらえたらと思います。
ファミレスを舞台に、水沢くんとそれを取り巻く人々の話を今後も更新していく予定なので、お時間がよい時に読んでいただけたら嬉しいです。
↓これまでの話は下記にまとめてます。
その内、人物紹介も兼ねた相関図でも作ろうかな……。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました!
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