見出し画像

逆理こそが発展の源泉になりうると言う事。〜数学を添えて〜

あくまで“なりうる“である。価値のない逆理もあることに注意する。

本題に入ろう。関数・全射・単射・有限集合・無限集合の定義を既知とする。
水を飲むかの如く使うので知らない場合は調べてみると良い。
(定義域と終域が有限集合で要素の個数が等しいとき単射と全射は同値である。この事実を使ったフェルマーの小定理の証明は美しい。)
有限集合の場合
全単射なる関数がある事と要素の個数が等しくなることは直感的に同値である。

では無限集合の場合はどうだろうか。
残念ながら?逆理とも言える現象が起きる。0を含めた自然数全体と整数全体を一対一対応させる(全単射の)関数が存在する。
1を1へ。2を-1へ。3を2へ。つまり奇数部を正整数部へ。偶数部(0を除く)を負整数部へ。0を0へ。などが一例。
自然数は必ず整数である。逆は言えない。つまり整数に自然数は含まれる。
これを同じ個数とは言えそうにない。
同じ事を思いガリレオはここで引き返した。
時が過ぎ。この逆理を逆手に取った形で理論は発展する。
つまり無限集合を全体と部分との間に全単射が存在するものと定義した。
そして要素の個数に対応する概念を“濃度“と名づけ考察した。
逆理であったはずの現象を無限の特徴づけに使い研究対象としたのである。
そこから華々しい結果が生まれたのである。
逆理こそが発展の源泉になり得た事の一例である


ps)文章書くの苦手すぎるw読みずらいとか厨二くさいとかあると思うけど若気の至りだと思ってくだされば幸いです。そして眠い今2時。眠れないから書いてみたおやすみ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?