結局私は汚れ役
最近は物分かりのよい人になれない。
気難しいというわけではない。物分かりはよいのだが、それを敢えて物分かりがよくない人になって、同僚を指導していかなければならない。
「昔の私はそんなきちっとしていなかったんだけどなぁ」
私自身と向き合ってそんなことを思いながら、顔色を伺い、相手の核心をついて、相手の改善を考えて言わなければならない。
そんな日々が続くと、「本当の私が知っている」「本当の私のよさ」が消えていかないか不安になってしまう。
でも、今年はそれをし続けなければならない。
だって私は
どうせ私は
結局私は汚れ役。