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人生はギャンブル、人間はみなギャンブラーである?! | こじらせ不動産

小さく負けたり勝ったりするのが幸せな人生~考える不動産屋

あなたは「人生はギャンブル、人間はみなギャンブラーである」と言われたら、どんな気がするでしょうか。「確かに人生って不確定なことの連続でできているよね」と納得される方もいれば、「自分は堅実に生きている。おまえと一緒にするな」と思われる方もいらっしゃるでしょう。

たぶん、ギャンブルという言葉にどういうイメージを持っているか、これまでの人生でどういう関与の仕方をしてきたかによっても、大きく違うものだと思われます。親権者や配偶者のギャンブル依存症に悩まされた経験があったり、自分自身がギャンブル依存症だったり。どういう教育を受けてきたかによっても異なるはずです。

結論を言うと、良くも悪くも人生はギャンブルで、人間はギャンブラーであることは認めざるを得ません。ただギャンブラーにも、サイコロを振る(生きていく)上での流儀があって、それを誤ればリスクを負わざるを得ないし、大事なのは小さく負けたり勝ったりしながら最終的につじつまの合う一生を送れるということだと思うのです。

その昔、品格のあるギャンブラーがいた~考える不動産屋

私(阿部)が19歳の頃なので、今から27年前のこと。色川武大『うらおもて人生録』という本に出会い、感銘を受けました。正真正銘のギャンブラー(雀士)であり、作家・エッセイストである著者は、阿佐田哲也のペンネームによる小説『麻雀放浪記』でもよく知られています。

うらおもて人生録を読んでいると、ギャンブラーというのは後先考えない豪放磊落な人でもなければ、怠惰な人でもなく、むしろ悪目立ちすることを好まず、臆病でまじめな人であるように思えます。落ちこぼれを自称する著者には、ある種の品格が感じられると思うのは私だけではないでしょう。

著者は人生を大相撲の15日間に例えて、「9勝6敗を狙え」と説きます。8勝7敗でも勝ち越しだけどちょっと寂しい。だからといって、10勝5敗(二桁勝利)としてしまえば勝ち過ぎ。だから人生というものは、少し勝ち過ぎた(良い思いをし過ぎた)と感じるようなときは、自分から負けを拾いに行くくらいの気持ちでいい。当時の若い私にとって、目から鱗が落ちる思いがしました。

何者かに成り下がることが人生最大のリスクである~考える不動産屋

私は現在、たまたま縁あって不動産業を営んでいますが(時々ミュージシャン)、基本的には何者にもなりたくありません。だから何事においても、この道一筋の専門家と同じ土俵に立っても勝負にはならないはずです。自分には自分のサイコロの振り方、闘い方があると考えています。

いろいろとこじらせてしまっているのかもしれませんが(笑)、私にとって何者かになることこそが、最大のリスクであるような気がしてならないのです。

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