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『伝え方』『受け取り方』~「私ならこうする」は聞きたいが「私のときはこうだった」は聞きたくない

『不適切にもほどがある!』(TBS系列:金曜22時~:主演・阿部サダヲ×脚本・宮藤官九郎:2024年1月26日~)が私の周辺で話題でした。
私はただ懐かしみながら楽しく見ていた。だが周囲には「令和に対しての問題提起だ」「今の空気のおかしさを突いた鋭い作品だ」と言っている人もいる・きっと業界の方やテレビ評論家なのだろう…たぶん。
ドラマなのに・と思ってしまうのは軽薄すぎて、作っている方々に失礼なのかもしれないね。

さて、ドラマはドラマとして、先日耳にした言葉が刺さっている。
『「俺だったらこうする」は聞きたいけど「俺のときはこうだった」は聞きたくないよね』
わかる・その気持ち。私の若いころも同じように思っていたし、今でも私よりも先輩が「こうだったよ」って話しをすると「あぁ~その時とは時代が違うからいらないかな」って感じてしまう。身勝手な私です。

仕事なのに「寄り添う」ってなに

『「☆」の案件に「a」の提案をしたいと思うのです。どう思いますか?』なんて新人さんから聞かれたら
『なぜ「a」の提案をしたいの?』
と問い返すのが今どきの正解なのだと思う。いわゆる「寄り添う姿勢」ですね。
でも聞く前にお願いがあるんですよ。
ちょっとだけでも、その案件について調べ、考えたうえで
『「☆」の案件について、コレコレこういう理由で「a」の提案をしたいと思うのですが、「私さん」はどのように思いますか?』というように自分の意志をこめて聞いてもらうと「寄り添い」やすいと思えるのですが、いかがでしょう。

そもそも「仕事」の向かい方ってなに

もちろん、仕事を始めたばかりでは「わからないが・わからない」状態であると理解しています。また案件によって違う処理の方法がわからないのも仕方ない。
でも多くの場合、過去の経験の中に学べる事例があると思うし、調べるのも仕事なのだから少しは自分で調べて考えてごらんよ…なんて思うのは「不適切」なのかな。

押し付けはしたくない・だけれども経験は伝えたい

『「☆」の案件への対応』の解答を導き出すために「経験」(=前はどのような対応をしたのか)を尋ねてもいいのじゃないかな。経験を積んだ人たちの多くは「経験」を伝えることができるのですよ。
問題なのは「伝える側」の姿勢。尋ねられる前に、ついつい「聞かれてもいない経験」を披露してしまいがちなのだよね。それでいて「面倒くさいジジイだな」と思われるのも嫌ななものだから「押し付けじゃぁないんだけどさ」って言い訳しているんだ。

リタイアしてまだ日が浅いから、前の仕事への思いを引きずってしまう。
「経験」を「押し付け」るのは遠慮したいし、「俺のやり方が正しい」は思い込みだと思う。だからこそ思い込みを包み込む寛容さがほしいと願ってしまう。
「昭和」と「令和」じゃ時代が違う。ましてや「平成」が間(あいだ)にいるから混乱する・コロナの前と今では社会の常識も違っている。それはバブル謳歌世代と、バブル乗り遅れ世代、アフターバブル世代そしてバブルって何?って言われるくらいに世代も違う。
そんな中でも、私は「自分の意志を持った提案」をされると、コミュニケーションがとりやすいのです。

先のドラマの最終回にあったように「寛容でいようよ」「大目に見ようよ」。ついつい「押し付けたくなる」「経験を聞けよ」と言いたくなる。そんな気持ちを抑えながら「寄り添う」素振りでニコニコと暮らそうと思うのです。


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