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梅雨のはじまりとマイルス・デイヴィス

 すでに東海地方より西の地域は、梅雨入りをしたようですね。
 東京も、おとといごろから曇りがちの空が広がり、梅雨特有のしめっぽさを感じるようになってきました。

 毎年、この梅雨がはじまる時期になると、わたしの記憶から呼びおこされる一枚のアルバムがあります。それは、ジャズトランぺッターのマイルス・デイヴィスが1959年にリリースした「カインド・オブ・ブルー」というアルバムです。

 マイルス個人の歴史にとどまらず、モダンジャズそのものの歴史において、この1枚はエポックメイキングの傑作として、いまなお超越的なかがやきを放っていますが、わたしがはじめてこのアルバムを手にとったのは、大学3年生の、ちょうどいまごろの梅雨どきの時期でした。

 わたしは中学3年生から音楽(ギター)をはじめ、大学でも音楽のサークルに所属していました。中高生のころは、ロックやハードロック、日本のポップスを中心に聴いていましたが、大学にはいると、ソウル、R&B、ファンクといった、いわゆる「ブラックミュージック」(黒人をルーツにもつ音楽)にのめり込むようになりました。

 そうして大学3年生になると、しぜんとジャズにも手がのびるようになり、おそらくはその最初期に手にした1枚のなかに、このマイルスの名盤がありました。

 わたしがそれを聴いていた時期のせいかもしれませんが、1曲目の「So What」は、特にそのはじまりにおいて、どこか梅雨の季節特有の、じっとりとした静かなトーンが感じられます。それは、ビル・エヴァンスのピアノの抑制的なタッチと、ポール・チェンバースのどこか不安定さを感じさせるベースのひびきのためかもしれません。

 しかし、あの有名なテーマをポール・チェンバースが弾きはじめ、ドラムとブラスがそこに乗っかってゆき、そうしてついにマイルスのソロへとうつる、その瞬間です。
 わたしは、マイルスが強く吹きだしたその最初の一音を聴くたび、「天地開闢」あるいは「天孫降臨」とでも表現したらよいのでしょうか、陰気な霧がいっしゅんにして霽れわたるような感動をいつも禁じえません。
 そうしてポール・チェンバースのベースはにわかにウォーキングをはじめるわけですが、そこには、さながら、世界を一瞬にして掌握した「帝王」マイルスが、したたかな歩みを踏みだしていくような圧倒的なパワーが感じられます。

 なお、このアルバムには、テナー・サックスとしてジョン・コルトレーンも参加していますが、この「カインド・オブ・ブルー」が発表された1959年という年は、マイルスにとってそうであったように、ビル・エヴァンスにとっても、コルトレーンにとっても転機となる年でした(同年にビル・エヴァンスは「ポートレート・イン・ジャズ」を、コルトレーンは「ジャイアント・ステップス」を収録しています)。

 じっとりとした陰気な季節がはじまろうとしています。
 そんな日々にこそ、わたしはジャズがいっそう聴きたくなります。


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