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サキシマスオウの涙

繁った亜熱帯の森に落ちる 春の雨雲の動悸 濃淡の葉脈の傘をさし 板根の雨靴を履いて 天井を仰ぎながら じっと 目を瞑っている 誰時の薄暗い部屋の中 確かに脈打つ鼓動に気を集め 深く ゆっくり 呼吸をする 遠く聴こえる雨音の中 微かに漂う鉄鋼の気配 まだ少し 苦しいか? 根の隙間を這うイシガキトカゲ オオジョロウグモの巣に 雨雫が溜まっている 今はただ 光が射すのをじっと待つ 千億の生命の音が流れる真ん中で 大丈夫 ここは私が生きてきた

    • 岩首の龍の背に乗って

      麓の停留所でバスを降りると、 そこが竜の背の入口だった。 大きくうねりながら遥か上まで続く一本道を歩き始める。 皐月の陽の光を浴びて、 アスファルトが柔らかな白銀色に煌めいている。 岩首昇竜棚田。 急峻な地形を活かしきる大小の変形田が、 天空に昇る竜のようにつながっていることからその名が付けられた。 中腹に差し掛かった頃、 背後から海風が肩をたたいた。 振り返ると、眼下に広がる日本海が、 仰向けで気持ち良さそうに揺れながら、 静かに寝息を立てている。 下からきた一台

      • 2023年3月11日のnote

        地震発生2ヶ月後の2011年5月、 宮城県の南三陸町にいました。 まだ辺り一面が瓦礫の山で、 辛うじて車が一台通ることのできる道が確保されていました。 潮の匂いを嫌だと感じたのは初めてでした。 私は何もできませんでした。 それ以前に、 「何かをしたい」「何かをしよう」 本当に心からどれほど強く思うことができていたのか、自信がありません。 被災地へ渡ったときも、 自分は綺麗な服を着ていましたし、暖かい寝床もありました。 何より、帰る場所と日常がありました。 現地では

        • 支笏暁雨

          うっすら明るい曇り空から 生まれたての稚魚のような雨が落ちてくる 見渡すかぎりの湖面に 次々と波紋が咲いては消えていく 向こうの入り江の陰から 靄がゆっくりと両手を広げる 浮いて漂う わたし 遥か下 深く 深く 生物を窒息させるような 濃密な生命力が 根を張り巡らせる 森の木々の咆哮のような 圧倒的な静寂 溺れるほどに身を浸す

        サキシマスオウの涙

          誘うほどでもない夜に

          予定していた会合が直前で流れた。 夕食は不要と妻に伝えていたため外で済ませようと思い、さてどこに行こうかと考えて、一軒の小料理屋の名前が浮かんだ。 両側に溢れんばかりの多様な飲食店が軒を連ねる大きなアーケード街にあり、正直なところ周囲の雰囲気と比べると、少々地味な構えの小料理屋だ。 ただ、雑多な喧騒が充満しているようなアーケード内で、その店の前だけ空気が1℃ほど温かいような、もしくは涼しいような、何とも言えない安心感があった。 引き戸を開けて中に入ると、六十代くらいの

          誘うほどでもない夜に

          海を見にゆく

          改札を抜けると、 通りを挟んで正面に定食屋と新聞店があった。 背後の山の向こう側から、 斜陽というにはまだ少し早いくらいの淡い光が射している。 商店の薄暗いウィンドウの奥に、 売れ残ったであろう青い浮き輪が見えた。 潮の気配をすぐそこに感じながら、 通りを南に向かって歩く。 晩秋の通りには喧騒の余韻すらなく、 路面のアスファルトと路傍の草木が、 乾いた潮風を浴びて佇んでいる。 遠く通りの果てでは、 草臥れたモーテルが、 目を開けたまま眠っている。 空高く、 鳥の声

          海を見にゆく

          Chocolate tastes like home.

          私にとってチョコレートは『おふくろの味』だ。 母が幼い頃によくお菓子を作ってくれた、というわけではないのだが、 私が中学生になったころから、わりと名の知れた地元の銘菓ブランドの喫茶室で、パート勤務をしていた。 自宅の仏壇にはいつも、母が職場から持ち帰る残り物の菓子が置いてあった。 私が産まれてからずっと専業主婦だった母、久しぶりのパート勤務は苦労も多かったと思う。 ある日、何故だったかは覚えていないのだが、母がいつも仕事の時に持ち歩いていたバッグの中に、一枚の写真を見つけ

          Chocolate tastes like home.

          the letter

          手紙を書くのが好きだ。 距離感がいい。 離れている人には近づくように、 近い人には新鮮な距離感。 照れ屋のあなたにちょうどいい。 LINEで「元気?」は恥ずいけど、 案外手紙では書けちゃったりして。 「手紙書くね」もいいけど、不意打ちもいい。 街角で、不意に肩をたたいてくれたような。 少しソワソワするのもいい。 いくら待っても"既読"は付かない。 宛名を書くときは、特に丁寧に。 思い浮かぶのは、アイコンではなくいつかのあの顔。 うまく文字にできないなら、 その分き

          the letter

          The magic of Stan Smith.

          先日、高校時代からの友人2人との定例会、通称オクトーバーの会(私を含めた3人とも10月生まれだから)の最中のことである。 そのうちの1人、イトウにこのnoteなるものを薦められた。 遡ること2006年の春、私はこれから始まる華の高校生活への期待を胸に、校門を跨いだ。 その両足には、これから3年間青春の日々を共に歩むであろう新品のスニーカーを履いていた。入学を前に両親が買ってくれたそのスニーカーは、皆さんご存知あのアディダスさんが生んだ往年の名盤「スタン・スミス」である。

          The magic of Stan Smith.