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誰かをふと思い出すこと。(前編)

突然、ふと何かをきっかけに、誰かのことを思い出すことがある。

普段から、ずっとその人のことを思ってもいないし、考えてもいない。でも、ある時期がきたり、何かのタイミングで、ぼんやりと、時に鮮明にその人との過去やちょっとした未来を想像したりする。


一昨日、以前勤めていた会社の仕事仲間夫婦から喪中のはがきが届いた。今年彼らの祖父母が亡くなった連絡だった。

もう来月からは新年だ。年賀状をまだ書いていない。

毎年ぼくの奥さんがせっせと年賀状の裏面のデザインをおこしてくれる。ぼくは送りたい人の名簿を奥さんに伝えて、プリントアウトしてもらっている。直筆のメッセージだけ、じぶんで書くようにしている。


ほぼ毎年年賀状を書いているのだけれど、今回少し考えることがあった。

誰に何を書くか。


仕事に勤めていた頃は、取引会社やお付き合いのあるフリーのクリエイターの方に、時間と枚数が許せば、直筆の短いメッセージを書けるだけ書いていた。

会社から出す年賀状の場合、送り先のリストを作って、事務の方にプリントアウト、ポストへの投函をしてもらっていた。

個人からの場合は、前年に年賀状をくれた方やその年初めてお会いした中で気になった方に、書けるだけ書いて送っていた(たしか)


2019年の年賀状から、出し方を一部改めようかなと思っている。

以前、お世話になって面識のある方(たぶん)に対して、本当にお世話になったと思った人、送りたいと思った人だけに年賀状を書こうと思う。

「お世話になった」ということばが、どこまで本当なのかが疑わしいと思っているのと、本当に相手に送りたいと思っているか、ちゃんと考えたいからだ。あと、送ることで相手が喜ぶか困らないかとか少し想像してみようと思ったからだ。


じぶんが取引先宛に送るメールの冒頭に書く、「◯◯様 お世話になっております」の感じって、以前から嘘っぽいなぁと思っていたところがある。メールの例と似ていて、年賀状の直筆のメッセージが思い浮かばない時は、「昨年はお世話になりました、今年も宜しくお願いします」って書いていた。今まで、形式的に済ませていたように思える。

お世話になっていないと思っても、実は影でお世話になっていたかもしれないとか、直接ではないけど間接的にはお世話になっているかもしれないとか、いろんな可能性はありそうだが、そんなこと考えていたら、世界中の面識のない人からもお世話になっていたことになってしまう(飛躍しすぎだけれど)

仕事のメールを書く時、お世話になっていないと思っていても、お世話になっているって書くことが多かった。送る相手に1回も会ったことがなくても書いていることがあった。

会社の上司から直接教えられたわけではないが、上司のメールの書き方を見たり、インターネットでビジネス定型文の書き方を調べると、お世話になっていると書いてあることが多い。

実際に言われたことはないけど、こう書かないと、「ビジネスマナーや常識を知らないのか君は?」「礼節を欠いている」って言われるんじゃないかと想像してしまう。

今更ながら、「お世話になっております」ということばに違和感を感じる。形式的なものと言ってしまえば、それまでなのだが、今まで意識しないで、このことばを使い過ぎていた。でも、このことばを使うと、楽なんだ、きっと。何も考えなくていいから。


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書いていて、少し長くなりそうなので、一度ここできります。冒頭の振りの結論については、後編に続きます。




サポートありがとうございます。カフェでよくnote書くことが多いので、コーヒー代に使わせてもらいますね。