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年賀状を送るときに考えてしまうこと。

前編からの続きですが、本題から内容が少しそれているので、タイトル変えました。

SNSやメールの浸透で、年賀状を出さない組織や個人が増えてきたから、そこまで出し方について、あれこれ考えなくてもいいんじゃないかなと思う。オンラインだと、誰に何を送ったとか、正直わからない。

会社のある人に年賀状を送る時に、その部署の上司or社長(小さい会社だと)にも送っといた方がいいんじゃないかなとか、仕事をしてた時は考えていた。

なぜなら、じぶんの会社と相手の会社との関係性や相手の会社内の関係性を推し量る必要があると当時思っていたからだ。

「彼には、あの人から年賀状が届いたのに、じぶんには届いてない」

みたいな会話が相手先で交わされるんじゃないかって想像していた。実際、じぶんが勤めていた会社にも、各社員宛に届いた年賀状が各々の机に回されるんだけど、みんな自分たち以外の机を見てたと思う(ぼくも見てた)

きっと、そういう環境にいたから、送られなかった人のことを想像するようになったところはある。

仮説として、世間が年賀状を書かなくなった理由として、社交辞令や営業ツールっぽい文化に、少し嫌気がさしてきてるのではないだろうか(中には、本当に送りたいと思っている人はいるかもしれない)

それ以外にテクノロジーの進化(SNSやメール)がもたらす人の習慣への影響や単純に書く時間がなく少し面倒と思ってしまうところがあるのも理由だと思う。

実際、送られる側の立場からすれば、面識があるけどそこまで印象に残ってない人からもらった年賀状について、なんて思うかといえば、嬉しいけど、実はそこまでなんとも思っていないのではないかと思う(個人的な意見として)

ぼく自身、以前仕事している時に、あまり印象に残ってない方からもらった年賀状を受け取って、顔を思い出そうとしても、思い出せないことがある。

そんな感じのぼくから年賀状のお返しをもらっても嬉しいのだろうかと思う(覚えてないことについては、申し訳ないと思うけど、ほとんどが名刺交換をしただけの関係だったりする)

営業ツールや社交辞令の要素が含まれていると、妙に冷めてしまうことがある(ぼくも実際営業ツールや社交辞令で出していたことがあるから、もしかしたら、見透かされていたかもしれない)

届いた年賀状に直筆でたくさんメッセージが書いてあったりすると、嬉しいけどちょっと申し訳ない気持ちになる(逆にぼくもそうしていたことがある)

手紙やはがきを送る行為は一方通行。返すか返さないかは、受け取った側次第。送られたメッセージの熱量が高すぎて、受け取る側を悩ませてしまうんじゃないかと思う時がたまにある。

メッセージは短い方がいい、受け取る側も気持ち的に楽な気がする。

返すのが礼儀で、相手の気持ちを考えたら、返すのがいいとは思うが、本当に返したいと思っているのかどうかはちゃんと考えた方がいいなぁと思う。返す権利は、受け取る側にあるはずだ。

ここで、前編の冒頭の振りの話を戻す。


じぶんも相手も、普段会ったり話したりしない相手のことについて、何も思っていないし、考えてもいない。

でも、たまに、何かをきっかけで、思い出すことがあって、なんか気になっちゃったり、また会いたいなぁという気持ちが芽生えてくることがある。



また話が長くなってしまったので、ここで話をきります。
この続きは、後編にします。

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