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喪失感と後悔がちくりと。映画『ラストレター』を観て。

先日、岩井俊二監督、最新作の『ラストレター』を映画館で、観てきました。公開初日(平日)の午前中上映で、お客さんは、いっぱいでないにせよ、調度いいぐらいの数のおかげもあって、作品に没入することができました。

もしかしたら、そういう未来もあったかもね。その未来を想像してしまうと、心にちくりとくる作品。もし、ぼくが今の奥さんじゃない人を選んだ人生があったとしたら、今のぼくは、もう1人のじぶんが選んだ人生を観て(見て)、どう思うだろうか。後悔するだろうか。

上映後、お昼を食べて、スタバで一休みしている時に、お気に入りの万年筆で、手帳の余白に上記の感想をメモしました。

あらためて、後日、このメモを読み直してみて、過去の「喪失感」について、じぶんはどう向き合うのかなぁ、いつまでも未練を残したまま、後悔の念を抱きながら、生き続けるのだろうか。自身の持っている恥ずかしさ、悔しさ、憤り、虚しさなど、人には言えない、言いにくいことを、思いっきり吐き出すことは、今後あるのだろうか。死ぬまで抱え続けていくのだろうか。そんなことを、メモを読み直して思いました。

物語の中で、登場人物みな、喪失感や後悔のようなものを持っています。ぼくは、どちらかというと、乙坂鏡史郎(福山雅治)の喪失感と後悔について、考えてしまいました。

青春時代の頃を、大人になっても、引きずって、1人の女性について思い続ける苦しさ、虚しさ、情けなさなど、複雑な心持ち。そして、それらを、大人になっても持ち続けていて、なんか恥ずかしいなぁ、情けないなぁと感じる後ろめたさ。誰かに打ち明けるのを躊躇ってしまうことだけれど、思いっきり人前で吐き出す(そう吐き出す!)彼の姿に、ぼくは終盤、心を打たれていました。

後悔のない人生はない。この映画を通して、じぶんの学生時代の頃を、思い出しました。過去を美化して幸せだったと感じることも、過去を振り返って、感傷的になってしまうことも、あの時ああしていればよかったみたいな、別の人生の歩み方もあったんじゃないかとか、いろんな感情が蘇ってきました。それらの感情の中心になっているものが、「喪失感」と共に紐づいてくる「後悔」です。

この映画は、人間くさいドラマであり、美しくて愛おしくて、情に溢れる世界だと思いました。ぼくは、この作品好きかもしれません。好きと言い切れないほどに、どこか繊細なもの(悪い意味ではない)が、作品の中には、感じられます。なんて言ったらいいか、分かりません。

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最後まで読んでいただき、ありがとうございます。公開直後なので、ネタバレや先入観を与えてしまう可能性があるので、あまり具体的なこと(あらすじやシーンについて)書かず、ふわっと抽象的な感じで書いてしまいました。

未練を残していて、ちょっとかっこ悪い、野暮ったさがあるけど、誠実な乙坂鏡史郎を、福山雅治さんが演じていて、普段のシュッとしたスマートな彼のイメージとは、今回だいぶ違っていて新鮮でした。でも、かっこ悪い役なのだけれど、カッコよさも、滲ませてしまうのが、彼のすごいところであり、色気があるなぁと思いました。

彼が手紙を書いている姿は、カッコいいです。ラブレターを書いたことがないぼくですが、手書きで手紙を書くという行為に憧れを持ってしまいました(売店にあった万年筆風ペン、思わず買ってしまいました)。


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