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動機を考え続けること。『教場』の風間公親が問いかけ続けていたこと。

年明けに2夜連続で放送されていた『教場』を録画していたので、先日観た。

木村拓哉が演じる、警察学校教官の風間公親(かざまきみちか)が、警察官にふさわしくないと思われる生徒に退校届けを次々と突きつけて、振るいにかけて落としていく過程が描かれるサスペンスドラマだ。

退校届けを突きつけられる生徒それぞれには、暗い過去があり、物語が進むにつれて明らかになっていく。鋭い観察眼を持つ風間が、日々生徒の微妙な心の変化を感じ取り、生徒を振るいにかけている最中、学校内で事件が次々発生する。根暗で畏怖の念を抱かせる風間が醸し出すダークでミステリアスな雰囲気、生徒たちの翳りのある表情と内心は何を考えているのか分からない態度が、物語を謎に導いて、観る側に警戒心を煽る。

風間は、退校届けを突きつける前に、ふさわしくないと思った生徒それぞれに、最初に問いかける。

「君は、なぜ警察官を志す?」

ぼくは、この言葉が妙に、心の中に残っていた。

退校届けを突きつけられた生徒たちは、各々答える。「冬の雪道で、車がスリップして、雪山に閉じ込められた時に、巡回中の警察官に救出されて、それから警察官に憧れをもったから」「警察に文句があるから」

いろんな生徒の動機があった。そうそう、じぶんも最初の大学の就職活動の時期に、たくさん志望動機を書いた。その時書いた動機は、ちゃんと覚えていない。たしか、「ぼくは会社に入ってこういうことをやりたい」とか「業界で活躍している人に憧れて、じぶんもそうなりたい」みたいなことを書いていたと思う。

書いていた志望動機のほとんどが、じぶんの理想でつくりあげたものや、会社の傾向に合わせてつくった自分だったりした。今ちゃんと思い出せないってことは、そんなに真面目に考えていなかったなぁと実感する。いや、当時は、正直、じぶんの動機が分からなかった。今も、未だに、じぶんが抱いている行動動機がほんとうにそうなのか、分からないと思うことがある。

「君は、なぜ警察官を志す?」

別に、ぼくが警察官になりたいわけではない。あくまでもドラマの中の話だ。でも、この言葉が言っている「なぜ志すのか?」「なぜなりたいのか?」、つまり理由や、じぶんの動機を考える続けることって大事なことだなぁと、最近思う。さすがに、毎日四六時中考えていたら、頭がおかしくなりそうなので、合間合間に、ちょっとずつ、ヒトリになって、じぶんに問いかけるのがいい。

志す、なるのは、手段に近い。手段を通して、やりたいこと、ありたい姿を考えていくうちに、なんでやりたいのか、ありたいのかを、時間がかかってもいいから、考えて続けて行動していく方が、少しでも前に進んでいけると思う。生きている実感が湧く。

同時に、生きづらさも感じることになるかもしれないけど、生きづらさの原因がなんなのかは、だんだん考え続けて行動していると、より見えてくる。ぼくの場合は、「退屈」がじぶんを生きづらく、居心地悪くしていると、最近分かってきた。気づけた理由は、じぶんの行動する動機について、ちょっとずつ考え続けて、積み重ねてきた結果だと思う。

最近、退屈と感じるのは、なんでもかんでもインプットして、いいなぁと思うことだ。配信コンテンツ、SNSで流れてくる情報、学び目的のイベントなど、インプットの情報が多すぎて、かえって、じぶんは何になりたいのか、何が好きなのか、何がやりたいのか、余計分からなくなることがある。流れてくる情報によって、じぶんの中でバイアスも勝手に生まれやすい。他人のものさしが、じぶんのものさしになってしまっていることがある。じぶん探しの観点で、インプットだけで、分かった気になると、それで満足してしまうし、そういうことを続けていくと、じぶんの場合、飽きてくるのだ。

誤解がないように言っておくと、インプットすること自体が、たのしいと感じる人もいるので、単にぼくが、たくさん、ただインプットすることに対して、退屈と感じているだけの話だ。

他者から聞いた、いいこと、学びになりそうなことを通して、じぶんの理想像を勝手に膨らませて、ハードルをあげて、結局挫折することが多い。一時期、他者の話を聞いて、いいなぁと思うことがあり過ぎて、「ほんとうにじぶんはいいと思っているのか」懐疑的になることがあった(今も、そういうところがある)

咄嗟にいいなぁと感じても、なんでいいなぁと感じたのかを、一晩置いて考えてみるのも、いいかもしれない。次の日になったら、案外「そんなによかったかなぁ」と思ったりすることがある。ぼくの場合、そういうことが、たくさんある(元々、飽きっぽい性質で、周りの環境に影響を受けやすい)

一方で、つまらないと感じたものでも、こうしたら、おもしろくなるんじゃないかって、アイデアが浮かんだり工夫したくなることがある。そういう時は、ワクワクするし、たのしい。あと、ある対象に対して、ほんとうにいいなぁと思っているわけではなくて、「いいなぁと感じているじぶんがいいなぁ、好きだなぁ」と思うこともある。もちろん、根拠はないけど、感情の高まり具合が半端なくて、素直にいいなぁと感じることもある(もう、じぶんで、ここまで書いていて、わけが分からなくなってきたぞ)。

でも、こんなに、いいなぁ(嫌だなぁも)を疑ったり信じたり、あれこれ考え続けていくと、じぶんのありたい像、やりたいことに近づいていくと思っている。そうすると、だんだん、じぶんのものさしができてくる。そのものさしは、じぶんの中で絶えず変化する。でも、アウトプットしてみないと、ものさしの長さ、形、幅などが見えてこない。

ぼくは、じぶんのものさしのようなものは、持っておいた方がいいなぁと考える。ものさしを持つと、ちょっとした毎日の変化にも気づけて、1日がたのしくなる。

じぶんのものさしのつくり方として、じぶんの動機について考え続けることが、1つの手段になりえると思う。

「君は、なぜ警察官を志す?」

なぜ、この問いかけを、風間が生徒たちにしたのか、妙に納得感があった。


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最後まで、読んでいただきありがとうございます。正直、このnoteを書いてていて、理屈っぽいなぁと感じますし、説教くさいです。読み直してみて、じぶんの仮説を、じぶんに提案しているイメージだなぁと思いました。時間が経ったら、言うことも変わってくると思います。

サポートありがとうございます。カフェでよくnote書くことが多いので、コーヒー代に使わせてもらいますね。