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絶対幸福論


自然性とは変化である。
自然性とは動きである。
自然性とは行為である。

自然性とはバランスをはかる全体性の働きである。

全体は、全体により、全体のために働いている。

個人性とは変化である。
個人性とは動きである。
個人性とは行為である。

個人性とは不幸を避け、幸福を求める心の働きである。

個人は、個人により、個人のために働いている、という全体性による「心の働き」である。

自然性のなかに個人性は現れても個人はいない。
自然性のなかで人為的な行為は起こっても人為はない。
自然性のなかに個別性は現れても分割はない。

自然はひとつである。

分割された世界とは「個人的世界」である。
分割された世界は存在していない。
分割された世界は「幻想」である。

分割された個とは「心の働き」による現れである。
分割された個は存在していない。
分割された個は「幻想」である。

この「幻想」が幸福を覆い隠している根本原因である。


個人が現れでるとき幸福は隠され不幸は起こる。
個人が消えさるとき不幸は除かれ幸福は在る。

「私は全体から分割された個人である」という想念を有するかぎり、「私」は存在することや楽しむことを欲し求め続ける。
「私は全体から分割された個人である」という想念を有するかぎり、「私」は死滅することや苦しむことを恐れ避け続ける。
「私は全体から分割された個人である」という想念を有するかぎり、「私」は落ち着いて平らかに安らぐことはできない。

何を持とうとも、
何をしようとも、
何になろうとも、

そこに現れるのは一時的な快楽である。

何を失おうとも、
何をできなくとも、
何になれなくとも、

そこに現れるのは一時的な苦痛である。

快楽と苦痛は一時的である。
一時的なものは幸福ではない。

快楽は苦痛へと変化する種である。
苦痛は快楽へと変化する種である。

個人とは、登っては下だることを繰り返す「心の働き」である。
個人とは、ハイ&ローのギャップに魅了された「心の働き」である。
個人とは、快楽と苦痛に執着した「心の働き」である。

苦しみを知らずに喜びを知ることはできない。
喜びを知らずに苦しみを知ることはできない。

個人とは、喜ぶために苦しむ「心の働き」である。
個人とは、苦しむために喜ぶ「心の働き」である。
個人とは、自身を苦しめる物事に執着した「心の働き」である。

個人は幸福にはなれない。

個人がすべての不幸の根因である。


個人が幻想であると知られ消えさるとき、そのときのみ私は私が個人ではなかったという真実を悟り、私が何者であったのかに直面する。

その私こそ、永遠不変の絶対幸福そのものなのだ。

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