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ロサンゼルス旅行記 ーメキシコ移民と日本移民ー

2019年2月15日から21日にかけて、ロサンゼルス(大都市圏に含まれる他の都市も含む。以降同様)に滞在してきた。メキシコ滞在歴が長く、特にソン・ハローチョ(※)に入れ込む筆者としては、ロサンゼルスで起こっているチカーノ(メキシコ人移民のこと)ムーブメントは非常に興味を惹かれる事例であったからだ。
ロサンゼルスでは人口の40%以上をヒスパニックが占める。カリフォルニア州はもともとはメキシコの領土であり、その南端はメキシコとの国境である。したがって、メキシコとの関係が強いことは想像に難くない。
また、日系人移民も相当数居住する。ダウンタウンから徒歩でたどり着ける距離にリトル・トーキョーと呼ばれる日本地区があり、存在感を発している。日本人として、これも見ておきたいテーマである。

※ベラクルス州中南部を中心に演奏される民衆音楽。植民地貿易の主要結節点において、数百年に渡って形成されてきた音楽。現在ではベラクルス州北部のハラパや首都メキシコシティでも現代的アレンジを伴って演奏される。伝統的宴であるファンダンゴはこの音楽の象徴的シーンである。詳細は参考論文などをあたると良い。


まずはただの観光から

到着してすぐに感じたロサンゼルスのいいところは、太陽光が綺麗なところだ。雲のほとんどない青空から注ぎ込む日光が、町中のあらゆるものを映えさせる。映画産業がロサンゼルスに立地した理由もわかる気がする。

建物もおしゃれだ。年中気候が良いため、屋外での活動が行いやすいのだろうか、特にダウンタウン周辺は歩いていて楽しいいい街だ。建物とオープンな店、広い歩道が散策を促す。

「ロサンゼルスらしいもの」となると難しいのだが、世界各地の料理があるのも特徴的だ。特にタコスやブリトーといったメキシコ起源の料理を提供するレストランやフードトラックが多い。Netflixのドラマ『ガールボス』3話で、サンフランシスコに住む主人公がブリトーの素晴らしさを主張する場面があるのだが、実際にロサンゼルスのブリトーも素晴らしかった(ただし、ブリトーほど写真映えしない食べ物もないだろう)。


日系人移民の歴史

ダウンタウンから少し歩いた場所に、リトル・トーキョーという日本街がある。日本食レストランやスーパー、キャラクターグッズ店などが並ぶ、観光地である。

その一角に、全米日系人博物館という施設がある。これは、日本文化や日系人文化を紹介する、というものではなく、アメリカ合衆国において日系人が受けてきた差別の歴史を記録し、伝えるためのものである。

19世紀末から、日本人のアメリカ合衆国への移民が始まった。多くはハワイや西海岸に到着し、生活基盤を築いていった。黄色人種への差別はもちろんあったが、特に強調されるのは、第二次世界大戦が始まってからの日系アメリカ人への国および社会の反応である。

真珠湾攻撃が実行されると、日本への警戒感が強まり、日系人をスパイとして疑い排斥する世論が形成された。政治家やメディアも日系人に対するネガティブキャンペーンを実施し、1942年にはフランクリン・ルーズベルトの命で日系人が強制収用された。アメリカ合衆国内だけではなく、実質的に支配下においていたラテンアメリカ諸国にも日系人の収容や監視を要請するほどであった。

収容された日系人は12万人以上に上ったという。また、ルーズベルト大統領は黄色人種への差別的傾向で知られており、ドイツ系やイタリア系には同様の措置は取られなかったことから、人種差別的政策としても指摘されている。カーティス・B・マンソンによって行われた日系人に関する調査では、合衆国への忠誠と危険性の低さが報告されていたにも関わらず、あらゆる日系人を収容する政策が実行されてしまった。

大規模な強制収用だけでも大きな事件であるが、終戦と解放の後も、日系人は資産の没収などの目に遭った。ちょうど滞在中に、 "Tales of Clamor"という演劇が開かれていたので鑑賞してきた。この演劇は、日系人の受けた差別的扱いを明らかにし、米国政府から然るべき保障を受けるために奮闘した人々を描くものであった。収容経験者は差別を受けることを恐れ、過去をなかったことにしながら善良な市民として生きようとし、一方で次の世代は親の身に起こったことや自分の出自を知り、そして正義を通そうとするという、人種差別に対する難しさが映し出された。なお、収容から40年を経て、ようやく謝罪と保障を受けられた。

(筆者が高校で理系だったからかもしれないが)日本ではこのような過去は知られていないと思っている。少なくとも筆者は旅行を考える前には全く知らず、今でこそ自由に海外で活動することができているが、過去に先人が直面した困難があっての今であるという事実を噛み締めるのであった。


メキシコ系移民の今

一変して、メキシコ系移民に関しては不法移民や逮捕、親子の別離など、彼らが現在直面している困難がよく報道されている。ただし、少なくともロサンゼルスにおいては人口の多くを占めるマジョリティであり、実に多様な状況にあると言える。イースト・ロサンゼルスはメキシコ系移民地区として知られている。ロサンゼルスでは比較的「貧しい」地域とされているが、スラム街のような地域では決してなく、庭付きの一軒家が並ぶ、普通の住宅街である。

もちろん、移民として生活することは簡単ではない。そこで、チカーナコミュニティを形成するための文化活動が市民の手で行われている。プラサデララサ(Plaza de la Raza)はそのような施設の一つである。イーストロサンゼルスに位置し、絵画や音楽、演劇などの芸術活動を支援している。クラスや作品の販売を行っており、ここを経て現在も芸術家や音楽家として活動を行うチカーナ・チカーノたちもいる。

チカーナコミュニティ活動において現在大きな役割を持っているのがソン・ハローチョである。参加的な授業であるタジェール(taller、ワークショップと訳されることもある)や、集団で演奏されるファンダンゴといった特徴を持つこの音楽は、コミュニティ形成の核として活用されてきた。また、表現方法としても活用されており、メキシコ系移民の現状について語る歌詞や、ティファナ=サンディエゴ間の国境で開催されるファンダンゴシンフロンテラ(Fandango sin Frontera、国境なきファンダンゴ)といった事例が見られる。

イーストサイドカフェは、同じイーストロサンゼルスにある文化施設である。サパティスタの精神に基づき、コミュニティ活動の拠点として利用されている。毎週金曜日の夜にソン・ハローチョのタジェールが開催され、コミュニティの音楽として、メキシコ国内の多様な地域からの人々が集まり、参加的プロセスによって音楽を学ぶ。

ロサンゼルス市の南東に位置するサンタアナは、ヒスパニックが人口の80%を占める特殊な地域である。一方で、人種差別的な団体や著名人を輩出しているから不思議なものである。

セントロクルトゥラルデメヒコ(Centro Cultural de México)は、サンタアナの中心地にある文化施設である。地元の文化団体が長年の活動の末に購入した建物で、ラジオ収録やタジェールなどを行っている。筆者が見学した月曜夜のソン・ハローチョのクラスには20人ほどの人が集まった。初めて来る人や3回目という人もおり、中にはヨーロッパをルーツとする参加者もいた。中心的役割を果たす女性の一人はヨーロッパ系であるが、高校でメキシコ系移民と親友になり、ともに市民活動に関わるようになったという。

ティアチュチャ(Tía Chucha)はロサンゼルスの北西に位置する。ハイウェイを降りてすぐのショッピングセンターの一角に、テナントを借りて営んでいる。費用は補助金で賄い、メキシコやチカーナの文化に関する書籍やCDの販売とカルチャーセンターとしての役割を担っている。文化活動としての音楽の重要性の認識を基礎としており、その名前は創設者の考え方に大きく影響を与えたおばの名前から採られている。

このように、ロサンゼルスには様々なチカーノカルチャーセンターが存在する。そこで行われる活動は、芸術活動を軸としてコミュニティを形成するというものである。様々な移民としての課題の解決の基盤になっているが、それ以上に、芸術を通じた発信の起点であることがうかがえる。そこで活動する人々は、被抑圧者ではなく、社会全体を改善していくための提案を表現豊かに行う主体である。


まとめ

この短いロサンゼルス滞在で見られたのは、移民の負の過去と、表現豊かな現在であった。海外での活動を行ってきたしこれからも行っていくであろう身としては、先人の負の過去を知ることは自分自身の活動を考える機会を与えてくれた。不法性や抑圧ばかりが報道されるメキシコ系移民の現状については、実際の多くの人々の生活や文化的活動は、被抑圧者としてのマイノリティという観念に対するアンチテーゼである。

特に、外国人労働者を増やそうとしつつ、いまだに外国人・移民に閉塞的な社会を持つ日本の現状を鑑みると、日系人の置かれてきた状況や移民の社会全体への発信は認識されるべきである思う。戦時の日系人の収容が映画やドラマで発信されないだろうかと、期待している。

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