能面と金魚とメガネ~飾りではなく主題を映えさせるためのデザイン
「能とは金魚の影」という話を能面師のかたとしたことがある。
金魚のすがたは情報が多い。しかしかたちや影を見ると、表情や個性がより感じられる。
能では、面や装束を身に纏ってすがたを隠す。すると逆に、隠されていない手つきや耳の動きから個性が強く感じられてしまう。
隠すことでむしろその人自身が溢れ出すのが、能らしい。
(1)立体なのに平面的にみえるメガネ
JINSデザインプロジェクトは、JINSが世界的なデザイナーと協働し新たなメガネを生み出すプロジェクトで、今回はフランスのデザイナーであるRonan&Erwan Bouroullecとコラボした。
このメガネが、僕にはとても面白かった。
何が面白かったかというと、どの角度から見ても極めて平面的にみえるのである。
Ronan&Erwan Bouroullecはメガネのデザインを「タイプフェイスをデザインすることに近い感覚」と話していた。これは基本の型を守ったうえでのチューニングが重要になるということに加え、立体的でありながら平面的なイメージを生み出すことを狙っていたのではないかと思った。
(2)顔という立体に添えられる平面的なメガネがもたらすコントラスト
物事は対比されることで、それぞれの役割や位置づけが明確になる。影と光、立体の中に混じり違和感を発することでむしろ立体感を強調する不可思議な平面。それがJINSとRonan&Erwan Bouroullecのメガネであるように思った。
どういうことか。
顔という立体の中に、本来存在し得ない平面が存在することで人の持つ立体感がむしろ際立つ。すなわちメガネの平面性が、ユーザーの顔の表情や陰影や形態を強調するのである。
彼らはメガネを、
「おまけや飾りのように置くことによって記号を付加するようなものではなく、もとある要素を高めるようなイメージでデザインした」
と話していた。
これはどこか能面的な考え方である。新たな要素を追加することによって、むしろ既存の要素(その人自身の所作や顔立ち)を際立たせる。追加された要素そのもの(能面やメガネ)が主題になって目立つのではない。
彼らのメガネを能面とは異なるアプローチをとっている。メガネは立体ではなく、平面であるかのようなたたずまいを有していることで、顔のもつ立体性がはじめて浮き彫りになっている。
メガネをかけたとき、今までかけたメガネとはなんだか異なる不思議な感慨を覚えた。「似合う、似合わない」という次元ではなく、全く知らない顔の人間が鏡ごしに立っているような気になったのである。
(3)立体的に平面的なものはじつはきわめて立体的
しかし、メガネの形状を平面的につくったからといって平面的なメガネはまず出来上がらないだろう。光をうけて、”平面的な立体物”として立ちあらわれてしまうからだ。
立体的に平面的なものは、じつはきわめて立体的である。
プロダクトを実際に手にとってみれば、縁のカーブが周縁に向かうにつれて少しずつ削られていて縁の太さが少しずつ外に向けて細くなっていたり(そこにはメガネの外側を削るか、内側を削るかといった試行錯誤もみられる)、微妙なふくらみと太さと曲率のバランスでブリッジ(つなぎ目の部分)が立体的に浮いてみえないように調整されていたり、JINSの高いプラスチック射出成型の技術を使ってメガネのヨロイをなくすことで、周縁のフレームによる立体感が消失していたりすることがわかる。
メガネをかけてみると、反射によるガラスの立体性すら不自然におもえるくらい、顔とのバランスの中でメガネはフラットに見える(全国のショップでみられるらしいのでぜひみてみてほしい)。
能面はほかのだれかになるというよりも、その人が何者であるかを浮き彫りにする。このメガネもそれに似ている。
その人の顔の輪郭や、その人が何者であるかを明確にする。だからこのプロダクトの名前は「SUGATA」なのだろう。すなわち主題はメガネというよりもむしろ、その人自身なのである。
(3)外面ではなく、ユーザーからの視界を変化させるものとしてのメガネの可能性
ところで、今回のプロダクトをながめつつ、そろそろメガネの概念が別方向にアップデートされてもいいのではないか、と少し思った。
近年ではスマートフォンに変わる大規模普及が見込まれるデバイスとしてスマートグラスがあるけれど、JINSが培ってきた様々な知見はそこに展開されていくのだろう、と思われる。しかし今後は、おしゃれなスマートグラスをつくることだけに注力してみてもどこかつまらないのではないか、と思うのである。
スマートグラスをかければ人はさまざまな世界を自由にみられるようになる。ある人はオフィスにいてある人は遊園地にいる。そんな世界が共存する世の中が、やってくる。
そのグラスを通して眺めることで世界が美しく輝いて見える時、その人の顔はきっと晴れやかになり、魅力的になるだろう。ふるまいは少し大きくなるだろう。言葉は以前にもまして力を帯びるだろう。
それこそがファッションとしてのメガネがもちうる、本質的な価値なのではないか、という気がしたのだ。
すなわち、メガネをおしゃれにすることでその人を魅力的にするという従来の外側からの視点に軸をおいたアプローチではなく、レンズやフレームのデザインを通してその人がみる世界を華やかにすることでユーザー自身のふるまいを変化させ、その人自身を魅力的にするようなメガネの展開があり得るのではないか、というアプローチの重要性が今後はますます高まってくるのではないか、ということである。
世界がいつもより明るくみえるグラス、
世界がいつもより彩度たかくみえるグラス、
世界がいつもよりきらめいてみえるグラス。
そんなものがあればきっと世界も楽しくなるだろうに、と思う。
(4)最後に
「女性が男のためでなく自分のテンションのために化粧をする」というけれど、僕はそもそもファッションが社会的な要請の産物なのか疑問です。
寒いときに体を覆うと心が平和になる。だから社会が生まれる。
だとすれば人の「顔」というものがすでにあってメガネがそこに加えられるのではなく、メガネがあってはじめて「顔」という存在が発生しているのではないかとすら思うのです。
平面との対比によってはじめて人の顔の立体性が認識される。そのように考えると、実は今までは僕たちの「顔」はのっぺらぼうのように、立体として存在してすらいなかったのではないか、という気にすらなります。
JINSのイベントに招待してもらってとても楽しかったので、別に頼まれたわけでもなく勝手に書いたnoteでした。
ちなみに昨年のJINSのイベントをきっかけにさまざまに議論を展開したPodcastもあるのでよければ聞いてください。
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