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今月のおすすめ本リスト〜2021年7月編

今月読んだものから面白かった5冊を紹介したい。

1. 『空の空なればこそ』 堀田善衛

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芥川賞の受賞などで知られる堀田善衛のエッセイ集である。堀田さんの筆致はとても柔らかく、とても広く深い行間のある文章が魅力的な作家と思う。

エッセイの中で僕が印象的だったのは、デカルトの思想への考察(「思想家としてのローマ法王ヨハネ・パウロ二世」から始まる一連の文章)だ。ここでは簡単にその内容を紹介してみたい。

デカルトは「我思う、ゆえに我存在す」と考えた。すなわち現象には理由があり、存在に先立ってメカニズムや原理原則がある。その上で存在が生まれる、と考えたのである。その考え方は17世紀以降の科学の発展の基本的な態度となった。

しかしデカルトの発言は、もともと13世紀の聖トマス・アキナスの発言のパロディなのであった。アキナスはむしろ「我存在す、ゆえに我思う」と考えた。存在が先行したのである。我々はまず存在を受け入れ、それを読み解くように理解し取り扱っていくほかはない、という態度にもみえる。パウロ2世は、こうした経緯を示しながら、デカルトの転換によって世界は悪い方向へ導かれた、と考えた。

僕には今の時代の中でとても示唆を持つ話に思われた。

コロナ禍でのワクチンなどの発展をみるに、デカルト的な枠組みの効果は十二分に見られた。原理原則をベースに科学を発展させてきたからこそ、偉大な人類の蓄積が大いに役に立っている。

一方で、単純に原理を理解しているからといって取り扱えないものもたくさんある。例えば人の暮らしや心がそうだ。

デカルトの発想は、記述可能性の話かもしれない、と思う。デザインや建築においても、説明可能性は重要になっているように思える。なぜこの壁の色か、なぜこの動線か、なぜこうした空間性か。デザインには説明性が求められるようになっている。説明が求められるのは、人が記述するということが前提になっているからだ。すなわち記述可能性が前提になっているのであり、同時に近代では、記述可能性に意識が向けられすぎている気来もある。

人の創造性によって生み出されたものは時に理由を説明できず、しかし人の心を言語では表現できない感覚の中で人を癒すこともある。それは言葉や原理原則では記述できない。そういう「分からないものを分からないままに取り扱うこと」が重要な場面は、社会の中で往々にしてある。

デカルトの態度が記述可能性を重視することを促すのに対して、アキナスの態度は、読解可能性に重きを置いているのではないか、と思う。

建築の場面でも、設計者の意図とは離れて利用者が勝手に空間を読み解き、自由な利用を始めることはある。

何かしら存在するものをまず受け入れ、それを解釈していくことによって自分なりの価値を利用者が創造していく態度。その読解可能性の重視。

これからの時代は、この2つの思考が共存するといいのではないか、と思ったりもする。「我思う、ゆえに我存在す」という態度と、「我存在す、ゆえに我思う」という態度は共存していいし、むしろどのように共存していけるかということが、これからの時代の主題なのではないか。

2. 『空間の日本文化』 オギュスタン・ベルク

フランス人の学者による日本文化論である。読みやすく、面白い分析や事例が多かった。色々と興味深い考察は多いのだが、ここでは間という概念についての考察を紹介したい。

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一番印象に残ったのは、間という概念の考察だった。僕なりの解釈によれば、間とはズレのことである。

例えば「建築」という漢字に対して「のろい」というルビがふられていたとしたら、漢字としての言葉の意味とルビの言葉の意味はずれている。

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しかし2つの意味がズレているが故に、第3の意味とも言える、ずれさせたことによって何を言いたいのか?という主張の存在が読者に感じ取られるようになる。そして、そこに人が思考を始める空間が生まれる。

それが間の概念、ということらしい。それが「間」なのかは分からないが、しかしこのズレが新たな思考の空間をうみ、それが読み手と書き手のコミュニケーションの場となる、という考察は面白いと思った。

3. 『Looking Through: Le Corbusier Windows』 ホンマタカシ

ホンマタカシの写真集。本書の主題は、ル・コルビュジェという近代建築の祖のような建築家の作品である。その建築を、その外観や内観ではなくむしろ建物の窓から見える風景によって記述しようとした写真集である。

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窓から見える風景はとても魅力的で、一気にコルビュジェを好きになったような気がした。よく考えたら、僕らは建築を外観やそれ自体で見ようとしすぎてしまうけれど、窓から見える風景の方が、外観よりもよほど重要なのかもしれなかった。

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写真集の写真は美しく、建築に対する新たな楽しみ方を示唆してくれているように感じる。「建築にできるのは、人に窓辺を提供することだけ」と誰かが書いていたのが思い出される(内藤廣だったか)。窓辺はとても素敵な空間であり、僕らに外界との対峙の仕方を示唆してくれる空間でもある。

(画像は上記リンクより引用)

4. 『コロナ禍をどう読むか——16の知性による8つの対話』 奥野克己ら

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研究者やアーティストなどの対話を8編収めた対話集である。とても読みやすく、示唆に富む議論が多いように感じたので紹介したい。

昨今、賢しらに「アフターコロナとは?」という短絡的な標語を主題にする本が多い中で、この本はむしろコロナ禍によって炙り出されることとなった、社会に潜在していた問題に目を向ける。その上で現在の状況を丁寧に分析する対話が多いように感じた。

時代を複層的なものとして捉え、「ある特異な刺激」と「その刺激によって変化させられた周囲の容態」の関係性に目を向けることを通して、社会の様相をより本質的に捉えようとする態度が、この本の基底に偏在しているように思われた。

僕が印象的だったのは、監視についての考察である。少し紹介したい。

そもそも「監視する権力ー監視される市民」という正権力論の明快な構図は西洋で生まれた。それが日本に輸入された時、ムラ社会的なメンタリティと結びつき、「互いに監視し合う」という、「監視するものと監視されるもの」という二面性が日本人に内面化されることが助長されてしまった。その結果、日本で特に、市民自身がより弱い市民を抹殺していくという構図が進むこととなった。そういう分析である。

わかりやすいとは思う。わかりやすいから正しいということでもないし、ロシアでの痛ましい事件などをみるに相互監視は世界中にあるのだろうが、確かに日本は市民が市民を抹殺する構図が特にひどいようにも思えたし、これまでもひどかった、という気がした。重要なのはむしろ、これまでもひどかった、ということではないか、とも思う。

5. 『わたしの名前は「本」』 ジョン・アガート

とても短い本で、本自身が自分の歴史について語る、という内容である。文章も挿絵も素敵で、読みやすい。

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僕が印象的だったのは羊皮紙についての記述だ。

羊皮紙はその字の通り羊の皮からつくられる。聖書1冊つくるのに、羊は200頭以上必要だったらしい。なかにはヴェラム(vellum)といって、子牛(veal)からつくられる高級なものもあった。

図書館いっぱいの本をつくるのに、何頭の羊が必要か。たくさんの生の犠牲の上に知は保存されてきたのだな、と思った。

以上、おすすめは5冊です。

終わり。

その他、今月読んだものリスト

『思考の取引 書物と書店と』, ジャン=リュック・ナンシー, 岩波書店, 2014
『印刷用紙サンプルBOOK』, 『デザインのひきだし』編集部, グラフィック社, 2020
『グラフィックデザイナーのサインデザイン』, デザインノート編集部,誠文堂新光社 , 2009
『日本の思想』, 丸山 真男, 岩波書店, 1961
『虹と空の存在論』, 飯田隆, ぷねうま舎, 2019
『偶像の黄昏』, ニーチェ, 河出書房新社, 2019
『病牀六尺』, 正岡子規, 岩波書店, 1984
『311ゼロ地点から考える』, 内藤廣 原研哉, TOTO出版, 2012
『原っぱと遊園地―建築にとってその場の質とは何か』, 青木淳, 王国社, 2004
『小林秀雄の眼』, 江藤 淳, 中央公論新社, 2021
『時代の風音』, 宮崎駿 堀田善衛 司馬遼太郎, 朝日新聞出版, 1997
『幻覚の脳科学──見てしまう人びと』,  オリヴァー・サックス, 早川書房, 2018
『わたしの名前は「本」』, ジョン・アガート, フィルムアート社, 2017
『コロナ禍をどう読むか——16の知性による8つの対話』 奥野克己ら, 亜紀書房, 2021
『Looking Through: Le Corbusier Windows』,ホンマタカシ, Walther Konig, 2021
『空間の日本文化』, オギュスタン・ベルク, 筑摩書房, 1994
『空の空なればこそ』,堀田善衛, 筑摩書房, 1998



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