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質的研究のための学術論文執筆基準(6):考察

はじめに

アメリカ心理学会(APA)から公表されている「質的研究のための学術論文執筆基準」(Journal Article Reporting Standards for Qualitative Research,以降,「質-JARS」とします)について紹介します。

今回紹介する本はこちら
Levitt, H. M. (2021). Reporting Qualitative Research in Psychology: How to Meet APA Style Journal Article Reporting Standards, Revised Edition as publication of the American Psychological Association in the United States of America, 能智正博・柴山真琴・鈴木聡志・保坂裕子・大橋靖史・抱井尚子(訳)(2023)『心理学における質的研究の論文作法:APAスタイルの基準を満たすためには』,新曜社.

「質-JARS」では,論文のセクションごとに,そこに含めるべき情報の内容と,著者へのアドバイス,査読者への注意が表でまとめられています。
今回は,考察のセクションで何を書くべきなのかについて整理します。
構成は以下の通りです。


1. 中心となる知見の含意に関する方向づけのパラグラフ

  • 多くの場合,考察セクションは,論文の中心的な知見を要約し,ここで考察される主な内容を読者に示すパラグラフから始まります。

  • このパラグラフでは,すべての結果を再び述べるのではなく,結果を要約し整理した結果セクション最後のパラグラフから当該分野への含意に焦点を当てることへの移行が重点です。

考察の書き出しでは,次の点に留意する。
①学術的な理解を進展させる上での主要な貢献とその意義について述べる。
②これらの理解を得るプロセスにおいて,自身の視点がどのように変化したかに関する省察を加えてもよい。

p.82,①②の番号は引用者加筆
  • ここかあるいは別のサブセクションにおいて,研究のプロセスでみなさんの見方が変化したか否かを描くことがあります。

  • 査読者を含む読者は,研究者自身の視点がどのように変化したのか,研究において何が驚きであったのか,研究知見が参加者や研究チームによってどう利用されたかに興味を持つことがしばしばあります。

  • こうした自己省察的な文章は,1つのサブセクションで記述しても良いし,結果についての考察全体にわたって記述してもよいでしょう。

考察のセクションで示そうとする主要な貢献をずばっと一言で書けるとかっこいいですよね。
また,研究方法セクションで記述することが求められていた研究者の視点やその変化について,考察のセクションにおいても書くことが可能です。
読者をひきつけるような文章を書きたいですね。

2. 研究の貢献

では,研究の貢献についてどのようなことを書けばよいのでしょうか。

考察セクションでは,以下の点に留意する。
①研究成果がどのような貢献をしているか(たとえば,関連する先行研究の理論への挑戦,理論の精緻化や支持,など),およびそれをどのように活用するのが最善かについて記述する。
②先行研究や先行の理論と,今回の知見との類似点や相違点を特定する。
③知見について別の説明のしかたを考える。

p.38,①〜③の番号は引用者加筆
  • 研究がその分野に貢献する仕方はさまざまです。

  • 自分の研究が価値をもちうる方法をいろいろと検討することで,考察セクションの各部分を描く際の指針となるアウトラインを作ることができると思います。

私が思うに,自分の研究の貢献についていろいろと考える際には、以前紹介したTracy(2010)の中で言及されている「貢献性」がヒントになりそうです。
Tracy(2010)では,質的研究の品質基準の一つとして「貢献性」を挙げ,それを①理論的意義,②発見的意義,③方法論的意義,④実践的意義の4つに分けています。
この4つの意義に分けて,自分の研究がどのような貢献を成しえるのかについて,それぞれ文献を引用しながら検討するのがいいんじゃないかと思います。

3. 限界と強み

考察セクションでは,研究の貢献だけでなく,研究の限界や強みについても記述されます。

考察では,以下の点に留意する。
①研究の強みと限界を明確にする(たとえば,データの質・データソース・データの種類や分析プロセスが方法論的整合性をどのように強めているのか,あるいは弱めているかを検討する)。
②知見はどこまで転用可能か,その限界について述べる(たとえば,研究を行った文脈以外で知見を利用する際に読者は何に留意すべきか)。
③研究のプロセスでぶつかった倫理的ジレンマや課題を再検討し,これから研究をする者に対して提案を行う。
④今後の研究や政策,実践への示唆について検討する。

①~④の番号は引用者追加
  • 考察のセクションでは,得られた知見の利用可能性について読者が理解する手助けとなるよう,その知見の含意を考察することが期待されています。

  • 研究結果の利用について議論する際には,用いられた方法により,得られた知見やなし得た理論的貢献の転用可能性にどのような限界があるかについて考察することが期待されるでしょう。

  • 転用可能性とは,提示された知見を読者が自分の文脈,母集団,状況に適用できる可能性のことを指します。

  • たとえば,もし研究が,乳がんと診断された女性に関する研究であれば,異なるタイプのがんに罹患した女性や,がんに罹患した子どもや男性,トランスジェンダーの人々に研究結果を応用する際に,慎重に利用するよう読者に注意を促したいかもしれません。


  • 分析に難点がある場合には,読者が今回の知見を評価する際に役立つよう,その難点に関して透明性を高くしたいでしょう。

  • みなさんの遭遇した諸問題を他の研究者が回避できるように,今後の研究に対する提言を行うのもよいかもしれません。

  • 得られた知見間の厳密さに違いがある場合は,この知見はより弱くその知見はより強いと指摘することで,研究に対する読者の信頼感を高めることができます。

  • このような情報を提供することで,読者は自分の疑問を解決するために,得られた知見をどのように転用するのがベストなのか判断することができるでしょう。

  • 考察はユニークな発見や方法論の厳密さなど,研究の強みを説明する機会にもなります。

ここを大きくまとめると,(a)研究の限界,(b)研究の強み,(c)今後の研究への提言の3つかと思います。
もちろん(a)と(b)から(c)が論理的に導かれます。
(a)と(b)については真摯に書きたいですね。
(a)と(c)を考える視点として「転用可能性」が挙げられています。
多くの質的研究では一般化を目指さず,限られた時間,場所,対象者や社会に限定された知見を生み出します。
とはいえ,この知見が他の文脈にどこまで適用可能なのかを検討し,読者に示すことも重要でしょう。
その際にも,「~~にも適用できる可能性がある。」とだけ書くのではなく,周辺領域の文献を引用しつつ,具体的に議論したいものです。

4. 結びのパラグラフ

  • 論文の最後に置かれるパラグラフには,読者にもっとも覚えておいてもらいたい情報が書かれます。

  • それはしばしば,主要な知見についての刺激的な要約,アクションへの呼びかけ,今後の調査への訴え,あるいは提唱の表明となります。

  • 論文の結びの言葉は,自分の視点を注意深く説明し、実証的な研究に基づき根拠づけるといった,論文の中でこれまでみなさんが行ってきたすべての作業を動員できることから,力強いものとなりえます。

いかに研究のストーリーを締めくくるかは慎重に検討し,喚起的な文章を書きたいですね。

おわりに

いかがでしたか?
本記事では、質-JARSの考察セクションについて整理しました!

などといった、考察セクションは許されません。
考察セクションでは、前段の知見/結果セクションで示された知見/結果を簡単に要約するとともに、その知見/結果から少し距離を置いて捉え直し、その研究がどのような貢献(理論的,発見的,方法論的,実践的貢献)をしているのか、また、同時にどのような限界を有しているのかについて研究者が明確に述べるべきでしょう。
初めての査読付き雑誌への論文投稿を目指していたころ,「この研究成果を捉え直さないといけないよ」とよく指導されたものです。
今までのめり込んできた研究から距離を取り,冷静になって眺めてみる。
そんな少し醒めた態度がここでは必要かもしれません。

以前にも書いた通り,私は,最近になって,研究論文をより人間的なものにできないだろうかと考えるようになりました。
人間的なものというのは,確かな知見を提供しながら,読者の心を震わせ,行動を変えるようなものという意味です。
考察セクションは,(再び)読者を研究のストーリーに巻き込み,その研究がいかなる価値を有しているのかを訴えるセクションであり,「人間的なもの」に近づけるチャンスの一つに思えます。

次回は質-JARS最終回。
内容は質的研究論文のレトリックと査読について(第10章)。
質-JARSは学部の授業で取り上げてもよいな。

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