質的研究のための学術論文執筆基準(4):データ収集・分析
はじめに
アメリカ心理学会(APA)から公表されている「質的研究のための学術論文執筆基準」(Journal Article Reporting Standards for Qualitative Research,以降,「質-JARS」とします)について紹介します。
今回紹介する本はこちら
Levitt, H. M. (2021). Reporting Qualitative Research in Psychology: How to Meet APA Style Journal Article Reporting Standards, Revised Edition as publication of the American Psychological Association in the United States of America, 能智正博・柴山真琴・鈴木聡志・保坂裕子・大橋靖史・抱井尚子(訳)(2023)『心理学における質的研究の論文作法:APAスタイルの基準を満たすためには』,新曜社.
「質-JARS」では,論文のセクションごとに,そこに含めるべき情報の内容と,著者へのアドバイス,査読者への注意が表でまとめられています。
今回は,研究方法のセクションのなかでも特にデータ収集・分析についての基準に焦点を当て,そこに何を書くべきなのかについて整理します。
1.データ収集
データ収集のサブセクションでは,査読者や読者は,研究参加者あるいはデータソースから研究者がどのようにデータを得たかを理解しようとします。
読者層に合わせて,データ収集のために使った手続き(インタビュー,質問紙,観察など)やその変更・修正・発展について書きましょう。そこでは,どんな質問をしたか,どんな基準でデータソースからデータを選んだかも書いておく必要があります。
質問の数が多くなった場合には,全質問項目を示す必要はありませんが,中核的な質問は特定して記しておいた方がよいでしょう。
多くの質的方法では,研究の進展に従って質問に磨きがかけられていくため,質問がどう変わったかとともに,その質問をした根拠も説明しておきましょう。
自分のしたことを記述するだけでなく,疑問が投げかけられるかもしれないと考えられた研究手続きについて,その正当性を適切に説明することが大切なのです。
上記の基準のうち,私が特に注目したいのは,⑤⑥対象への関与の程度,⑦データ収集における自己省察の管理の2つです。
これら2つは,前の記事でも整理した通り,研究者に関する記述や研究者と研究参加者との関係とかかわる記載事項です。
私見ですが,
「私が問わなければ,研究参加者(研究対象)は何も語らない」。
これは,研究参加者(研究対象)の理解は研究者(私)が何かを問うことから始まるということであり,データが研究者の問いと無関係にただ単に存在することはないということです。
このため,データ収集・分析のセクションでは,研究者がどのような関心をもって,どのような問いを,どのような理由から研究参加者に投げかけたのかを説明する必要があると考えます。
加えて,前の記事で「質的研究においてまず調査されるのは,調査する側の研究者である。」という言葉を書きました。
これは「私が他者に何かを問うとき,まず問われるのは私自身である。」と言い換えられるでしょうか。
つまり,研究者は,研究参加者(研究対象)に何かを問いかけるうちに,自分自身にも変化が生じる可能性があるということです。
(変化が生じる可能性があるというか,変化しなければなりません。研究者が研究に持ち込んだ考えが覆されるような研究が優れた質的研究だろうなと思います。)
研究者に生じた研究上の焦点や関心の変化などについても論文中に書きたいものです。
書くことができれば,研究過程で研究者に生じた変化を読者は追体験することができるのではないかと思います。
2.分析
データ分析について伝える際に大切なのは具体性です。単に「質的な分析を行った」というのは不十分です。
データ分析の手続き1つひとつについて説明するだけでなく,その手続きの意図するところを読者が理解できるようにしなければなりません。つまり,分析ステップの理論的根拠についても説明しなければなりません。
確立した質的分析方法(内容分析,会話分析など)にはモデルにできる報告方法があるので,それを参考にしましょう。
ただし,質的分析方法には独自の用語(飽和や軸足コーディングなど)があるので,その方法に馴染みのない学術雑誌に投稿する場合には注意しながら用いる必要があります。
字数に余裕があれば,知見にたどり着くのにどんなふうにデータに取り組んだかを例示しておくのもよいでしょう。
コード化やカテゴリー化した場合には,それらが分析から浮かび上がってきたものか,あるいは研究の前にすでにあったものかについても明確にしなければなりません。
上記の②にもあるように,データ分析のサブセクションにおいても透明性を担保することが最も大切でしょう。
研究者と研究参加者(研究対象)が辿ってきた研究過程を読者が辿りなおすことができるように研究プロセスを説明する必要があります。
(同じ結論にたどり着かなくても問題なのでしょうが。)
おわりに:どれくらい書けばよいか
前回の記事と2回に分けて研究方法のセクションに関する基準を整理しました。
2つの記事をお読みいただいた方には,(私も書いていて思ったのですが,)研究方法のセクションを書くのがかなり紙幅と時間を必要とすることだな,と感じた人もいるのではないでしょうか。
研究方法のセクションをどれくらい書けばよいかについて,著者Levittは,はじめ,行間1行あけて15頁程度で記述し,それを学術雑誌に合わせて短くしていくようです。
より具体的には,以下の2つの解決策?を挙げています。
補足資料をオンライン上のデータベースに公開する。
投稿先の学術雑誌に掲載されている質的研究論文を参考にする。
上記の2つはたしかに助けになるでしょうが,研究方法のセクションを含めて,質的研究の論文は全体的に長くなることは仕方がないかもしれません。
質的研究の論文執筆において,どの言葉を残し,どの言葉を削除するのかを考えることは,鉋で木材を磨き上げるような過程でありながら身を削るような苦しい作業でもあります。
冗長な説明を減らすための著者の努力はもちろん必要なのでしょうが,質的研究に対してより長いページ数を認める,ページ超過料金を下げる,などハードな面の議論も同時に進めていかなければなりません。
次回は,研究結果のセクションの予定です。
こんな文章にも読者がいるようで望外の喜びです。
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