死について考えた出来事

2022/10/28
彼女の祖父が危篤状態にあるという一報が入った。

僕はそのパートナーの子と一緒にいたため
一緒に行こうかと少し悩んだ。

パートナーのおじいちゃんには大変お世話になっており
僕が一度水災で被災した時
居候させていただき、本当に命の恩人とも言えるような方だからだ。

危篤状態にあるため、パートナーのご家族みんな集まるようで
いくらお世話になったからといって
俺に見せたくない表情や空間もあるだろう

まだどうなるかわからない状況だけど
死について考えた。

俺が死ぬのはいつなんだろう

死ぬ時に後悔は残していないのか

やり残したことはないか

死ぬ間際、誰に囲まれていたいのか

なんと声をかけてもらえるのが嬉しいだろうか

俺は絶対に後悔したくないし、
あなたがいて良かったと

言われながら死んでいきたい。

だからそんな人望のある人間にならなくてはいけない。

平均寿命が100歳になっていくといわれいるこの時代に

俺は今24歳。

残り76年ある。

人生を24時間としたら、
まだ朝6時くらいか。

起きてる人はもう起き上がって、
運動をしたり、ストレッチをしたり、

仕事に取り掛かっている人もいるだろう。

この朝の時間をいかに過ごすかで1日のクオリティが変わる。
これは人生でも、いつも通りの1日でも

変わらないんじゃないだろうか?

朝、早起きしてたら。
もっと早く動き出していたら
もっといろんなところに行けたかもしれないのにと。

僕のゴールは死ぬまで続いていく。

死がゴールなのである。

死ぬまで、自分のやりたいように生きる。

自分がいいと思ったことはやり通す。やり続ける。

この同調圧力の強い日本で勝ち抜くためには

死ぬまで自分のエゴを
貫き通すことが、差別化となり

自分のキャラクターとなり、
自分のストーリーとなっていく。

この自分のエゴがコンセプト。

漫画と一緒なのだ。

自分というストーリーをどれだけ
楽しむのか。

どんなに苦しいことがあったとしても
自分はヒーローなのだ。
主人公なんだ。

俺は誰よりも長生きして、
みんなを看取ってから自分も後に続きたい。

そのみんなというのも、
自分の横にいた友人や知人、
自分の奥さんなど、良い関係も築いた先にできた
コミュニティだとおもっている。

そんなコミュニティの中心となり、人を動かし、
みんなをいい方向に導ける

ノアの方舟となりたい。

もし俺が先に死ぬようなことがあれば、
お前は最高のやつだったと
1番信頼したよと言われるような

人生にしたい。

心からそう思う。

死ぬことは怖いことだ。

でもきっと自分というストーリーをやり切った先には
怖いという感情もないのかもしれない。

俺はやりきった。
楽しかった。
いい人生だった。
世界一幸せ者だったと

そう言えるよう、

毎日毎日を

必死にもがき

生き続けていきたい。


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