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写さないこと。

こんにちは、みしぇるです。

大阪に戻ってまいりましたが、存外過ごしやすくてホッとしております。まあ、暑いものは暑いですけど。

沖縄の方が湿度が高いのにこちらの人って「こっちはジメジメしてるでしょ〜」ってよく言ってくるんですけど、あの誤解はどこからきたものなんでしょうね。こちらに来ての以来の謎の一つです。

さて、一眼レフカメラを購入してからもうすぐ2年が経とうとしているわけですが、この間写真を撮ってきていろんなことを考えるようになりました。その中でも今回は、こういうことが写真を撮るにあたって大事かもしれないなということを一つお話していきたいと思います。

スマートフォンの普及によって誰もがあまりにも気軽に写真を撮ることのできる時代になりました。普段写真を撮らないという人も実は膨大な量の写真を撮っているものの、それを意識しないほどに気軽に。

人間が外部からの情報を集めるにあたってその大半の役割を視覚に頼っていることを考えると、まさに視覚に直接訴えかける写真というものは情報の塊と言ってしまっても差し支えがないでしょう。

そんな中私はいかに情報の少ない写真を撮れるか、つまりいかに「写っていない写真」「写さない写真」を撮れるかということが大事なのではないかなと思い始めました。もっと言えば、写真はそこに移る情報が少なければ少ないほどいい写真なのではないかとすら思うようになりました。

私がこのように考えるきっかけになったのはフィルムカメラを購入してからのことです。マニュアルフォーカス、マニュアル露出のカメラでは白飛び・ピンボケなど一般的には失敗作とされる写真が撮れてしまうことも少なくありません。

ですが、このような写真すら愛おしいと思える。このような感覚を抱くのも情報が欠けた写真ゆえではないかと。

「全然ピントあってへんやん(笑)」「顔しっろw」そんな会話が生まれ、「もっとちゃんと撮ればよかったなあ(笑)」「また撮りに行こ!」なんていう話になるかもしれません。これは写真から得られる情報が少ないために写っている瞬間だけでなく、その前、その後の時間といった部分にも意識が向けられるからではないでしょうか。

情報を多く与えられると人の想像力には枷がはめられてしまいます。「花」という言葉だけでは地球上の全ての花が想像の対象であるのに「赤い花」と修飾語が付け加えられると赤色でない花は想像の対象から外されてしまうことを考えていただければわかりやすいかもしれません。

見る人の想像力に働きかける、そんな写真こそがいつまでたっても薄れない思い出というものの形成に一役買っているのかもしれません。

『The Secret Life of Walter Mitty』(邦題『LIFE!』)という映画に登場する写真家がラストシーンで主人公にこんなセリフを語ります。

If I like a moment, for me, personally, I don’t like to have the distraction of the camera.I just want to stay in it.

「撮らない時もあるよ。その瞬間が俺にとって重要なら、カメラに邪魔されたくないんだ。ただじっとしてるだけだよ」と。

写さないという選択、撮らないという選択。このようなことも意識しておくと、より深みのある写真表現への足がかりとなるかもしれません。

では。


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