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深夜のみしぇ論 詰め合わせ

こんにちは、みしぇる(@crsa_photo)です。

2022年初めての更新ですね。
ことしはできるだけたくさん文章を残していきたいなと思って、細かい文章をInstagramの日常アカウントで公開したりしています。

せっかくなのでnoteしかご覧になってないみなさんにもお届けしたいなと思って、載せてみることにしました。

日記とエッセイの中間のような、背伸びのしない読み手にも書き手にもやさしい文章を目指しています。

だいたい毎週末に更新するつもりなので、ゆるゆるお付き合いください。

  すきなひとのSNSのいいね欄を覗いてしまう癖がある。我ながら気持ち悪いなと思わなくもないのだけど、周りのツイ廃たちも軒並み他人のいいね欄を覗き見してはにやにやしているようなので、むしろ信用できる人間の証とすら呼べるかもしれない。

 そのような習慣のない人たちからすれば、いいね欄を覗き見したところでいったいなにになるのだと思うかもしれないが、まあなににもならない。あえて言うならば、いいね欄はそのひとの理想が頭の中ならこぼれ落ちたようなものだと思っているので、すきなひとの好みがわかってしまう、やさしめのパンドラの箱と呼べるかもしれない。

 ぼくはすきなひとのすきなものをすきになろうとする癖があるし、すきなひとの好みになろうとしてしまう癖があるので、人のいいね欄からよりよい自分を目指す道しるべを見つけ出そうとしているのだ。

 最近は羊文学の1999を英語で歌えるようになろうとか、香水のかっこいい付け方を真似してみようとか、着物を着れるようになろうかなとか思ったりした。

 単純である。

 

 

 

 嘘みたいな話だが、JR西日本京都線の大山崎駅のコンビニは、なんとデイリーヤマザキである。阪急電鉄京都線の山崎駅前には業界最大手であるセブンイレブンが鎮座しているので、これはどう考えてもJR西日本の社内に洒落を貫きたがった社員がいるとしか思えない。

 でもインフラというか街づくりに個人の趣味が垣間見えたら面白いんじゃないかなと思ったりする。家族経営のファミリーマートしかない街とか、七丁目と十一丁目にセブンイレブンがあるとか、ローソンしかない農村とか。

 だめかな。

 実際のところ農村にこそローソンは必要だと思うけどな。

 

 

 

  ここ数年、急にミスタードーナツがすきになった。

 もちろん子どもの頃からすきではあるのだが、それに輪をかけてすきが増しているのだ。これは自他共に認めるところで、ありがたいことに誕生日などにはミスドチケットが各所から贈られてくる。当然のようにぼくも友人たちの誕生日の折にはしつこいくらいにミスドチケットを贈っている。

 月に5000円くらいはドーナツの購入に充てているし、人に贈る分も含めたら年間10万円近くミスドの売り上げに貢献している可能性がある。文章にしてみたら少しおそろしくなってきた……。

 使っている金額にも驚かれることは多いが、どちらかというと毎回の購入量にいつも驚かれている気がする。

 ミスドがすきかもしれないと自覚する以前は、ときどきミスドに行くような普通の(?)人たちとおなじように2、3個を購入していたのだが、あるときから「6個以上買わないとミスドに来たことにならない」などというまったくの謎理論を振りかざしてはスタメンドーナツを5個に気分で選ぶ1個を組み合わせる買い方をするようになった。なぜ6個なのかは自分でも未だに謎のままである。

 一度購入量を増やしてもいずれはその量に慣れてくるようで、最近では「大人なんだから好きなドーナツを複数購入してもいい」ということに気づいてしまい、一度の購入量が10個からというのがこの1年ほどのデフォルトとなっている。

 これらをおおよそ週に一度のペースで喫食しているのだが、さすがにいつか病気になってしまわないかが心配だとこぼしたら、「そんなにドーナツを食べていることがもはや病的だから心配しなくていいと思う」と言われてしまった。それもそうか。

 

 

 

  SNSでほとんど仕事の話をしないからか、働いていないと思われていることが多い。

 特に話したいようなことも起きないし、不満もなければめちゃくちゃ楽しいということもないので話さないだけで、どちらかといえば楽しんで仕事をしている方ではないかなと思う。実際、社会人1年目の終わり頃にいまの仕事に転職して以降、仕事に行きたくないと思った記憶はない。ひとことで言えば「向いている」というのがしっくりくるのだろう。

 かといっていまの仕事をずっと続ける気があると言われればそんなこともなく、それは仕事が不満だからというよりは、自分にとって労働というものが拘束時間の寡多とは無関係に人生にとって取るに足らないものだと考えているからである。

 初対面の人なんかには「写真が仕事なのですか」という趣旨の質問をされることもかなり多い。それはお金を取れるレベルの写真ですねというよりはむしろ、そこまで写真に時間やお金を費やしておきながら趣味なのかよ狂ってんなといった意味合いの方が強いのではないか、などと穿った見方をしてしまうのはぼくのわるい癖だ。

 たぶん写真を仕事にすることは今後もないだろうなと思う。ぼくはぼくの写真に価値がないことを誰よりもわかっているつもりだからだ。ぼくの写真は社会的な価値から離れているからこそ好き勝手できるし、自分の理想を追って妥協せずにいられるのであって、ただでさえ無個性を目指すぼくの写真が商業的な価値と結びついてしまうと途端につまらないものになるだろうということが想像に難くない。

 

働きながらもそれなりに好きなだけ写真ができるいまの環境は気に入っていて、だからこそぼくがもし写真を仕事にする決心をするのならそれは、自分が持てるすべての力を写真に注ぐことができたらどんな世界が見えてくるのかといった好奇心にあらがえなくなったときだろう。


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