文章を書く力について
文章を書く体力・技術が明らかに低下してきている。
仕事でクライアントとのメールや、同僚とのチャットは毎日行っているので、ビジネス上の文章は問題ない。数字やデータがベースだし論点が明確なので、むしろしっかり明確に書けている方だと思う。
しかし、Noteに書くような、自分の感覚や気持ちを言語化した文量のあるエッセイを書こうとすると、途中で文章がまとまらなくなり、書き切ることが出来ない。
今、この文章を書いているが、その直前に4つもエッセイを途中離脱した。
書き散らかすだけ散らかして、全体としてまとまらないまま空中分解。この「文章を書く力について」に逃げてきた。この文章は、なんとか最後まで集中して書き切れればよいのだが・・・。
著名な小説家(村上春樹だったかな?)が雑誌のインタビューで「小説を書き始める人は大勢いるが、書き終える人は1%もいない。まずは書き切ること。そこからです。」と、小説家を志す人向けにアドバイスしていた。
私は別に小説家を志しているわけではないが、子供の頃から文章を書くことが好きで、大人になったこれからも「物書き」として、自分の感受性を言語化して発信し続けたいと思っている。
ここ数年、うっすら感じつつも見てみぬふりしてきた「文章を書く能力の低下問題」を、今日こそはしっかりと分析し、対策を講じ、私の物書きとしての能力を回復させる契機としたい。
まず、冒頭で「文章を書く体力・技術が明らかに低下してきている。」と書いたが、もう少し自分の感覚を具体的に掘り下げると、
長い論考・エッセイの書き方を「忘れてしまった」という感覚に近い。
高校の小説コンクールで銀賞を取ってから、あれ、文章を書くの得意かも?と思って以来、私は自分自身のことを「物書き」として認識していた。
大学時代には、グルメ雑誌を創刊してライター兼編集長として沢山の文章を書いた。記者になりたいと思っていた時期もあったので、ロイター通信のインターン記者としてニュース記事・論考を書かせてもらっていたこともある。
おそらく、同世代の中では、長短問わず「文章」を書くのが相対的に得意だったと思うし、なにより実際に沢山の文章を書いていた。
そんな「物書き」であった自分が、社会人として忙しく働くなかで、自分の感受性・思考を自分の言葉であまり発信しなくなった時期がある。そのサボりが溜まってきたのだろう。
最近、改めて、物書きとして文章を書こうとすると、「あれ、、、なんでこんなに言葉が出てこないんだろう?」という感覚が強い。
ちょっと前までは書けていた文量を途中でギブアップしてしまう。
そして、この言語化力の低下は、文章を書くときだけではなく、友達や大切な人に自分の想いや考えを伝えるときにも、大きな支障をきたしてしまうと思う。
書くにしても、話すにしても、自分の気持ちや考えをを、自分の言葉でもっと上手に伝えられるようになりたい。
いざ、言葉と向かい合おう。
テクニカルな分析・対策は、こちらの別Note記事にまとめた。
https://note.com/kohei_koyama/n/n0f6e34df9e70
私が大好きなMr.childrenの「箒星」という歌の中に、「最近ストレッチを怠ってるからかな、上手く開けないんだ、心が、ぎこちなくて」という歌詞がある。
体の硬い人が、ある日突然180度開脚ができるようになるはずもなく、逆に、体の柔らかい人が、ある日突然ガチガチに体が硬くなってしまうこともない。
私個人の進化と退化は、1日1日の生活と、1つ1つの実際の行動を通じて、少しずつ進んでいくのだと思う。
文章を書く力、言葉を紡ぐ力も、毎日のストレッチで良くもなるし悪くもなる。
定性的で感覚的な自分の考えや気持ちを、言葉にして相手に伝える力は、物を書く人としても、物を作る人としても、誰かを愛する人としても、誰かに愛される人としても、非常に重要な力だと思う。
より魅力的で面白い人間になるために、今日からまた、しっかり言葉と向き合っていこうと思う。
Today is the youngest and earliest day for starting something new!
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