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順調だった外資系マーケティングキャリアを辞めてスタートアップを選んだ理由

今弊社ノバセルではTWITTERなどを通した情報発信を強化しておりまして、私はNOTEを9月末までに4本書くことをコミットしました。今回はその第2弾ということでこのようなタイトルで書きます。
ちなみに第1弾はこのような記事でして、私の弱小TWITTER(フォロワー300人程度)で投下してみたのですが、ノバセルのみんなの力添えもあり、なかなかの反響を頂きましたので、是非ご一読くださいませ。
https://note.com/kohei_koba/n/nfca3411e517c

改めて自己紹介すると、1990年生まれ、京都大学・大学院医学研究科卒業後、フランス化粧品会社ロレアルに新卒で入社。4年間日本でプロダクトマーケティング、デジタル、イーコマースに携わり、その後アジア統括本部である上海に駐在。2021年にロレアルを退職し、ノバセルに参画しました。

この説明をすると、「ロレアルからスタートアップ?クビになったの?」 と95%聞かれます。そしてだいたいこう答えます、「ぼく気まぐれで楽しそうなこと見つけて飛び込んで気づいたらここにいました。変ですよね笑」

これは50%真実で、残り50%は嘘というか本心を隠しています。単純に話すと長くなる+だいたい変な人だと思われて理解してもらえないからです。笑
ということで、本日のお題はグローバル企業→スタートアップへの転身を経て感じることをシェアしたいと思います。価値観・給料・組織など、自分から発信することで、大企業⇔スタートアップの転身を考えている方の後押しになれればと思います。そして改めて自分自身の整理と覚悟のためにも。
また、この記事を読んで「ノバセルに興味を持った!」という方がいれば是非TWITTER・FBを通してDM頂けると幸いです。

前置き

大企業とスタートアップのキャリア論争については何かお互いに相容れないイメージがあるといいますか、大企業寄りの方はスタートアップをどこか嫌い、その逆も然りといったところがあります。
結論、私はどちらのキャリアもその人の考え方やステージによって素晴らしいものになると思います。8万人以上の社員を抱えるグローバル企業・ロレアルからキャリアを始めたことを後悔したことはないし、「お前は新卒からスタートアップで責任をもって働くべきだった!」などと言われても、心が動くことはありません。
一方でスタートアップに来てからは、「え?なんでそんな順調だったキャリアを捨てて、転職されたんですか?」と大企業の方に言われることも増えましたが、こちらも心が動くことはありません。
よって、この論争は結局、自分自身の納得感と決意だけかと思います。
また、本記事の中には私の独断と偏見が余すことなく入っております。あくまで一個人の意見になることをご了承くださいませ。

AGENDA

序章~ロレアルでのキャリア概略

自分の考え方を180°変えた海外生活

アジア統括本部での経験を通して気付いたこと
学び① おれ、いなくていいじゃん。
学び② ビジネスにおいてジャイアントキリングは起こり得る、そして大きすぎる組織は時に足かせになる
学び③ 仕組みを変えて大きく変わった中国、その一方で日本は完全に遅れている

まとめ 大企業からスタートアップへ

序章~ロレアルでのキャリア概略

まず前提としてロレアルは素晴らしい会社です。
今でも大好きで、素敵な上司に恵まれ続けました。強いパッション、右脳と左脳のバランス(論理性と感性)を持ったマーケターが多く、高いコミュニケーション能力とネイティブレベルの英語力を持つ素晴らしい人材ばかりでした。マーケティング領域でキャリアを始めたい新卒には心からお勧めできる会社の一つです。
その中で、新卒では初となる英語が喋れない新入社員としてキャリアを歩み始め、文字通り「新しい上司はフランス人♪」な状態で英語を喋れないが故に毎日怒られ、日々の会議では緊張のあまり脇汗をかきまくる、そんな濃厚な4年間を日本で過ごしました。
本筋からは外れますが、私が新卒として初めてローンチした製品についての記事があるので、ご興味あれば是非読んでみてください。


そんな私の夢は”最年少で海外に行く”ことでした。英語が喋れなくてつらい思いをたくさんしたので、いつか外人と肩を並べて働きたい、という気持ちが強かったのです。一年目の研修後に夢をみんなに発表する機会があり、これを堂々と言ってみたところ、全員に失笑されたのを今でも覚えています。笑
そんな中、日本でのパフォーマンスが評価され、4年目の終わりに上海に本拠地を置くアジアヘッドクォーター(アジア統括本部)への話を頂きました。
日本人がアジアHQに行くのは歴史上3人目で、その中でも4年目という速さ(しかも関西弁なまりの英語)でこのポジションをとったのは日本最速、そしてアジア最速でのプロモーションでした。
上海での生活については、また機会があれば学びをシェアしますが、これが自分のキャリア感を大きく変えることになります。

自分の考え方を180°変えた海外生活

上海での生活は驚きと、自身への落胆の毎日でした。
アジア13か国を統括する業務で、海外を飛び回る夢のような毎日、なんでも切れる経費の緩さに驚愕。笑
仕事は非常にダイナミックで、アジア全域の様々なビジネスモデルを学び、数千億規模のPLを見ながら投資判断とディレクションを出す、貴重な経験でした。
その傍ら、MBAホルダーに囲まれ、同世代の世界のトップランナーとの差をまじまじと見せつけられ、海外メンバーの積極性やコミュニケーション能力の高さに愕然としました。何一つ勝てないじゃん、おれなんでここにいるんだろう、と。
夜9時頃に仕事を終えては毎日英語のレッスンを取り、次の日への不安に苛まれながらなかなか寝れない日々を過ごし、約半年間が過ぎたころにはストレスも限界に達し、家のお手伝いさんに「髪の毛めちゃめちゃ落ちてるよ」と指摘され、気づけばAGAクリニックで高額な薬を買っていました。
これまで幾度となくどん底を味わってきましたが、この時の辛さは一生忘れないでしょう。
そしてこの”夢の海外生活×どん底の日々”の中でこんなことを考え始めました。

アジア統括本部での経験を通して気付いたこと
学び① おれ、いなくていいじゃん。

これが確信に変わったのは、良くも悪くもコロナ禍における環境変化です。
コロナが始まった2020年は、化粧品というコロナによる大打撃を食らったカテゴリの一つを主軸に置くロレアルにとっても大変革の年でした。私が見ていたアジア13か国においても人材の流出入が激しく、ほぼ毎日のように自分の各国の担当者が入れ替わっていったのです。タイのパッタイさんが入ったと思ったら1週間後にはいなくなっていて、同時にフィリピンチームのセブさんが気付いたら辞めてた・・・ のようにもう名前を覚えることさえ辞めようかと思うほどでした。
ただ、気づいたのはどれだけ人材の流動性が高まっても、その国におけるビジネスは揺るがない、ということでした。
大企業においては、強靭な仕組みが出来上がっていて、そのプロセスに乗っ取って立ち回れれば一定のパフォーマンスが出るのだなと思いました。だからこそ安定しているし、来月の給料が支払われないなどの不安を感じることは全くない。一方でこの状況を俯瞰的にみると、属人的な差があまり生まれない、実は非常に狭い領域で多くの優秀な人たちが必死に差別化を図ろうとしているように思えました。そしてその結果、社内政治など本質ではないところに熱を注ぐようになる。自分が新卒のときに思っていた姿とは乖離が生まれ始めていることに気付きました。
勿論、すべてがそうだというわけではなく、また社会に与える影響は非常に大きい仕事もたくさんあります。そしてこれはあくまで自分自身の組織におけるポジションがまだまだ低かった(会社や事業にインパクトしうるポジションに自分がいなかった)、というのもあると思います。ただ、本質的にビジネスや社会に対して影響を与えうる意思決定を取れるポジションにたどり着くにはあと10年以上の時間をかけなければいけないことは見えていて、その時間軸に自分自身が耐えることはできないなと感じました。
そして、何より”歴史の教科書に名前を刻みたい(良い意味で)”という目標を持っている自分からすると、もっと自分という人間を、小林幸平という人間を見てくれ!という想いをもうこれ以上、抑えられなくなってきていることを感じ始めました。

学び② ビジネスにおいてジャイアントキリングは起こり得る、そして大きすぎる組織は時に足かせになる

私がアジア統括チームに着任した2019年は中国のメイクアップ市場に革命が起こっていました。日本のような成熟市場とは違い、この数年でマーケットが形成されてきており、市場規模は過去3年で2倍という驚異のスピードで拡張している、間違いなく2025年には化粧品業界にとって世界で一番大きい市場になる、そんな国です。
そして、もう一つの動きは中国の消費者が自国ブランドを重要視するトレンドが強くなっていました。これは非常に面白い流れで、この2~3年でできた中国発のブランドが大躍進をとげていたのです。
その首位を走るのが、PERFECT DIARYというブランドで、圧倒的な価格・ブランドコンセプト・プロダクト・プロモーション、そしてECのみに販売網を絞る戦略を持って、中国市場堂々の1位のポジションを獲っています。

http://jp.perfectdiary.com/

この煽りを受けたのが、私が担当していたメイベリンニューヨークというブランドでして、2018年までは1位だったが、私が着任した2019年には3位にまで墜落していました。
勿論、メイベリンのトップからは1日でも早くシェアを回復して1位に返り咲け、となるわけです。焦った当時の中国チームはひたすらチャイナブランドを分析し、そして彼らと同じことをやろうとしました。
結果、POD(差別化要素)を失ったメイベリンの数字は回復するどころか落ち続け、中国チームのメンバーはほぼ退職、組織崩壊しました。
なぜか?PERFECT DIARYを始めとするスタートアップ系チャイナブランド達は、そのビジネスモデル自体に圧倒的な優位性があり、これは大手が追っかけられない仕組みになっていたのです。
具体的には、
①チャイナブランドはグレーな生産会社を使い、かなりのコストカットをしていました。一方でロレアルは厳しい生産管理のガイドラインがあり、安価に生産できる工場は使えないため、コスト競争では戦えない状況にあった
②中国は国内ブランドの育成のため、外資系ブランドには大きな関税をかけており、これもコストに大きな影響を与えた

勿論、コスト面での競争はあきらめ、他の4P要素で勝つという選択肢もあるように思えますが、当時この市場をみていた私からすると、それさえも望み薄でした。
完全なるジャイアントキリングが起きたのです。
ロレアルという大企業でしか働いたことがなかった私には非常に衝撃的なことで、そもそもの考え方や視点自体が足りないと痛感しました。
目の前にあるものだけが事実ではなく、常に様々な角度から物事を捉え、そして刷新していかなければいけない。そんな当たり前なことを、どこか平和ボケしていた私の頭を強く打ちました。

学び③ 仕組みを変えて大きく変わった中国、その一方で日本は完全に遅れている

私にとってこの上海生活は初めての海外でした。
その初めてが中国だったことは非常に良かったと思います。
なぜなら中国は「仕組みで急速に進化してきた国」だからです。
ご存じの方も多いと思いますが、QRコード決済の浸透率は100%で、むしろキャッシュを使うことはほぼ出来ない(もう対応していない)といっても過言ではありません。
食事といえばすべてDIDIで、コーヒーが飲みたくなったらそれだけでよく宅配を頼んでいました。(コーヒーが200円くらいで、配達料も20-30円なので気軽に頼めるのです。)それくらい生活に根付いているのです。
またタクシーアプリも然りで、手を挙げてタクシーを拾ったことはありません。これらの変化はたったこの5-7年の中でドラスティックに変わったのです。
そして極めつけはコロナへの対応力でしょう。
コロナ患者をアプリで完全に管理し、コロナに掛かった人が歩いた道の半径3m以内にいた人はすべてアプリを経由して呼び出され、自動隔離されるという徹底ぶり。
嘘のように聞こえると思いますが、上海においてコロナは2020年4月には完全に収束していて、マスクさえしていませんでした。

一方で日本はどうでしょうか?このような話を聞くと耳が痛いですよね。
では、なんで日本は遅いのか?勿論国民性だとか、国の考え方が違うとかいろいろ言い訳はできると思います。でも、私の考えは違っていて、私達のような若い世代がもっと日本のために、その仕組みを変えるために、やり切れてないのだと思いました。
ちょうど中国でinner mongolia(モンゴル自治区)に外人の友達たちと旅行する中で、ふとこんなことを考え、そんな雄大な土地で30歳の誕生日を迎えて浴びるようにお酒を飲みながら、いまこのタイミングが一つのターニングポイントになる、と考えました。

まとめ 大企業からスタートアップへ

これら3つの学びを経て、スタートアップに飛び込む決意をしました。

学び① おれ、いなくていいじゃん。
→まだ小さい組織で、相対的に自分自身の影響力の大きい環境に身を追き、プレッシャーを感じながら一から頑張るチャレンジをすること
学び② ビジネスにおいてジャイアントキリングは起こり得る、そして大きすぎる組織は時に足かせになる
→小さいながら、大きなビジョンを掲げ、それを本気でかなえようとしている経営者と働きたい。ジャイアントキリングを起こす原動力になりたい。
学び③ 仕組みを変えて大きく変わった中国、その一方で日本は完全に遅れている
→今後、日本の仕組みを変え、そして日本を代表する会社になるところで働きたい(外資ではなく、日本の会社で働きたいというのもあった)

なお、転職にあたってはfor startupの仁木さんという方にお世話になりました。多くのエージェントの方に声をかけて頂きましたが、圧倒的に解像度が高く、全部仁木さんに依頼しました。笑

そして、転職するのはとても怖かった。ノバセルへの転職を決めたのがまだ上海にいた2020年10月で、転職したのが日本に帰国後の2021年2月だったので、正直その期間もめちゃめちゃ考えました。
自分の問題は、圧倒的に自分自身に自信がないこと。自分が何ができるのか、あまり自信がなかったから、スタートアップのようにみぐるみ全部はがされて丸裸の実力を問われるような場所に行って自分がパフォームするイメージがまるでなかった。「あれ、こいつ思ってたのと全然違うじゃん」と思われるのが怖かった。
ただ一方で、ここでチャレンジしなければ死ぬときに後悔するだろうなと。秋の時点でE判定だったのに京大を受けたのも同じだし、英語喋れないのにロレアル入ったのも、海外に行ったのも同じ、やりたいと思えばやり切る、後悔したくない。

と、気づけばラクスル ノバセル事業部に飛び込んでいました。
長くなったのでここまでにします。
自分目線でのノバセルでの日々はまた別途まとめたいと思います。

では!

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