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僕と『チーム道草🌱』〜泣いてばかりの僕が導き出した答え〜

おばんです。コウヘイです😊

1週間分更新が空いてしまい申し訳ありません。

最近は暑い日が続いてますが、水分補給をしっかりして過ごしていきましょう!!

「いつかこのnoteが、みんなの心のオアシスになったらいいな」なんてクサいことを思いながら、今日も書いていきます。

ただ、今回の内容は色んな苦悩や葛藤が書かれている話です。もしそれでも読みたいという方だけ読み進めていきます!

それでは参ります。

前回の内容を読んでない・忘れてしまった方はまずこちらから!


◆ここからがスタート🏃‍♂️

停学が開け、4月から無事大学に復帰できた私は取り消しになった24単位を取り返す為に、大量の履修登録を済ませた(集中講義合わせ、1年間で64単位取ってしまった…笑)

そしてチーム道草の新年度最初の活動といえば『新歓ツアー』!

『新歓ツアー』:
1泊2日で新入生向けに「チーム道草」と「金山町」を体感してもらうツアーの企画をする事になった。4月下旬から5月中旬にかけて、1泊2日のツアーを全3回行う。

私は、道草の運営メンバー(以下:「プロデュース」と呼ぶ)として、新年度早々この企画に取り組む事になった。前年度たまにしか企画に参加してなかった私なので自分が主体となって企画するのは、この新歓ツアーが初であった。


当時10人ほどいた「プロデュース」メンバーで初回のツアーに参加できるのが私だけだったため、必然的に私が初回のリーダーを任される事になった。

企画に大して携わった事がない私が新歓ツアーという年度始めの一番大きな企画。しかも全3回で最も重要となる初回のリーダーを任せられる事はかなりのプレッシャーだった。


実際、事前準備からお金の計算、車の手配、地域の方との連絡など初めての事ばかり。

しかし、私が頑張る事で「チーム道草」を好きになって入ってくれる新入生を想像すると、とてもワクワクした

◆新歓ツアーで起きた事件

初回のツアーに参加した他の上級生にも協力頂き、ツアーは順調に進んでいたかに思われた。
しかし、そんな中で私はリーダーとして大きなミスをしてしまった。

宿泊(ホームステイ)先にて

・道草の宿泊人数が正確に伝わってなかった事
・地域の方とではなく、内輪だけで盛り上がり夜中うるさくしてしまった事
・地域の方と起床時間の共通認識が取れておらず、朝の支度が遅くなってしまった事

から地域の方から叱られてしまったのである。


地域の方とも、ツアー参加の学生とも連絡や共通認識を綿密に取る事を怠った私のミスであった。

しかし、叱られたのはリーダーの私ではなく、4年生の2人。企画側ではない上級生が叱られてしまった事に私は心を痛めた。地域の方にも上級生にも申し訳なくて仕方がなかった…。

宿泊先は初代の頃からお世話になっている方。「初めてだから多少のミスは仕方ない。」そんな気持ちで企画してたからこそ、起きたミス。

地域の方にとっては、はじめてではなく、初代から続いて6年目のチームなのだという自覚が抜けていた。

私のリーダーとしての拙さは、これまで紡いできた先人達の想いや地域の方からの期待を裏切る行為となった。

「今の貴方達ははっきり言って『なぜチーム道草として"地域"で活動するのか?』が見えない。」

と言われ、初代と今の自分達では地域の方との間に大きな溝ができてしまってる事を感じた

◆度重なる問題に追われる日々

私の経験の乏しさが引き起こした事件は、良くも悪くも"地域"と"チーム道草"の意識のズレを浮き彫りにした。これはいち早く解決しなければならない問題であった。

しかし、その頃「プロデュース」では6月に実施予定の全体総会の準備と、7月の「学生団体総選挙」という大会でのプレゼンの準備を進めなければならなかった。

『学生団体総選挙』
全国各地で頑張る学生団体・サークル・部活動を表彰するコンテスト。この年「チーム道草」も本戦へ出場し、東京でプレゼンを行った。

さらに、サークルに所属するメンバーが「飲酒の問題」を起こした事で、サークルとして学校の理事に呼び出しされるなど、様々な問題が相次いだ。 

※この時は直接、チーム道草が飲み会で何かしたわけではないが、所属メンバーの不祥事という事で代表が理事に呼び出された。

最終的には、「地域との意識のズレの是正」と「飲酒に関するルールの策定と共有」に関して、メンバーと個別で面談を行い、認識がちゃんと共有できるもの同士で今後活動を行うという決定が「プロデュース」内でなされた。

私は正直それが根本的な解決に繋がるとは思っていなかった。

面談だけ取り繕う事はいくらでも可能だし、サークルという緩い繋がりで続いてきた分、今の道草を好きなメンバーの中にも、これがきっかけで辞めていくメンバーもいるだろうと思った。

だからといって当時の私はこの「プロデュース」の決定に反対するほど代替え案もなく、この問題を放置しておくわけにもいかず、面談を実行する事となった。

面談にあたっては、同学年のメンバーからかなりの非難の声が上がった。
「プロデュース」メンバーでありながら、1人の道草メンバーでもある私は、どちらの味方でもあったし、ある意味どちらの味方でも無かった。

今思えば、当時の私は、双方の架け橋になれる存在だったはずなのに、板挟み状態の自分をただ嘆くだけの自己中心的な人間であった。


私は同学年約35人の面談を担当する事となった。予想通り、辞めていくメンバーも何人かいたし、新歓ツアーに参加してくれた新入生の中にも、この面談がきっかけで結局入らなかった人も沢山いた。(それでも入ってくれた1個下のメンバーには未だに感謝しかない🙇‍♂️)

私が目指すサークル像とは少しずつ離れていってるように感じていたが、少なくとも残ってくれたメンバー、加入してくれた新入生が「道草に入って本当に良かったと思えるサークルにしよう」と改めて心に誓った


◆全体総会と事実上の代替わり

全体総会の準備や諸問題の解決、学生団体総選挙の準備にあたっては、夜中の9時半まで残って、話し合いをした日も幾度かあった。

公務員試験や研究室で忙しい先輩方、アルバイトで忙しい同期など他のプロデュースメンバーに対して、授業だけは忙しかったものの、アルバイトを辞めていた私に色んな業務が降ってきた。

「大変なみんなの分まで頑張ろう!!」

と思いながらやれたら良かったのだろうが、実際には、上記の決意とは裏腹に「あ〜面倒くさい。なんで俺だけ…。」と愚痴る毎日だった


全体総会は当初の6月から7月に変更され、何十日の準備期間を経て実施された。総会自体は、先人達の紡いできた想いや繋がり振り返るのには、とても良い機会となったが、何十日かけて企画したものを、数時間だけで100人近くのメンバーに伝え切る事は非常に難しかった。

私自身、2年生メンバーから「総会長いし、内容も理解できなかった。」と非難の声を浴びる事もあった。


全体総会と学生団体総選挙がひと段落すると、当時3年生の運営メンバーの殆どは公務員講座や研究室、教育実習があった為に、身を引き始め、夏休み前には事実上の代替わりとなった。


当時2年生で副代表を務めていた私は、「チーム道草」を引っ張って行かなければならない立場であったが、問題続きであるこのサークルで、どうすれば良くなるのか全くわからなかった。お先真っ暗状態であった。


◆私の出した答え

引き続く問題の原因は、「地域」と「チーム道草」の間に生まれた溝、そして「チーム道草」の内部で生まれている溝が原因だった。

各主体の繋がりを強化し、溝を埋めるための"何か共通意識"を持って活動ができれば、チーム道草はもっと良いサークルになると思った。

そして私はその"何か"の答えとして「"楽しい"という感情で繋がろう」と結論を出した。

楽しいから道草の活動に参加して、楽しいから地域の方と交流する。もっと楽しくするために企画にも参加するし、楽しさを損なわないためにある程度のルールは守る。そして、楽しいからこそ、活動への意義や想いが生まれてくる。

それが私の導き出した答えだった。
あとはどう楽しさを醸成させるかだけだった。

◆誰にでも出来ることを誰よりもやる

私は自分の頑張りを隠すタイプではなく、ひけらかすタイプだ。不満があればすぐ口に出す。

よく言えばオープンな性格の私は

「誰よりも道草を楽しむ姿を見せる事で、みんなが道草を楽しむようになる。道草を楽しむ事の手本になろう!」

そんな絵に描いたような理想を本当に実現しようと思った。

誰よりもチーム道草の事が好きになった。
「チーム道草」の歴史やこれまでの経緯について詳しく調べたり、先輩に沢山話を聞いた。

誰よりも道草メンバーのことを好きになった。
私は人の名前を覚えるのが得意でないが、100名以上のメンバーのプロフィールを全て暗記していた。1度しか話した事のないメンバーの事を色々知りすぎて、若干引かれるレベルだった(笑)

誰よりも「地域」へ足を運んだ
当時プロジェクト管轄以外のほぼ全ての活動のリーダーを務め、活動外でも地域の方から声がかかれば必ず行った。

地域のおじさん達の飲み会にオレンジジュースで参加して話をした事も何度かあった。

結果として、宮城の実家から4時間近くかかる金山町に、1年間で60回も足を運んでいた。(他の地域合わせたらもう少し数が増える)

誰よりも地域の人へのレスポンスを迅速に行い、誰よりも挨拶を元気良くする。地域の方から信頼を勝ち取り、活動を円滑にすすめる為だった。

そんな事を繰り返し、
『誰よりも「チーム道草」を楽しんだ。』


活動のリーダーでは何度も失敗したし、メンバーの要望を100%答える事が出来なくて、悔しくて何度も何度も泣いた。

私の行動にそんなに大きな意味があったかは分からないが、少しずつ私と「チーム道草」が、私と「地域」が、そして「チーム道草」と「地域」が近づいていくように感じた。


◆代替わり総会

夏休みが明け、遂に代替わり総会の日がやってきた。1〜4年生まで全メンバーが集まり、当時の3年生から私達2年生に代を引き継ぐ会である。

いつもヘラヘラしてて怒られてばかりであったが、それでも優しく真剣に自分と向き合ってくれた3年生の先輩から代替わり。

今度は私達2年生(当時)がチーム道草を引っ張っていかなければならなかった。

正直、最初は代表なんてやりたくなかった。
大したメリットもないのに、沢山色んな事で悩まされ、沢山の責任を負わされ、そして大好きな道草メンバーから誰よりも非難を受ける役割だからである。

でも夏の色んな経験を通して、代表という役割へのネガティブな感情より、少しだけ道草を好きだという気持ちが上回った為、代表をやる事を決意する事が出来た


代替わり総会の最後のプログラムは「代表就任の挨拶」。しっかりと自分の想いを伝えるため、何度も練習したつもりだった。

でも結局上手くメッセージを伝える事が出来なかった。


いざ私が話し始めた時、道草メンバー全員が温かい笑顔で話を聞いてくれている光景を目の当たりにして、感極まって号泣してしまったからだ。

文章の流れ上割愛したが、私が代表就任まで頑張って来れたのは、私が泣いたり落ち込んだりする度に、励ましてくれた仲間、愚痴を聞いてくれた仲間、道草を良くするために沢山意見をくれた仲間など沢山の仲間のおかげだった

色んなしがらみもあって、みんなの要望に応える事が出来ない時もあり、私を嫌いなメンバーだっているんじゃないかと思っていた。

いつだってみんなは味方だったはずなのに、メンバーを信じられなくなった時も沢山あった。

代表挨拶の間、ずっと泣きながら、何を言ってるかも分からない私の話を笑顔で聞いてくれて、「頑張れ!」って声を掛けてくれた。ずっと涙が止まらなかった。

この代替わり総会の日が、改めて「チーム道草」の為に本気で頑張ろうと思えた日だった。



「特別な才能もカリスマも無くていい。ただ誰にでも出来ることを誰よりもやる。仲間からの信頼も活動の楽しさも後からついてくる。」


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今日は長々と書いてしまいましたが、来週は代表を務め、仲間と地域と共にたくさんの挑戦をしてきた沢山の経験を綴って、「チーム道草編」を締めたいと思います

来週もまた読んでくれると嬉しいです😆

ps.みんなの心のオアシスにはまだなれないけど、泣いてばかりで足元にオアシスが出来そうなコウヘイ


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