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ペルテス病と戦った過去。

こんにちは!Koheiです!

梅雨明けたのかなと思うぐらい暑いですね!
私は季節の変わり目で毎回体調を崩します。皆さんも気をつけてくださいね!

早速ではありますが、私の苦い経験である病気の話をしようと思います。
自分のことを少しでも分かってもらえたら、また誰かの生きる糧になれたらと思って書きますので、ぜひ読んでください!!

大好きなサッカーができなくなった絶望

小学2年生の夏。
私は起きました。その途端、右足だけ違和感があって立てませんでした。正直何も考えてませんでした。まあ、昨日練習あったし疲れているのだろうと思っていましたが、心配だったので親に言いました。

上手く立てない。

心配になった親はすぐ近くの病院に私を連れて行きました。

診断結果はわからないと言われました。ここでは検査できないので、大きい病院を紹介されました。

次の日すぐに、府中の大きい病院へ行きました。
そこで、診断で言われました。

ペルテス病です。

私は正直よくわかりませんでした。

ペルテス病とは何か

ネットで調べてみるとこんな感じです。

発育期に抱いた骨近位骨端(骨の付け根)に阻血性壊死が生じる疾患です。大腿骨頭の変形をきたしますが、小児期では骨のリモデリング(骨を壊し、再生すること)の能力が旺盛なため、成人の大腿骨頭壊死症に比べると予後がよく、軽微な機能障害を残すにとどまることが多いです。発症年齢は2~13歳くらいで、男女比は4:1と男児に多くみられます。

症状としては股関節痛や跛行(足を引きずるなど通常通りに歩行できない状態)を生じる。大腿から膝の痛みを訴えることもあります。骨端核(骨の端の軟骨の中心にある骨)は阻血性壊死に陥ると、やがて圧潰(押しつぶされること)、扁平化し大腿骨頭は変形します。その後、壊死した骨は吸収され、新生骨で置換される過程が始まります。小児期には骨のリモデリングの能力が高いために、ほとんどの場合、治癒の最終過程では大腿骨頭と臼蓋の形態の適合性が得られ、重い機能障害が残ることは多くありません。

まあ簡単にいうと、股関節が潰れる病気です。
ここで私は絶望しました。
なんで俺なんだと。そして、なんで今なんだと。
この時期は全国レベルのJACPAというサッカークラブの監督からお誘いを受けていて、全盛期でした。
サッカー選手になるぞと思ってた矢先に、とんでもない病気になりました。

正直毎日泣きました。

どうやっても変えられない現実。何しても立てない、どう足掻いたってサッカーができない現実に目を向けられませんでした。

担任のI先生の愛

私の闘病生活は始まりました。
みんなが遊んでいる昼休み。楽しそうだったなあ。俺も参加したい。ずっとそう思ってました。でも俺は立てない。
ちょっとずつではありましたが子供なりに、その現実を少しずつ受け入れてました。

そんな私を見て、当時の担任の先生は驚くべきことを言います。

サッカーをみんなとやろう。
ゴールの横に椅子を置くからそこに座って、ゴールを決めるんだ。

その言葉をもらって私は泣いたのを覚えています。

私の心は他人には分からない。

当時私はそう思って生きてきました。
でもここで変わりました。
分からなくても分かろうと努力することはできると。それは今の人生にも活きています。

正直他人の考えなんて分かりません。
でも行動や言動で少しは分かります。
これを読んだ人は是非分かろうと努力をしてほしい。

人の気持ちが分からなくたっていい。分かろうとすることに意味があるから。

話が逸れてしまいましたが、
人を信じる大切さやどんな状況でも工夫して人を幸せにする力はここで身につきました。
感謝しかありません。必ず恩を返します。I先生。

人の優しさに触れた学校生活

私は病気になってから、松葉杖と車椅子の生活でした。
とても不自由でしたが、今になってはいい経験でした。
例えば階段を登るとき、いつも松葉杖を持ってくれる友達。手を貸してくれる友達。
私は幸せでした。本当にありがとう。
みんなは覚えていないかもしれない。
けれど、私は誰がよく助けてくれたか、手を差し伸べてくれたか、びっくりするぐらい覚えています。
いつか恩を返したいと思っています。
待っててください。
誰にでも優しく生きる。
この考えが生まれたのもここがルーツです。

どんな人にも優しく生きる

皆さんはこれできてますか?
私は正直出来てると言えるか微妙です。笑
努力はしていますがとても難しいことです。
なぜなら、優しさは誰かに与えれば、他の人には優しくないと言えるからです。
でも私は少しずつみんなに優しくしていけばいいと思っています。

みなさんも誰にでも優しくしてくれると嬉しいです。

初めての入院生活

まあ地獄ったらありゃしない。笑
ご飯はまずいし、トイレも汚い。最悪です。
ご飯はよく父にそーめんの弁当を買ってきて貰ってズルしてました。ほんとに美味しかった。
父に綺麗なトイレを探してもらったことも覚えています。
一回のリハビリ室の近くが一番綺麗なんです。笑
どうでもいいですね。

でも、父の気遣いには何ども助けられました。
ありがとう。

入院した当時の記憶は多少あります。
深夜に日本代表の試合を見たこと、
同じペルテス病の女の子とマリオカートをしたこと、
お尻かじり虫が大好きだったこと、
クソみたいなサッカーゲームもしてたなあ。
なんて大した記憶ではありません。笑

でも一つだけ鮮明に覚えていることがあります。

それは、H校長先生がお見舞いしてきてくれたことです。眼鏡をかけた凛々しい女性でした。
私となんの関係もなかったのに、わざわざ私の元に足を運んで、こう言いました。

これで好きなものを買いなさい。

お金を貰いました。
母は千円だと言っていましたが、自分は一万円だと記憶しています。どちらでもいいですね。笑
とりあえずとても嬉しかったのを覚えています。
今からしてみればちっぽけなことかもしれませんが、子供の私には嬉しかったのです。

この経験も私を変えたルーツです。
いつかこのお金を返したいと思っています。
きっとH校長先生は要らないと言うと思います。
でも返したい。
そして、お金だけじゃなくてもっと価値のあるもので返したい。そう思っています。
正直なんでもいいです。
誰かに幸せを提供すること、それが自分の使命だと思って今を生きています。
今そうなれているのかな。
きっとなれていません。
だからもっと成長します。 

これを見た方も一緒に成長しましょう。

怖かった一回目の手術

皆さんは手術したことありますか?
麻酔がかかって意識が消えていく感覚は今でも忘れません。怖かったな。
私の麻酔がバニラ味だったんですが、バニラエッセンスの香りで、今でも嗅ぐと思い出します。笑

(小学校の友達とサッカースクールの友達が作ってくれた千羽鶴。本当にありがとう。
家の掃除をしても、これだけは捨てられません。笑
きっと死ぬまで一緒にいると思います。
こんなに心強いものはありません。)

(これもまだ残してます。たまに見て元気をもらっています。ありがとう。)

手術をしたら、まあありえないぐらい痛い。
確実に、痛みに強い理由はこの経験です。
ありがとう。
そして手術では身体にボルトを入れました。
身体に何本もボルトが入ってる感覚。
正直よく分かりません。笑
でも小学生の私には恐怖でしかありませんでした。
まあ今でも怖いと思いますが。

二回目の手術

二回目の手術は身体に入れたボルトを外す手術。
二回目だから恐怖はないとか嘘ですよね。
手術はいつだって怖い。
確か二回目の手術の麻酔は、バニラじゃなかったんですよ!確かチョコだった気がします。
これはめちゃくちゃいい匂いだったんですよね。
何故か。笑

そんなことはさておき、印象的だったのは手術じゃなくて、私が入院している場所の隣のおばあちゃんです。
隣のおばあちゃんは足が壊死しており、足を切断していました。
その為、うめき声が凄かったのを覚えています。
私が人の感情に敏感になったのは、この経験が理由だと思っています。
特殊能力ではありませんが、私は悲しんでる人、辛い人を探す力には長けています。
これもきっと私の使命でしょう。
これからも他の人よりも多く気づいて、沢山の人を助けられたらなと思ってます。

地獄のギプス生活

足を固定する必要があった私は一ヶ月ギプス生活をしていました。
確かあれはちょうど夏の時期で、汗で痒かったのを覚えています。
確か保冷剤ラブって感じでした。笑
動けなかったのでずっと寝たきりだったと思います。

ギプス取ってからのリハビリでおばあちゃん泣かす

一ヶ月後ギプスを取りました。
ギプスはめちゃくちゃ硬いので、もうチェンソーみたいなので切断してた記憶があります。
私の足ごと切断してしまうのではないかと不安でした。笑

地獄なのはここからです。
一ヶ月ギプスで固められた私の足はガチガチになっていました。それを治す為、リバビリが始まりました。


もうめちゃくちゃ痛い。ありえない。
涙が止まりませんでした。

大きなリハビリ室でしたが、一人めちゃくちゃ泣いたのを覚えています。あれもいい経験です。
終いには、近くにいるおばあちゃんをもらい泣きさせてしまいました。罪深い男ですよ。本当に。笑

階段を登る練習もしたな。
上に登っている感じがして嬉しかったのを覚えています。
単純かもしれないけど、小学3年生なんてそんなもんです。

治ってからのサッカー

病気になっても、夢はサッカー選手でした。
マンチェスターユナイテッドに入って、日本代表でワールドカップに出る。とんでもない夢でした。

(小学四年生の文章。
メッシが好きな理由は、きっと病気に打ち克ってプロになったから。今でも大好きです。
私の考えとして病気になったら、他の才能が物凄くあると思ってます。
メッシがサッカーの天才なら、俺は何の天才なんだい。神様。教えてくれ。笑)


今何の夢もない私からしてみれば、社会を知らないってこともいい事だなと思います

ある時、母にこう言われました。

ペルテス病でサッカー選手になった人はいない

それを聞いた私はなるしかないと思ってました。
ペルテス病になった子に、何にでもなれると勇気を与えられるのは俺しかしない。
そう思って生きてきました。
いやほんとは、母を喜ばせたかっただけなのかもしれないですが。

正直小学生や中学生の私にはかなり大きなプレッシャーだったと思います。
2年のブランク、これはめちゃくちゃ大きかった。
ただの言い訳かもしれない。
そう思ってずっと努力を続けました。
私が長距離得意な理由はきっとそれです。
別に得意でも何でもありません。
サッカー選手になりたくて、両親を喜ばせたくて努力してました。

これもいい経験ですね。
努力する意味をここで学べた私はとても幸せ者だと思います。

中学3年になって、正直夢を諦めました。
客観的に見て、無理だと思いました。
逃げだと思われるかもしれませんが、病気の壁は高かったと言わざるを得ません。
手術で骨を削っているので1cm以上右足が短いのも理由です。
チームメイト、俺が足をよくつってたでしょ。
それが答えです。
右足が短いから、右足に負担がかかる。
これって別に大したことないと思うかもだけど、長期的に見たら絶望です。
どうすればこのハンデをなくせるのか。それを常に考えてきたからこそ、考える力が身についたのだと思っています。

(良い選手にはなれませんでした。
でも少しはマシな大人にはなりました。
ありがとうございます。野口コーチ。
あなたのおかげで、昔も今もサッカーが大好きです。)


サッカー選手にはなれない。じゃあどうするのか。その時、他で頑張るしかないと思ったんです。

誰とも話さなかった高校受験前

サッカーで無理なら勉強だと。
正直みんなにバカだと思われたくなかったのもあると思います。
死ぬほど勉強しました。
みんなが遊んでる昼休み。
私は一人で黙々と勉強しました。
30分あった帰り道。友達とは帰らず、英語の単語帳を開いて勉強しつつ、走って帰ってました。
頭おかしいですよね。笑

でもこの病気が理由です。
あの時全然話さなくてごめんね。
卒業の時、寄せ書きに野球が上手な友達Mくんに、「心配だった」と書かれたのもちゃんと覚えています。笑
気遣ってくれてありがとう。

そして塾長にも感謝してます。
あんなに俺を叱ってくれた人はいません。
今はそこでアルバイトをしていますが、めちゃくちゃ働いて恩返し中です。本当にありがとうございます。

家族に感謝

これだけは言わせてほしい。
私は家族全てに感謝しています。

まず父。
変わってやりたいと泣いてくれたこと。
正直私は覚えていません。後々母から聞いて知りました。でもそう思っててくれたことが嬉しいです。
仕事で忙しいのに、世話をしてくれてありがとう。
綺麗なトイレを探してくれて、美味しいご飯をくれてありがとう。
いつも真面目に働く父ですが、そんな父を超えるカッコいい男になります。

次に母。
一番近くに居てくれました。
直接言うのは恥ずかしいですが、物凄く感謝しています。何度ありがとうと言っても、言い足りない。そう思っています。
いつだって味方でした。今だってそうです。
サッカー選手になることはできなかったけど立派な男になります。
夢がプレッシャーになったと言いましたが、今思えば幸せでした。あの言葉があったからこそ、強い私がいます。
本当に本当にありがとう。

(最高にイカした男になります。母さん。)

次に姉二人。
正直お世話になったのかなって感じです。
でも次女の姉の小学生のコメントを見て、俺は申し訳ないと思ったのを覚えています。

弟に付ききっきりなので寂しい。

そのような思いを姉二人にさせていたかと思うと、申し訳ないことしたなと思いました。
ごめんなさい。
仕方のないことかもしれないけど、二人の人生を良くも悪くも変えてしまったのは事実です。
どんな形でかはわかりません。
必ず恩返しをします。

皆さんも家族にありがとうと伝えてみてください。

ってこんなこと書いてる私が一番ありがとうと伝えてないかもしれません。笑
恥ずかしいよね。でも言葉にしなきゃ意味がない。
今後はしっかり伝えていこう。だからみんなも。

当たり前を当たり前だと思わないでください。
当たり前はすぐに壊れてしまうものです。
幸せは作るものではなく気づくもの。
この言葉通りです。

最後に

もっと話せば長い話になるのですが、ここまでにしておきます。
書いてるうちに涙が止まらなくなってしまったのも理由の一つです。笑

ここまで読んでくれた皆さんありがとうございました。
とりあえずいつかかっこいい男になります。
それだけは誓います。

だからみんなも自分が良いと思える自分になろう。
別になれなくたって良い。止まったっていい。
そう思って行動することに意味があるから。


臭いこと言ってますが、本当にそう思ってます。

病気になったことある人もない人はこれも覚えてほしい。

人生に無駄はない

私の病気は側からみれば大変だ、無駄だと思われるかもしれません。
大変は合ってますが、無駄は間違ってます。
私は今大人になって、本当に病気になれて良かったと思っています。
病気にならなければサッカー選手になってたかもしれない。まあ確かにそれはワクワクします。
でも、病気になったからこそ得られたものをたくさんあります。そこに疑いはありません。

だから自信を持って生きてほしい。
ゴミみたいな暮らしをしてたって、いつでもまたやり直せるし、無駄ではない。
そう思えたら楽じゃない?

知り合いに病気になった人や現状が良くない人がいる方は、そんな言葉をかけてくれたら嬉しいです。

誰かの心に触れて、良い形になれば嬉しいです。



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