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コハ日記 2013年12月8日〜12月14日の週(大学生2年生編)

12月9日(月)15:14投稿

そういえば、って感じで書こう。

とりあえず試合は準優勝。

決勝では顔面と金的による反則で減点もらった上で組手は優勢だったが負け。
悔しいってか残念ってかもったいないってか。

なんかしかも三試合だったからそんな疲れてはない?笑

新人戦だし達成感もなし。
やっぱり上級行きたかったってのが本音。

まあ新人に思い残すことはないっす。

次からはガチで上級チャレンジ。
今度こそやる。

まーなんだろ。試合前は試合だ!って感じだったけど、正直終わってみるとみんなそんな強くなかった。物足りなさMAX。笑
偉そうにねー

次やりますよとりあえずね。

とりあえずお疲れちゃん。


12月11日(水)01:49投稿

アメブロに書き込んだ結構前のネタだけど読んでて面白かったから持って来た。

高校時代
部活動は陸上をやっていて400mの選手でした。

400mはトラック一周するタイムを競い合う競技で
僕は50秒代を切ることが選手としての一つの区切りというか、目標というかそんな風に思ってて

遅かった俺だからこそ
50秒のタイムを切る!
目指せ49秒台!
これは高校1年生の頃から目標にしていたタイムです。

例えばオリンピックで100mを走るウサインボルトが9秒台で走るけど、

日本人の100mの目標タイムはほとんどの選手が10秒を切ることを目標にしています。

僕にとっての400mの目標がそんな50秒を切ることでした。

陸上は中学からやってて
タイムは確か55秒台で

ギリギリ県大会に進めるタイムで

正直めっちゃ遅いです^^;

高校に入ってきた後輩たちで
中学時代400m選手をしてきた後輩は
大体が53秒くらいだったなー

僕の中学時代の遅さがわかりますねー

それでも中学の頃、
目標は全国大会!目標は高く!
みたいに言ってて、マジで。

でも結局全国大会なんて行けず。
だからこそ高校に果たせなかった目標を託すわけですが

中学で陸上の厳しさを良い意味で体験できたんで
いきなり全国大会!とは言わず
せめて400m選手の一つの区切りである49秒台!なんてのを目標にして

高校時代は陸上に取り組んでました。

高校二年に上がるまでの一年間のタイムの延び方が凄まじかったのを覚えてます

高校入って最初に走ったタイムで
いきなり54秒がでて自己ベストを一秒更新。
それから試合に出る度にタイムはのびてって

一年生の終わりには52秒までになりました

これはイケる!って本気で思ったねー
1年間に3秒の伸びだよ!?

だけどそこからスランプに陥って
高校二年生の終わりまでつまり一年間はタイムが伸びなかったー笑

52秒から51秒の後半をずっと前後してタイムで言ったら
0.5秒しか高校二年生では伸びず

このままじゃ49秒なんて行かないって悩みましたねー

それでもやってるからには諦めきれずずっと課題だった
「ショートスプリント」に力を入れて

400mは「ロングスプリント」と言われることもあって
短距離なんだけど短距離の中でもロングだってことでそう言われてて

100.200のようなTHE 短距離を「ショートスプリント」

僕はショートがすごく弱いので

4×100リレーのメンバーにもいつもギリギリで入るか入らないか

けど最後までショートはのびなかったんですねー

そこさえどうにかなってればなんて今でも思います

高校三年生になってタイムはやっと50秒台!!

しかし大学受験や就職を控えた三年生は残りの陸上生活半年くらいしかないんですね

でも残り半年でやれる!という自信だけはずっとありました笑

冬季のシーズンオフの間色々400m競技に対する気持ちというか

考えがしっかしてきているのが自分でもわかってきててブレなくなったというか

タイムは計らなくても自信だけはつねにありました。

そしてシーズンは開けて。

高校三年最初の大会で
50秒台が出てタイムがいきなり伸び、スランプから抜け出せたと思いました。

あと目指す49秒まで一秒もないって思ったらイケる!って

だけど、いくら試合に出ても走っても51秒を前後して練習のなかで走り方を自分と語りあって研究してって

〜〜〜「高校最後の県大会インターハイ予選」〜〜〜

自己タイムである50秒がでれば準決勝になら進める試合で

なぜか緊張で体がこわばり結果は52秒。

走り方は最初のスタートで力の9割を出しスタートして、途中それを少し抑えた力で走ってって

それを試す試合でもありました

準決勝に進んだ人達のタイムを見ると51秒半ばで準決勝に入ってる選手がいてホントに悔しかったです

これが県大会かと、、

でもそんな県大会での反省を
高校生活最後の引退試合でさらに工夫を加えて走れるように練習しました

自分にとって一番合ったフォームを見つけていく努力をしていきました。


〜〜〜「最後の試合」〜〜〜

うちの地区は400m大国で全国選手が3人もいました。

ちっちゃいY市の試合で全国選手が3人もいるのは中々ないことだと思います

その人たちのタイムはもちろん全国選手。
47秒、遅くても48秒後半。

49秒目指してる自分とはなんとも次元の違う世界ですが

僕はそのラストの試合マジで48秒出すつもりでその試合に望んでました

調子はよくてスタート前の緊張も最高。
僕は自分のペースで走るのが得意なので好きなレーンは一番端の他の選手から影響を受けにくい8レーンですが

最後の大会も運良く予選は
8レーンで走れることになりました。

これはもうタイムを出すしかない

僕にはなんか不整脈?みたいな症状がたまにおきて心拍数が急に上がり息が乱れることがあるのですが

急にジャンプしたりとか心臓のリズム?に合わない動きを急にやると心臓がスゴイ早さで動き出し、しんどくなることがあります

その不整脈にスタート前のリズム作りでなってしまったんです^^;

しかしそんな中、予選は運良く通過して決勝にコマを進むことができました。
でもタイムはまたもや51秒程度。

その不整脈?みたいのがあったから予選はこんなタイムなんだろうなって

陸上の神が決勝で俺に48ないし49秒を出させるためのストーリーなんだって勝手に思ってましたね

決勝は全国選手3人プラスその高校の49秒で走る選手。

他にも県レベルでみたら強い高校もチラホラ

わずかベスト50秒後半の俺に太刀打ちできるメンバーではないと他の人からみたら思うかもしれませんが
僕は太刀打ち出来ないなんて一切思ってませんでした。

むしろイケる!やってやる!って感じでしたね。

49秒

この数字だけが高校一年の頃から常に頭の中にあります。

決勝では高校名と選手の名前が呼ばれます。あれは何だか気持ちのいいものですね。

緊張感もまた最高。

三年間の全て。

位置についての合図で選手全員がスターティングブロックに足をかけます。

よーい。

パーン。

高い音がスタジアム中に響き渡りスタート。

決勝も運良く得意な8レーン。

トラックを一周する400mでは
8レーンは一番端なのでみんなより少し前に位置どっています

400mでは、コーナーでの距離を調節するために階段状に、かなりずれた位置からスタートをします。
端ということは外回りのため1番前からスタートになります。

だから他の選手は目に入らず
自分のペースで最初から行けるわけです

スタートから最初のカーブを抜けるまで最高にスピードも乗っていました

いい感じ。

最初のカーブ0〜100mが終わって最初の直線100〜200m
気持ちのいいスピードのまま次のカーブまでリズムを整えます

まだ後ろから選手は来ていませんでした。

ここまでで400mのうちの150〜200mくらい

最終カーブ200〜300mに入るころには自分のリズムをつくっていって、カーブでラスト残り100mのキツイ直線に行くための準備をしていきます

400mというのは人間の無酸素運動で走れる限界を超えた距離だと聞きました。

普通人間が無酸素で運動して耐えられるのは時間にして約43秒。
で僕ら高校生からしたら最後のカーブこそ無酸素の限界で。

身体の中では消費しているものをさらに再利用し、消費して身体を動かしているらしいです

疲労物質である乳酸を再利用していると聞きました。

最終カーブではそれを分かったうえで限界をさらに超えて走らなければならない最後の直線を乗り越える準備をしていくわけです

カーブに入ったくらいで僕は外回りなので内側である1〜7レーン全体を見回すことができます。

そのときはカーブに入ってから内側のほうで何人かの選手を確認しました

もうあんなところにいる、ハエーとか思うわけです

でも100〜200mの直線で抜かされなかったことが僕にとっては奇跡でした。

いつもなら早い選手には最初の直線で内側からで俺より後ろからのスタートなのに抜かされてしまうんですが

その時はまだ抜かされていなくてこれはイケる!って思いましたね

最後の直線。300〜400m

他からみたらほぼジョギングに見えるんじゃないかな

ただただキツイので、腕を必死に振って上体がのけぞらないようにゴールを目指します。
ここでは自分の息づかいと足の重い感じしか覚えてません。
応援とかほぼ聞こえてない

そこでのびなかったんです。

タイムは確か51秒。泣きたかっですね

49秒だけを目指した高校三年間。

試合が終わると顧問のところへすぐ報告にいくのですが

顧問はその時スゴイ褒めてくれたのを覚えてます

あの全国選手たち相手に最後のカーブまで食らいついてやりあってたことなど、、、

泣きたかったです。ホントに。

申し訳なくて

タイムは言えませんでした。
掲示板にはまだ表示されてないと嘘をついて。

顧問は厳しい方で滅多に人を褒めたりしないのにその日は褒めてくれて、

でもそれは僕が最後の試合だからかな。なんて思っていたのですが、

あとから後輩に聞くとその日のミーティングで(僕は後片付けでいない)
あの走りが本当の走りだとか、僕のことをベタ褒めしてくださったようでそれは本当に嬉しかったです。

今でも思い出すと。深い三年間の陸上部生活でした。

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2020年現在のコハによる補足説明:

試合はまたもや準優勝。しかも余裕があるね少し笑

ここから上級チャレンジか。。


高校時代の陸上話、どうでしたでしょうか。笑

やっぱり本気の本気でやってたんだね。きつかったから一生やりたく無いって思うんだけど、ここまで打ち込めた幸せってのもあるんだよね〜

空手もここまで出来たらなっていつも思ってます。今でも。

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