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源氏物語のマーケティング

娘が学校で漫画版の『源氏物語』を借りてきていた。漫画版の物語といえば横山先生の『三国志』ぐらいしかなかったけれど、世の中かなり変わったなぁと。歴史でいえば小学館の『学習まんが日本の歴史』があった。近世以降よりも何となく蘇我馬子とか古代史が好きだった。今も歴史の本などは、古代のほうが好きなのはそのせいかもしれない。なので、源氏とか中世のお話はさっぱり疎い。

『源氏物語』が部屋にあるのを見かけたので
「源氏はすごいよね。子供から大人まで恋愛対象幅広すぎでしょ。」
と、ありきたりな感想を奥さんに話した。すると、
「ホントそれ。それだからあの時代でも女性のなかで流行ったはずよね。」「どうして」と、聞くと
「だって、誰が読んだって自分に置き換えられるじゃない。この本、そういった意味では、いまの恋愛小説のひな型すべて詰まっている。同い年だけじゃなくて、年上も年下も、虫愛ずる姫君みたいな変わり者との恋も。ましてや、息子の代の物語もあるわけで」
「確かに、そんな話もあった気がするな」
「そうでしょ?源氏はね、売れるわけよ」
「要は、あの時代の恋をすべて熟知してマーケティングされていた本なわけね~。なるほど~。」
「うん、そんな感じと思うわ」

奥さんは文学部の出身で、平安時代古典と重めの恋愛小説が好きなようで、かなり熱を入れて話していた。
人の心に残るには理由があるよね、という思うと同時に人を思う心というのは言葉の使い方が変わっても不変のものなんだなと改めて感じた。ものの15分程度の会話だったが、はっとさせられた瞬間だった。

そう考えると今の時代はむつかしい。たくさんの物語が既にあり、ジャンルが確立されてしまっている。世の中のコンテンツが増え、一つのものに避ける時間は減っていく。表現は凝ったものにはできない。1時間の映像コンテンツだってまじまじと見るという機会を作ることもむつかしい。なんだかな、と思いつつ。古典の持つ力に改めて恐れ入ったなと思う瞬間であった。何よりも、マーケティングの対象がものではなく人なんだということを恐ろしいほどまでに突き付けられたように感じた。

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