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音楽チャートの意味が変わっている

スペースシャワーネTVのヒットチャートを見ていてふと、奥さんが一言。

「この曲、一年以上前の曲だけどまだチャートにいるよね。あの曲もそう。なんでなんだろう?そんなに売れているのかな?」

そう言われれば確かに、と思った。一昔前(とはいっても10年かそれ以上前だが)ある程度のCDの売れ行きがないとチャートの上位には来なかったし、それだけ売れ続ける曲なんて、数年に一度あるか無いかだった。でも最近の音楽チャートでは奥さんの指摘の通り一年以上まえの曲がそれなりに残っている。

はてと思い、自分の昔のころに記憶を引っ張り出してみると、そんな事例がないわけではなかった。今もあるのだろうか、正式なタイトルではないが、文化放送の金曜日の夜九時は、「カウントダウン50」という番組だった。オリコンヒットチャートとはがきと電リクを組み合わせた独自の集計方法で、トップ50を決め放送する音楽番組だった。電リクという言葉に涙が出るのは私の5個下ぐらいまでだろうか?夜布団にくるまって携帯ラジオで、はやりの音楽を聴いていた。はがき職人という言葉も今や死語。雑誌の投稿コーナーがはがきだったなんて今の10代の子たちは理解できないだろうな~。ジャンプの投稿コーナーがはがきの裏面に書かれたタオパイパイで埋め尽くされていたんですよ。今週もどうせタオパイパイいるんだろうな~って読んでいたんですよ。

脱線しました、すみません。そのラジオ番組はたとえ、オリコンで上位でなくても、はがきや電リクが多ければ、上位に食い込み続ける。ある意味で、購入だけでなく、聞くという行動を数値化した番組だった。この記憶が奥さんの言葉から連想された。とはいえ、はやりのミュージシャンは今よりも矢継ぎ早にシングルを出していたので、上位に食い込んでいる時間は少なかったのだと思う。

自分自身もSpotifyを契約しているので、わかるようになったが、今若い世代にとって、音楽は消費財はなくて、共有する財産に近いものなのだと思う。サブスクリプションの中で、共有されている大きな財産の中から宝物を見つけ出す。そういう作業なのかもしれない。ただ、この考え方今に始まったことではない。むしろどんどん先祖返りしている。

例えば、ビデオやCDはもともとレンタルショップがあってどうしても欲しいものがあれば自身で購入していたものもあっただろう。さらに古くさかのぼれば、本や漫画は自分自身で買うものではなく、貸本屋に行って借りて読むものだったという時代がある。私の祖父母あたりはそうやって「のらくろ」を読んでいたのではないだろうか?

とはいえ、その行動が数値化されることはなかっただろうし、ヒットチャートの輔弼する程度の役割しかなかったのだと思う。今は、多くのものがデジタル化されているの中で、何を聴いているのか、何を読んでいるのかということが明確に数値化されてランキングに反映されている。物質的なチャートから、行動や気持ちを表すチャートに変化しているといえる。昔でいえば、アルバムを買って、どの曲が一番聞かれているかなんて、せいぜいファンクラブの雑誌ですこしわかる程度のことが、はっきりとわかってしまうのである。ファンだから最新シングルは買うけれど、あの曲は定期的に聞き続けている。そんなことまで数字なってしまう。それはそれですごいが怖いことでもある。なぜならば、そんな気持ちのチャートの中に、簡単にノイズを組み込ませられるからだ。

もちろん、昔からある「いま流行の」という言葉で売り込むということはある。しかし、それには自分自身で「その言葉に騙されて買う」というステップがあるが、サブスクリプションのなかでそれが漫然と流れてくると、ノーステップでそれが浸透してくることになる。逆の立場であれば、それを利用して自分自身商売するだろう。音楽番組やラジオのパワープッシュのようなものだが、ウェブ上では見えないするっとした形でできる。はてどうなることやら。まぁ、すぐにスキップもできるからそういった意味では回避しやすいのかもしれない。

音楽を取り巻く業界も様変わりしている。私自身の音楽との接点が大幅に変わった。リスナーとプレイヤーがともにハッピーになれればよいな。

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