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魔女の宅急便のとあるセリフに、今のわたしだからこそ共感した理由

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今回はですね、Voicyさんの今日のテーマが『#宮崎アニメを語ろう』ということで、ジブリ作品についてなにかわたしがお話できることはないかな〜と、わたしだからこその視点で、お話できることないかな〜と考えてみました。

今回は、『魔女の宅急便のとあるセリフに、今のわたしだからこそ共感した理由』というテーマでお届けさせていただきます。

小さいときからずっと絵を描くことが好きで、そして今イラストレーターとして活動しているわたしだからこそ、すごく共感した部分があるなと思って、そんな点についてお話させていただけたらと思います。

最後までお付き合いいただけますとうれしいです。

まず、『魔女の宅急便』についてなんですけど、わたしは「1番好きなジブリ作品は?」と聞かれると、『魔女の宅急便』ですといつも答えるくらい、『魔女の宅急便』が大好きなんですけど、

どこが具体的に好きかというと、まず曲が素敵ですごく好きっていうのと、主人公の『キキ』の表情がとても素敵でいいなと思うのと、わたしはネコちゃんが大好きなので、黒猫の『ジジ』がすごくネコらしいところもあったりとか、逆にネコっぽくなくすごく喋るとか、そんな様子がかわいいなってシンプルに思うのと、

わたしはあんまり闘って傷ついてっていうような映画が得意ではなくて、心の中での闘いとかがあって乗り越えてっていうふうな展開の映画は、すごく好きな映画では多いんですけど、体が傷ついたりっていうのを見るのがあまり得意ではないので、そういった点でも『魔女の宅急便』は好きなんだろうなって思います。

あと好きな点でいうと、魔女が登場して魔法が出てくるような世界の映画なのに、現実的にリアルな部分、現実でも起こるような場面とか共感できる部分があったりして、

そんなあたりもそのときの自分の状況によって、見方が違ったり感じ方も違ったりするんだろうなっていうところも、好きな理由だなって思います。

魔女のキキは、13歳で親元を離れて誰も魔女がいない街に行って、修行するってことになって、全然知らない街に着いて、空を飛ぶっていう魔法を活かしてパン屋さんで配達の仕事をしたりとか、

そんなふうにしている中であることがきっかけに出会った人がいて、その人の言葉が今のわたしにすごく響くんですけど、その方は森の小屋にいる絵描きの19歳のお姉さん『ウルスラ』で、ずっとそこにいるわけではなくて、夏の間だけ小屋にこもって絵を描いているっていうふうな人なんですけど、

その人と出会ったときにキキは魔法の力が弱くなっていて、思うように空が飛べなくなっていて、落ち込んでいたっていうときに2人の会話があるんですけど、その会話が

ウルスラ「魔法も絵も似てるんだね、わたしもよく描けなくなるよ。」
キキ「本当?そういうときどうするの?わたし前はなにも考えなくても飛べたの。でも今はわからなくなっちゃった。」
ウルスラ「そういうときはじたばたするしかないよ。描いて描いて描きまくる。」
キキ「でもやっぱり飛べなかったら?」
ウルスラ「描くのをやめる。散歩したり景色を見たり昼寝したり、なにもしない。そのうち急に描きたくなるんだよ。」

そんなシーンがあって、わたしは学生のころとかも『魔女の宅急便』を好きで見ていたんですけど、そのときこのシーンを見て特にめちゃめちゃ響いたとか、そんな印象はなくて、今のわたしだからこそ響く部分があるなって思うんですけど、

なにか壁にぶち当たったときに、まさに壁にぶち当たっている状況って、目の前はもう壁しかないから、乗り越えた先ってどんなふうになっているのかとか、本当にこの壁って乗り越えられるのかっていうのが、わからなくなっちゃうっていうことはあるかなと思うんですけど、

「あー、これまでか」って思ってやめちゃったら、本当にそれまでになっちゃうし、でも靄がかかって見えない部分に、靄に向かって「描いて描いて描きまくる」みたいな走りだすパワーを持てるかっていうのがすごい大事というか、それを突破できるパワーを出せるかっていうところが、結果的に突破できるってところに繋がるんだろうなって思いました。

キキが会話のなかで、「でもやっぱり飛べなかったら?」って聞いたときに、一旦離れるってウルスラ言ったんですけど、それもまた共感できて、一旦離れて見ることで見えることもあるなって、わたしの経験としても感じていて、

「なにかわかんない、全然いまできない」っていう状況って、目の前に壁しかないというか、壁が近すぎて壁しか見えてないっていう状況かなと思うので、一旦離れてみて違うことをしてみたりするなかで、はっ!って気づきがあったりとか、

離れたことでぶち当たったいたことに対しての「やっぱりやりたいんだ!」って気持ちが湧いてきたりとかするので、離れてみるってことも大事ってこともすごく共感しました。

そのあとにウルスラのことばであったのが

「あたしさ、キキくらいのときに絵描きになろうって決めたの。絵描くの楽しくてさ。寝るのが惜しいくらいだったんだよ。それがね、ある日全然描けなくなっちゃった。描いても描いても気に入らないの。それまでの絵が誰かのマネだってわかったんだよ。どこかで見たことがあるってね。自分の絵を描かなきゃって。」

っていうセリフがあって、これについても、絵をたくさん描いてきた人だからこそ出ることばっていうのがわたしには感じて、絵をたくさん描いたからこそ、自分らしい絵を描きたいなって思いにぶち当たるというか、その場面が来るってところにすごく共感できて、

でもウルスラが誰かのマネというか、とことん描き続けたっていう経験があったからこそ、そこを突破できて、結果的にウルスラらしい表現に繋がっていくところがあるんだろうなって感じるし、

このウルスラのことばだけをそのまま違う受け取り方をしたら、マネはダメっていうふうにも受け取れるかなと思うんですけど、決してそうじゃないと思っていて、ウルスラ自身もそういうふうに意味を込めて発したことばではないんじゃないかなって思っていて、

なんでも最初はマネから始まるし、たくさんマネをして、わたし自身も小学生のころとか、ポケモンがたくさん描かれた下敷きを見て、休み時間にたくさんマネをしてポケモンを描いたりとか、

そんなふうに誰かの画風をマネて、そっくりに描けるようにってしたマネを重ねて、基礎をつくって、いろんな表現方法を知った上で、自分らしい表現のかたちが出てくるんだろうなって経験としても思っていて、今のわたしだからこそこんなことが言えるのかもしれないんですけど、

実際わたし自身も「自分らしい絵ってなんだろう」って、「自分らしい絵がみつかることって、この先あるんだろうか」って悩んだ時期もあって、その真っ最中にいるときは見当すらつかなくて、

「そのうち描けるようになるよ」って誰かから言われたとしても、「そんなのわかんないじゃん」って思っちゃってただろうし、今のわたしだからこそ、こんなふうに言えるんだろうなと思うんですけど、すごく共感できる部分があったなって思いました。

そしてなにかにぶち当たって、靄がかかって見えないときに、その靄に向かって走りだすパワーを持つ人でありたいなって思ったし、「あー、それでもわかんない」ってなったときは、一旦離れて見るってことも大事にしたいなって思いました。

以上、『魔女の宅急便のとあるセリフに、今のわたしだからこそ共感した理由』というテーマでお伝えしました。

今のわたしだからこそっていうところで、今まで何回も『魔女の宅急便』は見ていたんですけど、そのときの年齢とか今置かれている場所によって、見え方が違ったり感じ方が違うなって思います。

こはらなつでした〜!それではまた〜!

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