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推しを勝手に解釈し勝手に泣き喚く私たち:『推し、燃ゆ』読了


実際に推しを持ち、人生の半分以上が推しの色に染まり、推しのいない人生が考えられなくなってしまった私。
読了した今、思うことはたくさんあるが、この本を手に取るきっかけもまた私が現実に推している推し、いや「自担」であることが、読了した今では余計にキモく感じて笑ってしまう。


結論、というかこれはヲタク観点ならではだが、私が抱いた感想は

主人公のように推しの全てを理解しようとして理解した気になると、どデカい解釈違いと歪みを生んでどこかで爆発するからみんな気をつけろよ。

というのと

上野真幸は推せない。

である。



以下、感想がめちゃくちゃ長い。
そしてそこそこ話の内容を書いているので、小説でちゃんと読みたい方は先に小説を読んでいただければと思う。




とりあえず上野真幸が推せない話については、私と同担の人であれば、というかアイドルのヲタクは大概「推せない」と思うのではないだろうか。

まあ、まずもって、アイドルの設定に「おお…」と思うところが結構多かった。
現実離れしている、とは思わないが、私が知っている世界とは少し違うような気がする。

まず、男女混合グループ。
おお…それは波風しか立たんくないか?
自分が応援するグループに女の子がいたら、と思うと割と鳥肌が立つ。ダンス&ボーカルグループなら別だけど。
いろんなアイドルがいていいのだけれど、現実問題として男性アイドルと女性アイドルの賞味期限的なのが全然違う。コンセプトがわからないけれど、そもそも10年以上続けるのは難しそうだと思った。

そして1番衝撃だったのは、5人グループなのにその5人で人気投票をし、その結果で歌割やら何やらが決まるという残酷にもほどがある制度。
同担拒否なんて言ってる場合ではない。他担は全員敵じゃないか。
(あとなんとなく売上枚数少なない?と思ってしまった。投票権・握手券ついてるのに?という感想。)
まあ私の応援するグループというか事務所全体があんまりそういう売り方をしないため相場がわからず、その辺の齟齬はあるでしょうという感じですが、、。


個人的には上野真幸に対して最初っから「推せない」という印象しかなかった。
それは、著者があとがきに書いている通り、「言葉足らず」なところにある。正直、言葉足らずなアイドルは私の自担と同じグループにもいるし(ごめん)、なんなら結構いると思う。むしろ言葉が足りてる方が珍しい。
ただ、本当に思うのは、「多くを語らない」のと「言葉足らず」は圧倒的に違う。そして、真幸くんはむしろ要らんことだけ喋ってて、肝心なことは全然言ってくれない子に見えてしまった。
上野真幸、アンタは「説明不足」だ。絶対に。

この真幸くんは、きっと嘘をつくのがあんまり好きじゃないのかもしれない。かと言って本当のことをしっかり説明するのも好きじゃないのかな、と思った。
私は真幸くんのようなアイドルを推したことがないし、この『推し、燃ゆ』は真幸くんの言葉で何か語られる場面が圧倒的に少ない。ほとんど主人公が真幸くんを観察しデータをかき集めて、それをもとに考察された「主人公の思う真幸くん像」のオンパレードである。まあ、気持ちはすごくわかる。
ただ、ヲタクが思うアイドル像を提示されたとて、それは本物ではない。そもそもアイドルという存在が仮初の姿である以上、本質を知ることは基本的にないのだが、考察すればするほど解釈しようとすればするほど、真幸くんが体現してきたアイドル像とはかけ離れていく。『推し、燃ゆ』を1/3程読んだ時に思ったのはそれだ。
主人公、どこかでどデカい解釈違いをしてるんじゃないか?と。(これについては後で詳しく話します)


とはいえ、真幸くんはアイドルという仮初の姿を真としようとしているようにはあんまり見えない。
それは物語後半に畳み掛けるように描写されている。
苦手だと言っていたはずのぬいぐるみを後ろのソファに座らせている姿、女のやん、それ。
アイドルという肩書きをまだ背負っているのに左手薬指に指輪をつけて隠そうともせず会見とコンサートに臨む姿。最悪。
申し訳ないけれど、それは他のちゃんとやってるアイドルに失礼だ。冒涜だ。もし現実世界で私の自担と同じグループに真幸くんがいたらと思うと、私は絶対に耐えられない。解散じゃなくて脱退しろお前だけ、と思う。マジで。
自担が既婚者だから尚更思う。結婚してもその事実がなかったかのように振る舞っているアイドルにも失礼だ。

ラジオパーソナリティの方にタメ口を使っているところから、うわあ無理なタイプかも、と思っていた。これは嫌いあれは嫌いと言っている描写も、なんでこんな要らないことばっか言うんだろうと疑問だった。
配信中のカメラが揺れて窓の外が映る場面では、なんでカーテン閉めないん?と危機管理能力の無さに、ダメだこいつ…となっていた。

真幸くんは仮初の姿ではなく、自分自身を見て欲しかったのかもしれない。
女性を殴ったと炎上し、睨みつけるような視線を世間に向けたあの姿も、「どいつもこいつも決めつけやがって」的なところがあったのかもしれない。

だが、無理だそれは。

アイドルじゃなくても「ありのままを愛してほしい」なんて結構野暮だと思う。
特にファンなんて勝手に人生重ね合わせて勝手に泣いて怒って笑っているだけの変で無責任な生き物でしかない。もしかしたらそういうところに疑問を感じていたのかもしれないけれど、「誰かに推される」以上は、勝手に自分の人生に感動されたり泣かれたり怒られたり喜ばれたりするものなんじゃないか、アイドルに限らず。
というか親子でもそうなるような気がするが、ファンは親ではないので推しの人生に責任を持つ必要はない、というか責任が持てない。

ただアイドル側はそうとはいえず、「ファンの子がいてくれるから」と元々は辞めようと思っていたアイドルを続ける決心をし何年も全うし続けている人、ボロボロになりそうなグループに残ってアイドルを全うし繋ぎ止めてくれる人もいる。(本当にいい子たち。ごめんね、ありがとう…。)

一方のファン側はというと、前述の通りだ。
理解しようとしても理解しきることができず、勝手に泣き喚いたり怒り狂ったりするようなファンが、ありのままを愛せるわけがない。と、私は思う。


これは私のもう一つの感想、「どデカい解釈違い」にもつながる。

ありのままを愛せないとはいえ、ファンはそのアイドルを理解した気になる。
主人公もルーズリーフに推しの言動を書き連ねてデータ化?していたように、そこまでの行動をしていなくても推しの一挙手一投足が勝手に脳に刻まれて、こういう人だから、という自分なりの「推し解釈像」が生まれる。

その解像度は人それぞれだが、誰も100%解像できない。そもそもアイドルでなくても他人を100%理解することなんて不可能である。
そして、その解釈には、特に推しが言葉足らずだった場合は自分の予測や想像も大いに含まれてくるため「理想像」へと変わっていく。

しかし、それはあくまで「理想像」でしかない。そもそもアイドルの姿自体が嘘もしくは虚像であるのに、その上に「理想」が乗ってくるのだから、本当の本当に何の実態もない嘘である。

だからこそ、いつか『どデカい解釈違い』を生む。

なぜなら、私たちは推しを理解しているのではなく、自分なりに解釈しているだけだからだ。

それは失言した時かもしれないし、熱愛報道が出た時かもしれないし、グループを脱退する時かもしれない。はたまた、事務所を退所するときかも。


これは私の実体験でもある。

私の自担は言葉足らずではなく、説明責任やらなんやら言われる前に全て解決してくるタイプなので、今思えばなんでそんなことになったのか不思議だ。ただ、そんなアイドルでも、ファンである私が勝手に作り上げ肥大化してしまった「理想像」があって、それが2017年に報道された熱愛報道で全て崩壊した。
私は不器用ながらに勝手に崩壊させて泣いて。部屋に飾っていた団扇とポスターを全て剥がすなどしたが捨てたり売ったりなんて考えは全くなく。本当に少しの間だけクールダウンして、また戻ってきて。そうして今もファンのままだ。

結婚については、そのことを機に覚悟を決めていたので、解釈違いは全くと言っていいほど起こさなかった。
来るべき時が来た、それだけだった。

あの時のことを、当時の私は「夢から醒めた」と言っている。勝手に見ていた夢から醒めた、と。


最近だと、自担ではないが独立したことに対して解釈違いを生んでいるファンを見かけたことがある。分かるよ、分かる。
理解したつもりでも何も理解できていなかったことへの言葉にできない感情が、何にもぶつけられず宙ぶらりんになるあの感覚。特に熱愛とかでなくそういうアイドル活動の核となるような部分については、より驚きが多いだろう。勝手に理想像を描いていたのはこちらなので推しに怒ることはできない。ただ、推しに対して勝手に軽く幻滅してしまう自分が情けなくて悲しくなってくる。


だけど、少なくともそういう時にパッと気付ける人でありたいと思う。
そうだよね、って全てを受け入れているのが間違いとは思わないけれど、絶対に推しは正しいからと視界を狭め続けることは自分の首を絞める。最終的に誰かを攻撃したり、全く関係のない人を巻き込んだりしてしまう。そう思うのは、そういうヲタクをよく見るからだ。

私は派手に理想像を崩壊させる以外に方法がなかったけれど、おかげで結婚を誰も攻撃せず素直に祝えることができた。(体調崩したけど)
これでよかったのだ。



ほか、印象に残った場面として、主人公が勝手に推しの住むとされるマンションへ行き、その時にたまたまベランダに出てきた推しの嫁かも何かもわからない女性の抱える洗濯物をみて逃げるようにその場を立ち去っている描写がある。

分かる。マジで分かるわ。

自担じゃないのに、とあるアイドルが相手の女性に買ったと思われる水の入ったペットボトルを手に持つ姿で呼吸が浅くなったことがあった。分かるよ。
なぜか自分が哀れになる。その女性に嫉妬しているのではない。言葉にできない苦しさがある。

この場面、私が起こした大崩壊とはおそらく違うんだけれど、1番気持ちがわかる部分だったかもしれない。主人公も言っているように、自分が買ったCDやら円盤やらグッズやらに比べると、ただの洗濯物、たった1本のペットボトルかもしれないが、含んでいるモノが違う。
それは、私たちが持っている円盤やグッズが含んでいるのは夢や煌めきなわけで。一方、作中の洗濯物と私が現実の週刊誌の誌面で見たペットボトルに含まれているのは紛れもない現実だ。
解釈とか理想とか虚像とかの次元にいない、本当の本当の現実。いうなれば、着ぐるみの中身。
血の気が引く。分かるよ。

あのペットボトル、私の自担でもないのに、他担がしゃしゃって発言するなんて、半分当事者じゃないお前が何言ってんだと該当のファンは思うだろうけど。1本のペットボトルに泣き喚きたくなるファンの心というのはこういうものだと思う。
ファンがそのアイドルに対して出資した金が「女に渡すペットボトル」に変貌しているその現実。そういうことが全くないなんて思ってない、自分以外にお金を使うことなんて普通に生きてたらあるもんだから。でも、たった100円そこらの話なのに、私たちの胸に突き刺さる現実の重みは100円どころの話じゃなかった。
私があなたの体現する夢や輝きに出した対価が、誰も見たいと思わない現実のモノへと姿を変えたという残酷さ。そして同時に、普遍的な消費活動なのに「女」の存在がチラつくだけで受け入れることができない自分も、気持ち悪くて堪らない。


そんな風に、自分の人生に勝手に喚き散らされることに、そういう消費の仕方をされることに、真幸くんは静かに憤りを感じていたのかもしれない。
だが私たちはそういう消費しかできない。テレビカメラのレンズやオペラグラス、そして解釈というフィルターを通してしか、あなたのことを見てあげられないのだ。

主人公はそういう「理解されないもどかしさ」を抱えるところに共感し共鳴して、真幸くんの沼にズブズブとハマっていったのだろうか。
理解されなくても、全身で自分を表現する真幸くんに、救いを感じていたのだろうか。


結果、私が1/3読了時点で思っていた「どデカい解釈違い」を主人公がしているようにはあまり見えなかったが、綿棒の容器で自分を攻撃する姿を見ると居た堪れない気持ちになる。
「こんなの私が思っていた真幸くんじゃない!」みたいなことは言っていないので、解釈違いからくる大崩壊かと言われれば分からんが、推し自身が自分から推しを取り上げたのだから無理もない。推しの決断全てをハイハイと素直に受け入れられるほどこっちだって狂ってもいない。批判していないのは受け入れているからではなくて、受け入れられなくて実感も湧かなくて呆然としているからだと思う。

現に、私だって今もグループ活動休止を受け入れられていないから。


アイドルとファンの関係は、アイドルのファンになったことのない人には全くもって理解できないだろう。
お互いにお互いのことを何もわかっていないのに、分かっているようなフリをしている、世間とは乖離した歪な関係でしかない。
自担の言う「分かってるよ」「見えてるよ」がどこまで本当なのかはわからないけれど、あの言葉は私にとっては全て正であり真だ。それは人間として、というよりは、アイドルとして。


『推し、燃ゆ』を読了し、現実でアイドルのファンをやっている私が見たのは、そういう「俯瞰で見る、異常なアイドルとファンの関係値」だったのかもしれない。


上野真幸。
名前通り、真の幸せを掴めていたら、まあファンは一応少しは報われるからさ、
ファンの屍の上で、そうなってしまったファンの分も幸せになってくれ。絶対に。



自担へ

私がこの本を手に取ったのは、もともと気になっていたからもあるけれど、貴方が某TV番組でティモンディの前田さんにおすすめされてこの本を受け取っていたのをふと思い出したからです。
そんでもって、番組に映る本棚に置いているようで。律儀な人だから恐らくちゃんと読んだんでしょう。是非、感想が聞きたいです。
こうやって貴方と同じ情報を手に入れたい、と思う私もまた、異常であり、主人公と同じなのだと思います。

この本を貴方が読んだかもしれないことに「怖い」と言っている同担を見かけますが、私はあまり思いません。あの放送を見た時は、すげー本渡されてんじゃん、とは思ったけど。
なぜなら、この本を読んだとて、貴方が自分のアイドル像について何か変化を加えるとは思えないから。というか元々ファンはこんな奴らだと分かってそうだから。今のまま、そのままの貴方でいてください。

既婚子持ちは私が忘れればいいだけの話。

貴方は洗濯物やペットボトルを私たちの前にボンと出すことはない、というか見せようとしていないのに見せてしまうような状況を作らない人だと、私は勝手に思っています。今までも基本的にはそうだったし。貴方から思い出させてくることも、ないよね?


今、さまざまなことが渦巻く中で、貴方がどんな選択をとっても、また大崩壊を起こすかもしれないけれど、私は受け入れる努力をしようと思っています。
「万が一、翔くんが選挙に立候補したらどうするの?」に対して、なるわけない、ではなく「どうせなら用紙に名前書きたいけど住民票うつすのめんどいし、街頭演説のスケジュールとか出るんかな」と答える私です。(政治家になってほしくはないし、ならないとも思ってるけど)
何でもこい、とは言えませんが、何が起きても好きなもんは好きなので、貴方が思うアイドル像をこれからも勝手に応援させていただこうと思っています。

これからも、よろしくお願いいたします。



私の自担に対するクソデカ感情の詳細はこちら


私が夢から醒めた時の気持ちを今になって書いた記事もあります。こちら。

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