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soundtracks|4. 無目的と多目的のあいだ

私が執筆したZINEの読者と対談するツアー "soundtracks"。第4回目は、市田勇太さんと「無目的と多目的のあいだ」というテーマで対話した。

市田さんが山崎さんのことを「僧侶っぽい」と言っていたシーンが印象的だった。山崎さんが僧侶なら、homeportはお寺なんだろうか。そう考えると、僧侶のような研究者、お寺のような大学もありえるのだろうか、とイメージが拡がった。

そういえば、お寺って空間として好きな場所だなぁと思う。広い畳のスペースがあって、縁側があって、庭がある。今のところ、京都の建仁寺が一番好き。

2012年 雨あがりの建仁寺

10年以上前に建仁寺に行った時のシーンで、記憶に残っているものがある。建仁寺に着いて、畳でのんびり庭を眺めていたら、急な雨が降り出した。「しばらくは建仁寺で雨宿りだな」と思っていたら、同じように考えた観光客がどっと入ってきて、建物内は一気に混みあった。集まった人たちは、計画変更の相談をしたり、体を休めたり、静かに本を読んだり、それぞれの時間を過ごしていた。しばらくして、通り雨が過ぎると、庭に光が差し込み、みんな寺から出ていって、再び静かな寺に戻った。

その時、私は、寺は避難場所になるのだなぁと思った。一時的な雨から身を守る避難所。

お寺は、いつでもそこにあって、誰でも受け入れてくれる安心感がある。突然の雨に襲われた時には、逃げ込めるアジールともなる。

お寺がアジールとして存在しえるのは、建物としての歴史の厚みと、空間を維持し、お世話する僧侶の存在があってこそだろう。

何かを積極的に「する」ことを求めるのではなく、ただそこで「待っている」空間としてのお寺。そしてそれを維持する僧侶。一つの心地よい研究空間のイメージになると感じた。


前回同様、"soundtracks"があったからこそ、読んでみたくなった本があるので、ここに残してみたい。

①文化的コモンズ:文化施設がつくる交響圏(佐々木秀彦 著)
対談を通して「場所」の持つポテンシャルに興味を持つようになった。本書は第1部の目次が場所になっているので、文化施設の持つ力と共に理解してみたいなと思った。

②無縁・公界・楽(網野善彦 著)
アジールとしてのお寺というものをよく考えてみたいと思って、まず思い立ったのが本書。青木真兵さんの『手づくりのアジール』で引用されており、この機会に読んでみたい。


本文章で言及した、対バン(対談)ツアー "soundtracks"の詳細は、以下をご覧ください。

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