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読書記録|町の本屋という物語:定有堂書店の43年(奈良敏行 著/三砂慶明 編)

自分を「オリジン(原点)」へと戻してくれる本はあるだろうか。
忘れていた「記憶」を甦らせてくれる本、読むと「我に返る」ような本はあるだろうか。本書を読みながらそんなことを考えた。

本書にはこんな一節がある。

 本屋の店内には、本がたくさん並んでいます。あれも面白そう、これも面白そう、こんなのがあるとは知らなかった、などと、いろいろ戸惑っていただけたら嬉しいです。最初は何か目的があって店内に入ったとしても、入り口のロバさんや、天井から吊り下がっているあれこれに、気をとられているうちに、なんで入ってきたか忘れてしまい、彩り多様なたくさんの本に、我を忘れていただけたら嬉しいです。
 でも、ある一冊の本に出会ったときに、きっと「我に返る」のだと思います。それが本屋の「青空」、そして、本屋の「窓」だと思います。
 本屋の店内とは、人が自分のオリジンに戻れる場所だと思います。いま自分に必要なのは、たくさんの本ではなく、この一冊だったのだと気づきます。「我に返る」のと、引き算するのとは、ライフスタイルの中では同じことです。
 明日のことを考えようと店内を訪れた人が、我に返って、自分の忘れていた「記憶」と向き合う、という瞬間に「本屋の窓」は広がると思います。

奈良敏行(著) / 三砂慶明(編) (2024).「町の本屋という物語――定有堂書店の43年」 p.178-179.

本棚の前に立って、自分を「オリジン」へと戻してくれる本、「記憶」が蘇る本、「我に返れる」本を探してみる。
ぱっと目についたのは「社会-技術的アレンジメントの再構築としての人工物のデザイン」と「インタラクション」の2冊。確かにこの2冊はオリジンに近い。しかし、本棚の前に立って探すまでもなく、すぐに思い浮かぶ本だ。他にはないかと、改めて本棚を見渡す。

目についたのは

  • 貫井徳郎「さよならの代わりに」

  • 辻村深月「スロウハイツの神様」

  • 米澤穂信「春期限定 いちごタルト事件」

  • 見田宗介「社会学入門」

  • 東浩紀「動物化するポストモダン」

  • 中島義明・繁桝算男・箱田裕司編「新・心理学の基礎知識」

これらには、それぞれ紐づく「記憶」がある。
読んだ場所、読んだ季節、聞いていた音、におい、考えたこと、話したこと、仲の良かった友人、情景など、タイムスリップしたかのように、鮮明に思いだされる。

例えば「社会学入門」を初めて読んだのは高校生の頃。高校3年生の冬、センター入試の得点が伸びなかった私は、急遽志望校を変えることにした。新たな志望校の入試には、小論文が含まれていた。毎日高校に通い、現代文の先生から個人レッスンを受け、ひたすら「読む」と「書く」を繰り返した。そのトレーニングの題材としたのが「社会学入門」だった。

この本を読むと、あの寒かった冬を鮮明に思い出す。大きなあきらめ。偶然出会った新しい志望校。1か月の小論文修行。赤ペンの入った真っ赤な原稿用紙。Led Zeppelinが好きな現代文の先生。授業とは一味違う丁寧な個人指導。文学に対する真摯さと愛。同級生のいない静まり返った教室。ひたすら読んで、書いた時間。書くほどに赤の少なくなる原稿用紙。入試当日、お守り代わりにカバンに入れた「社会学入門」。大量に降る山形の雪。帰りの新幹線。

思えば、この偶然の志望校変更がなければ、大学院には進まなかったかもしれない。個人指導がなければ、大学で文学の講義を受けず、こうして文章を書くこともなかったかもしれない。「社会学入門」を読まなければ、社会学の講義を受けず、今の会社に入らなかったかもしれない。私のオリジン(原点)は、確かにこの本を中心としたコンテキストに内包されている。

本を開くと、それを読んだ当時の記憶が鮮明に思い浮かぶ。そして、過去の自分と現在の自分がオーバーラップする。重なり合う像の中から、自分自身のオリジン(原点)が再発見されるような気がする。

本を目印に過去の自分を発掘する。そうした考古学的作業を通して、オリジン(原点)を再起動させる。再起動したオリジン(原点)は自分がこれから向かうべき未来を垣間見せてくれるように思う。

本は、過去・現在・未来を1つにまとめあげる、綴じ紐のようなものであるし、過去を垣間見せるタイムマシンのようなものでもある。一連の思考を通してそう感じた。


あなたを「オリジン(原点)」へと戻してくれる本はあるだろうか。
あるいは、あなたの忘れていた「記憶」を甦らせてくれる本や、読むと「我に返る」本はあるだろうか。
そんな問いから始まる会話は、とても楽しい気がする。

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