我々がしていることっていったい何なんだろう
普段来慣れたご飯屋さんが珍しく並んでいたので待ち時間でつらつらと書いてみます。
さて、最近少し思うことがあります。
なんでそんなに焦って生きてるのかなぁ、と。
牧場物語やどうぶつの森のような時間を無限に消費する系の物語には手を付けなくなりました。RPGゲームのレベル上げも楽しめなくなっています。
頭のどこかにあるのは「時間がもったいない」という呪いに似たなにか。
この呪いは年々大きくなってきています。
サブスクで過去の映画も含めて見放題になったからかもしれません。音楽も国内だけでなく世界各国のものを楽しめるようになりました。
本もkindle unlimitedで無限に消費することができます。
私は去年で言うと本をKindleだけで1000冊超えた量を消費したようです。
私は去年で言うと映画を40作品消費したようです。
色々たくさん知るのはとても楽しいです。
でもそんなに大量に消費して何になるのかという疑問が最近片隅にあります。
Minecraftみたいな箱庭系のゲームをゆっくりまったり楽しめない人生の何がいいのか、とかも思ったりします。
それに例えば釣りを楽しんで一日を終える、そんな生活もいいのかなーとか思ったりします。YouTubeの動画でしか見たことがないですが、釣りも楽しそうですよね。本当に贅沢な時間だと思います。
「魚を食べる」という目的だけで言うとどう考えてもお魚屋さんで購入したほうが良いですよね。釣り具をそろえて、釣り場へ移動して、それで釣れないかもしれません。さらに自分で捌かないと食べることもできません。
効率という点では全く魅力がない釣りですが、それでも魅力的に映ってしまいます。
5年前は多分こんなことを思わなかったと思います。
最近こういった考えに至ったのも、自分が一生懸命やったところで世界は何も変わらないことがだんだんとわかって来たからかもしれません。
やりたいことをやっているはずです。
仕事も基本やりたくてやっています。私にとっての仕事は多分世間で言われるほどつらくてやりたくないことではありません。
結構楽しくてやっている部分があります。
それになんとなくですが、家でゴロゴロとテレビを見ているより、「仕事」をして「自己研鑽」していた方がより良い、時間の使い方だと思っているというのもあります。
どこでそういった意識、常識が刷り込まれたのかわかりません。
『精神的に向上心のない者はばかだ』という「こころ」のセリフによるものなのかもしれませんし、学校教育で「勉強するのはえらい」という価値観が身についている延長線上で「仕事をするのはえらい」という考えがあったのかも知れません。
ただ、別に私が働いたところで特に何も変わらないと思っています。
人間生きる上では衣食住と娯楽が必要で、多分私の仕事はどれにも当てはまりません。
種の保存という点で言うと、多分子供を2人以上生んだ夫婦が称賛されるべきだと思います。
ただ、それも20年後くらいはどうなるかわかりません。
柳澤元厚生労働大臣の例の発言で社会問題になった機械発言。将来的には本当に機会が子供を産んでいるかもしれないですね(試験管ベイビー的な意味で)。
そうなった時に種の保存的に男性・女性という役割も不要になり、子供を産むという行為が前時代的な意味のない行為となるかもしれません。
そうなった時に恋愛とかもどういった価値観になるかわかりません。
今はなんとなく休日に図書館に籠って数学を解いて勉強していると「えらいね」と言われる風潮があるように思いますが、それも「何も食べるものも生み出していないのに紙と時間ばかり消費して」となるかも知れません。
家でゴロゴロとテレビを見てるよりかは働いていたほうが多少は世界のためになっているかなぁと思っては色々頑張っては来たのですが、ちょっとよくわからなくなってきました。
皆さんはどうこの辺りに折り合いをつけてるのかなぁと言うことが気になったりするお年頃です。
ご飯がきたのでこのあたりで。
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