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学生時代の「できる」と社会人の「できる」は異なる

あくまで私の観測範囲です。
他の考えについても知りたいので、コメントでリンク等も紹介していただければと思います。

ただ、これを誤ると学生時代はもっとできたはず・評価されていたはずなのに、となったり、学生時代よりも簡単に評価されて社会人は楽となると思っています。

学生時代の「できる」

学生時代において「できる」ということは、基本的には自分の力で課題を解決することを意味します。例えば、学校の課題や試験において求められるのは、個々の知識や技術の習得度です。

具体例1: テスト勉強

学生時代の典型的な「できる」は、テスト勉強です。自分の理解度を高めるために、教科書やノートを見直し、過去問を解いて準備をします。テスト当日は、全て自分一人の力で解答しなければなりません。テストの時間までに友達や先生からヒントを得ることはあっても、最終的には自分の力で問題を解決することが求められます。

具体例2: 自由研究

また、夏休みの自由研究なども同様です。テーマを決めて、資料を集め、実験や観察を行い、その結果をまとめて発表します。この過程全てが自分の手で行われ、完成度が評価されます。
この時に、大人の力、例えば両親の力を借りて素晴らしい結果を出したとしても「なんで自分でやらなかったの?」と言われるでしょう。

社会人の「できる」

一方、社会人になると「できる」ということは、締め切りまでに求められる結果を出すことを意味します。
法律やコンプライアンスといったルールを守ることは大前提として、手段やプロセスよりも結果が重視されます。
(ちなみに大人の手順やプロセスを語る人の8割以上は後付けだと思っていますし、結果を出していない人が語る手段やプロセスに価値はありません)

具体例1: プロジェクトの納期

たとえば、仕事でプロジェクトを進める場合、納期が設定され、その期限内に成果物を提出することが求められます。この際、他のチームメンバーとの協力や外部のリソースの利用が必要となることが多いです。この時に重要なのは、期限までにクライアントや上司が納得する結果を出すことです。
絶妙なバランス感覚で人員のモチベーションなどをコントロールして成果を出し続けているのであれば、本人が資料の1つも作成していなくても、そのプロジェクトを成功させたのはその人という事になります。

具体例2: 緊急対応

また、急なトラブルが発生した場合の対応も、社会人に求められる「できる」の一例です。システムの障害対応や顧客クレームの処理など、時間が限られた中で迅速に解決策を見つけることが求められます。この際、自分の力だけではなく、同僚や上司、さらには外部業者の助けを借りることが必要になることもあります。
「自分の力だけでやろうとしたんですが失敗しました」「自分だけではできないので、できる人に協力してもらってやりました」「自分では全く歯が立たなかったので先輩に全部やってもらいました」。どれが良いでしょうか。
私の感覚では「自分だけではできないので、できる人に協力してもらってやりました」、「自分では全く歯が立たなかったので先輩に全部やってもらいました」が社会人としてあるべきで、「自分の力だけでやろうとしたんですが失敗しました」は論外だと思っています。

具体例3: 特殊な営業手法

さらに極端な例として、実家が非常に裕福で人脈が豊富な場合を考えてみましょう。このような場合、会社のハウスリストを使わなくても自分の人脈を活用して商品を売り上げることができれば、その人は営業として優秀と見なされます。会社の規約に違反していなければ、その手段がどれほど異例であっても評価されます。
広告代理店の都市伝説なのか真実なのかは私には判断できませんが、実家が広告主になってもらえる可能性がある場合、面接で合格が出るという話も聞いたことがあります。
その人を雇うことで膨大な広告費が手に入ることが確定しているのであれば、会社にとって優秀な社員ですよね。

では学歴と社会人の優秀さは関係ない?

当然そんなことはありません。
人の力を使わなくても本人が抜群に頭がよく、自力で何でもできるのであれば、他人に交渉する時間を使うことなく結果を出すことが出来ます。
また、例えば「東大生」の最大のメリットは、自分の友人知人に「東大生」がたくさんいるという事だと思います。
私の「東大生」の友人はものすごく優秀です。ただ、1人だけです。
困ったときの質問相手、相談相手に自分含めて「東大生」が大量にいるという環境は非常にうらやましいです。

生成AIは?

最近話題の生成AIについても少し触れます。
生成AIについていろいろ言われています。賛成、反対意見色々見ますが、私個人としては「成果が出るなら使うべき」だと思っています。
「生成AIを使えば結果を出せましたが、使いませんでした」というのは少し意味が解りません。
その会社が禁止していないのであれば会社でも成果につながるのであれば使うべきでしょう。重要なのは、どのような方法を使ったとしても、最終的に質の高い企画を提出できるかどうかです。

こういったことを書くと、AIにアレルギーを持っている方は「イラストでAIを使うと嫌いな人がいて機会損失だ。だから全部使うべきではない」と言う人もいたりしますが、これは明確に考え方として違うと思います。

何にでもAIを使えと言っているのではありません。成果が出るのであればルールの範囲で使おうという主張です。今のこの世間が毛嫌いしている風潮は確かにあるので、それで毛嫌いされて機会損失になるのであれば「そもそも成果を出していない」という事になります。
成果が出ないのであれば「締め切りまでに求められる結果を出す」という点に反します。

人に頼ってばかりだとtakerとして嫌われるのでは?

これもその通りです。
毎回人に頼って、結果だけ独り占めしている方はきっと嫌われるでしょう。
そうなるといずれ「締め切りまでに求められる結果を出す」ことはできなくなるので、社会人としては「できない」人になります。
自分が得意な部分では協力したり、飲み会を個人的に誘い信頼関係を築いておく、などの対応は必要になります。
大切なのは「頼ること」ではなく「締め切りまでに求められる結果を出す」ことです。

まとめ

学生時代の「できる」は、自分の力で問題を解決する能力を示し、社会人の「できる」は、チームや外部リソースを活用して期限内に結果を出す能力を示します。どちらも重要なスキルですが、社会人になると結果を出すための手段を柔軟に考え、利用することが求められます。

この違いを理解し、学生時代の「できる」を基盤にしつつ、社会人として求められるスキルを磨いていくと、思った以上に評価されたりします。

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