心との連動
気がつけば、毎日同じことしかしていない。
起きて、ご飯を食べて、職場に行って仕事をする。
帰って来て、ご飯を食べて、風呂に入り、数時間娯楽に興じて寝る。
そしてまた起きて……。
休日もパターンが決まってしまっている。
起きる。
二度寝をする。
起きる。
もう一度眠る。
起きる。
眠たいけれど、やっと起きて食事。
ダラダラと時間を潰して夕方になって、風呂に入ってご飯を食べる。
またダラダラと時間を潰して眠る。
次の休日もまた同じ。
たまに外出するけれど、たいていこんな感じで時間を無駄にして過ごしている。
自分だけがそうなのかと思ったこともあるが、友人に話を聞いてみるとだいたい似たり寄ったりの生活だった。
……まあ、類は友を呼ぶと言うので自分の周りだけがそうなのだとは思うけれど。
はあ、あんたも、もういい歳なんだから、ちょっとは真っ当な人間の生活ってのができないのかねえ……
そう言われてもなー、親父だって似たような生活だったんじゃないのか
まあ、お父さんはお父さんだから……
なにそれ、親父は良くて俺は駄目なのかよ
あんたには、お父さんみたいになってほしくないのよ
あの人、一人じゃ何にもできないんだから
それならなんで親父と結婚したんだよ、という言葉が喉まで上がって来たのだが、目の前に放置していた温い水と一緒に胃に落とした。
電話の向こうでは母親がまだ何かを言っている。
半分以上を聞き流して、話が終わるのを待つ。
母親の話は長くて、昔からあまり好きではない。
とにかく、もうちょっとちゃんとした生活を送るのよ
いいわね
んー、わかったよ
それじゃ
通話が終わると、どっと疲れが出てきたので深くソファに身をゆだねる。
このまま眠っってしまいたい、なんて思いながら一分前に母親から言われたことを思い出して起き上がる。
……真っ当な生活ってなんだよ
思わず愚痴がこぼれるも、母親の言う真っ当な人間らしい生活を模すために外出の用意をする。
なんでこの歳になってまで、母親の言うことを聞かなければならないのかという考えは置いておく。
しかし、俺がいつまで母親の求める息子を演じ続けなければならないのかというのは、考えないといけないことなのだろう
少なくともこのままでは俺の人生にはならない。
そんなことは実家を出た時からわかっていたことだ。
それでもこの切れない母親との縁……、いや、血?
もしくは家族とか言う概念から逃れるのは容易な事ではないらしい。
たとえ母親の寿命が俺よりも早く尽きるとしても、恐らく俺は母親の言うように真っ当な人間の生活を送って人生を終えることになるのだろう。
傘を持って家を出る。
エントランスを抜けると、雨は待っていたかのようにその量を増した。
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