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休符もまた音楽 マリア・ジョアン・ピリスのシューベルト

サントリーホールでマリア・ジョアン・ピリスのリサイタルを聴いた。

シューベルト:ピアノソナタ第13番 イ長調 Op.120 D 664
ドビュッシー:ベルガマスク組曲
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シューベルト:ピアノソナタ第21番 変ロ長調 D 960

アンコール
ドビュッシー:アラベスク第1番

驚いたことに、録音マイクがない。引退を撤回して最初の来日だけに収録の話は絶対にあったはずだが、本人が断ったのだろう。
まさに一期一会の演奏会だった。

ピリスは肘より少し長い袖のクリーム色のシャツとブラウンのスカートで現れた。
この人はいつもごさっぱりしている印象がある。

飾り気がないというのか。演奏もそんな感じだった。
コンサートホールで聴かせてる感じがない。どこで弾いても、誰の前で弾いてもこの音楽なんだろうなと思った。

ピリスは深々と丁寧にお辞儀をする。P席にも毎回。まるで尼僧のような謙虚さ。

椅子に座るなり弾き出す。まるで音楽は日常の延長線にあるとでも言いたげに。

暖かみのある音。声楽とピアノはP席ではデッドと思っていたが、ピリスはまったくそう感じさせなかった。

ピアノはヤマハ。ピリスのお気に入りなのだろうが、高音がキンキン聴こえる箇所もあり、そのリリシズムも魅力的ながら柔らかいベーゼンドルファーやバランスのよいスタインウェイだとどんな音になるのだろうと思って聴いていた。

年を取ると音が丸みを帯びるものだ。ホルショフスキーなんかそんな感じだし、ポリーニやシフだって昔より音が丸くなっているだろう。
レーゼルの最後の来日で聴いたベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番(沖澤のどか/読響)もそんな感じだったが、レーゼルの場合は丸いだけというか、お粥みたいに歯応えのない演奏だった。

ピリスは丸い感じではない。かといって粒だっているわけでもない。
彼女のモーツァルトのソナタ全集(DG)は音が硬質すぎて私は好みではないが、今日はあれよりずっと柔らかく繊細になっていた。

暖かみのある音色だ。聴衆がみんなマスクをつけているので、P席から見ていたら白いひまわり畑のようだった。

ウクライナの人はこんな音楽に浸る幸せも許されない。私はニュースで戦況を知ることしかしていないが、頭の片隅であってもウクライナ国民の不幸を忘れないようにしている。

亡くなった犠牲者への鎮魂歌のようでもあり、母親が赤ん坊に聞かせる子守歌のようでもある。
若干残念だったのはミスタッチがかなり多かったこと。
ピリスの芸術に影響がないと言えばそうかもしれないが、「ないにこしたことはない」というもの。
全盛期は過ぎ、テクニックの衰えと闘っているのだろう。

聴衆の集中力はかなり高かった。私はサントリーホールでピアノ・リサイタルを聴くのが超久々だったので(最近オケばかり聴いている)、コチコチに緊張してしまった。

シューベルトのピアノ・ソナタは繰り返しが多いというのを今日しみじみ感じた。
ピアノ・ソナタだけではなく交響曲もそうだ。シューマンが「グレート」のことを「天国的な長さ」と評したのは有名だ(てっきり「天国的な冗長さ」だと思っていた😅)。
なので、第13番を聴いただけで帰ってもいいくらいの満腹感だった。

ピリスは楽章間の休憩を取らず、全曲アタッカで弾く。
日本は楽章間の咳が多すぎて、そのたびに音楽の流れが断ち切れるからピリスのやり方は好ましかった。
ただ演奏家には相当な集中力と体力が必要だ。
第21番の最後ではさすがに疲労を感じさせた。やや力任せに弾いていると感じる箇所もあった。

シューベルトもドビュッシーも、武術の達人のように筋肉の働きに無駄を感じさせない。しなやかな音楽だった。

ピリスのドビュッシーというと異色な感じがする。CDが出ているのか知らない。
しかし、シューベルトと同じ誠実なアプローチで魅力的なドビュッシーだった。
いまのピリスでバッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルトなどを聴けたらと夢想してしまった。

後半はピリスが椅子に座ったとたん客席で着メロが鳴って唖然としたが、ピリスは音が終わらないうちにお構いなしに弾き始めていた。
しかし第1楽章の前半はナーバスな印象がした。その影響だったかもしれない。

今夜の圧巻は第21番の第2楽章と「月の光」だろうか。アンコールもよかった。
第21番を弾き終えたピリスは鍵盤に頭を垂れたまま固まっていた。

聴衆の集中力の高さゆえ、ピリスのピアニシモを存分に堪能できた。
アーティキュレーションや音の出だしや終わり、そして休符。
ピリスの「弾く」休符のなんと詩的だったことか。

聴衆の拍手は大きく、暖かかった。早いうちからスタンディングオベーションしている人も多かった。
客電がついてピリスがはけてもなお拍手は止まず、もう一度出てきたときの拍手の光景は感動的だった。

いやはや、一流の音楽、本物の音楽を聴いたという感慨。
ショーマンシップとは正反対。真摯かつ誠実な演奏。

近年は演奏家が作曲家に奉仕することが望ましいとされる。関係でいうなら作曲家>演奏家だ。
しかし、ピリスの場合はシューベルト=ピリスの関係性だった。
ピリスにしかできない音楽だった。音楽家にはこういう音楽を聴かせてほしい。

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