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これぞ、新時代のベートーヴェン! 高関健/シティ・フィルの「エロイカ」

東京オペラシティコンサートホールで、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の定期演奏会を聴いた。

R.シュトラウス:楽劇「ばらの騎士」作品59、第1幕および第2幕より序奏とワルツ集
シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第1番 作品35
ベートーヴェン:交響曲第3番 変ホ長調 作品55「英雄」

指揮:高関 健
ヴァイオリン:南 紫音

前回聴いた高関健とシティ・フィルのマーラー5番は酷評してしまった😅

今回は素晴らしかった!😆

まず、客席の雰囲気から。

6割程度の入り? 1階席後方など結構ガラガラだった🥲

飴の音がなかった!😳

プログラムと一緒に配ってるマナー喚起の紙の効果もあるだろう。

客席内は飲食禁止なのに、「エチケット」と勘違いして飴舐める人が多いからね😅

「ばらの騎士」

第一音が始まった瞬間、前回とはオケの一体感が全く異なることに気づいた。

指揮者とオーケストラの頭の中のイメージが一致していると感じた。

「楽譜に忠実な、正しい演奏をしよう」ではなく、「こういう音楽を奏でよう!」という姿勢に見えた。

音楽は本来そうあってほしい。

ワルツという形式の曲からは、光と影、栄華と没落、といった両面の要素を感じる。

井上道義/千葉県少年少女オーケストラの「天体の音楽」もよかった。

ワルツというとニューイヤー・コンサートのイメージがあるが、今回みたいに普通のコンサートの導入として使うと面白いかも🤔

シマノフスキ

南紫音は初めて生で聴く。

現在、ハノーファー在住らしい。デビュー当時はアイドル風のルックスもあり、そういう売り出し方をされていたように感じた。
日本の楽壇を離れて、のびのび音楽と向き合っているのかもしれない。

集中力が凄かった。カデンツァの緊張感は半端なかったし(危うく咳が出そうになり生きた心地がしなかった😨)、霧の中を散策するようないまいち捉え所のない曲なのに、物語を聞かせるように感情豊かに奏でていた。

弾き終えるなり、ブラヴォーがさかんに飛んだ。
アンコールなさそうな雰囲気だから途中で拍手をやめたが、最後楽器を舞台袖に置いたまま手ぶらで出てきてお辞儀していた。

ソリストが意思表示するまでだらだら拍手を続けるのは日本の聴衆のよくない点の一つですね(何ともさもしい感じが……😔)

エロイカ

冒頭、スフォルツァンド?と思うような弦の表現あり。

マラ5のときもそうだったが、今回も最新版のスコアを指揮者の目線でさらに細かく微調整しているのだろう。

12型の対向配置。
左から1st Vn、Va、Vc(後方にCb)、2nd Vn。

対向配置の演奏を久しぶりに聴いたけど、2ndとVaでは旋律が全然違うから、正面で聴いてたらまったく違う音楽に聴こえるなと思った。

ハイドンも対向配置で聴かないとよさがわからないのかもですね(あんま気にしてなかった……😅)

「エロイカ」は長大な規模だが、長さはまったく感じなかった。
颯爽とした音運びだが、ブロムシュテットのベートーヴェンのような響きの薄さはない。

聴いていて、大船に乗ったような気持ちにならないところが凄いと思った。

だって「エロイカ」なんて、クラオタなら散々聴いてきてるわけですよ。

にもかかわらず、先の展開がどうなるのか読めない、未知数の演奏だった。

そう、まさに今生まれ出ているベートーヴェン。

ピリオド・アプローチのベートーヴェンが一時期大ブームになり、どの指揮者も「正しいベートーヴェン」の再現に躍起になっていたが、今日の高関さんのベートーヴェンはその次の世代のベートーヴェンという印象だった。

ピリオド・アプローチのいいところは取り入れつつ、モダン楽器のよさを最大限に活かし、ベートーヴェンが当時の楽器では表現しきれなかった部分まで表現しようと試みる。

私はベートーヴェンが頭の中で思い描いていたであろう音楽が聴きたいのだ。
それがイコール楽譜ではないのだとしたら、楽譜にこだわり続ける意味はあるだろうか。

第4楽章はアタッカで突入する演奏が多いと感じるが、今回は休憩を設けていた。

第4楽章の最初の方で泣いてしまった。スメタナの「わが祖国」のとき(常任指揮者就任披露演奏会)は、音の煌びやかさと美しさに涙したのだが、今回は“こんなベートーヴェンを聴けた嬉しさ”だったかもしれない。

わざわざ喩えるまでもないことだが、ルーベンスの名画が100均の額縁に入っていたら何とも貧相な感じがするだろう。

そういうベートーヴェンを今まで散々聞かされてきた。

こちらでも書いたが、「英雄の生涯」の前プロとしての「英雄(エロイカ)」である。

まるで「古典派の佳曲」みたいな扱いではないか……😢

「エロイカですらコンサートのトリたりえなくなったのか」という思いは、私には大きなショックだった。

今日の高関版「エロイカ」はそういう思いを吹き飛ばす演奏だった。
棒なしで振っていたが、いつになく力のこもった指揮姿だった。

やはり日本人にとってベートーヴェンは特別な作曲家。それはプロも同じなんだと思う。

ソリストでいえば、オーボエ首席の本多さんが素晴らしいと思った。

逆にホルンは不安定かな、と。最近日本のオケのホルン奏者のレベルが上がってきたので、特にそう感じる。

今日の「エロイカ」は賛否両論分かれるかもしれないと思った。
演奏に不満だったのかわからないが、第1楽章が終わると1階席から出ていく人が2人いた。
演奏が終わるとブラヴォーが飛んでいたのでホッとした。

スタオベしたい気もあったけど、バルコニー後列の人が見えにくくなるとよくないので自制した。

PARCO劇場の1列目中央で立った昔を思えば、多少は成長したかもしれません😅

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