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ペットロスの、その先に。(エッセイ・ペットロスガーデン エピローグ)

自分だけの記録として、書き溜めていたエッセイ「ペットロスガーデン」を、まとめてnoteに投稿した。
実はこの話には、続きがある。

10年ぶりに、ペットを迎えたのだ。



書き溜めたエッセイは誰にも見せないつもりだったけれど、やはり書くことの中には、誰かに読んでほしいという気持ちが隠れていた。
私の庭を好きだと言ってくれる友人に、その一部を読んでもらえないかとお願いすると、友人は快諾しただけではなく、一部ではなく全部見せてほしいと言ってくれた。内容もバラバラで、日々の感情も色々の日記をどうしようかとも思ったけれど、せっかくそう言ってくれたのだからと、少し修正したり、新たに書き足したりして、一つのお話として完成させた。

本来であれば、ペットロスを乗り越えたり、新しいペットとの出会いをしたというラストが理想だったけれど、これが今の自分だから仕方ないな、寂しいまま、弱いまま生きてるという終わりでもいいじゃないか。
そんな風に思って書き終えた。
すると、ペットがやって来たのである。


最後の章を書き終えて、2か月後のことだった。
私は、変わらずペットはもう迎えきれないという気持ちでいたし、出会いを探してもいなかった。
それなのに、それは突然向こうからやって来たのだ。

以前愛犬がお世話になっていた、近所に住むトリマーさんが、「この子を飼わないか」と、写真を持って家を訪ねてきたのである。
聞くと、母猫に置いて行かれた子猫が10時間も鳴いているのを、お店のお客さんが保護してミルクをやっている、その家には犬がいるし、自分の家の猫とも対面したが、どうも相性が悪そうで、飼えないとのこと。
彼女は、私がペットを飼えなくなったことを知っていた。

私は初め、この10年間ずっとそうしてきたように、オートマチックな思考で、話も聞かずに断った。扉は完全に閉じていた。もうペットは飼わない。

しかし、彼女は引かなかった。
日頃、無理強いなんてしないその人が、かなりの押しだ。
きっとこの壁は、打ち破るべき壁だと思ってくれたのだろう。
無理に心に押し入ろうとする人が苦手な私だが、そこに愛があるかどうかは、敏感に感じ取ることができる。強い押しの中に、私を思う気持ちと、何か希望みたいな光を見たのかもしれない。不思議と話を聞く流れになった。

手のひらに収まるくらいの、青い目をした美しい子猫の写真を見せられながら、私は、ああ、そういう流れになっているのかな、と、身体の力が緩んでいくのを感じていた。


しかし、現実的に飼うことを想像してみると、次々に浮かんでくる不安は、飼ってみたいという気持ちを追い越して、やっぱり断ろうという思いを強くする。
猫の飼い方がわからない、逃がしたらどうしよう、そして何よりも決断を鈍らせているのは、また失う怖さと向き合うことだ。

忙しい彼女は私の為に時間を作り、沢山話を聞いてくれた。
そして、生きるか死ぬかは、その子の運命だと思っている、と話してくれた。
これは、ペットの死を、どこかで自分のせいだと思ってきた私にとって、救いとなる言葉だった。プロとして沢山の犬や飼い主と関わり、またそれとは違う距離で、自身のペットとも向き合い続けてきた彼女の言葉には、力があった。

あの子たちとの素晴らしい日々を、この先も悲しい思い出みたいにして生きていって、本当にそれでいいんだろうか。物語の最後が、それでいいのか、自分。



ひとまず会ってみようという話になった時、彼女にはもう、こうなることがわかっていたような気がする。
それまで預かってくれていた人は対面の日、ごはんやおもちゃやトイレなどを、全部持ってきていたのだ。

よちよちと私の前に現れた彼は、子猫にしては目つきが悪く、一目みて「この子だ!」とは正直思わなかったのだけど(そもそも私は犬派であった)、触れてみると違っていた。
手の中に入るなり、すぐに眠ってしまった小さな彼は、目を覚ました時、ものすごく愛おしそうな顔で私を見上げたのだった。
子猫じゃないみたいな、その慈愛に溢れる表情を見て、私は、思わず泣いてしまった。この顏を、見たことがある。かつて犬たちが、こんな眼差しで私を見つめたことがあった。
この子なんだ、と思った。

めちゃくちゃないたずらをされたり、爪で引っかかれて、思わず追い出したくなるような時でも。
その時のことを、いつも思い出す。
これからもずっと、思い出すのだろう。


久しぶりに拾うウンチの、ビニールごしの温かさに、生きている温度を感じる。ウンチはくさい。生きてることはくさいのだ。そうだった、と、その感じに浸る。

家中を駆け、水をこぼし、あらゆる隙間に入り込む、小さな生きもの。
これはなんなの?あれさわってみたい!ぼくがうごくとついてまわる、このくろいものはなに?みて!ぼくとべるんだよ!

生まれたての命が、この手に収まらずにぴちぴち跳ねている。
そうか、生きものって、死ぬだけじゃなくて、ちゃんと生まれてくるんだ。


私は今、やわらかい毛皮に包まれた温かな命が、上下に動いて世界を取り込んでいるのを、手を伸ばせば届く距離から、見つめている。
白黒に見えていた庭の色彩が、鮮やかに変わっていく。

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